ガーベラ

 自宅の最寄り駅のすぐ前には個人営業らしい花屋があった。看板やお店の雰囲気がかわいくて、前から気になってはいたけれど、入ってみたことはなかった。そもそも花屋自体、足を踏み入れたことがない。だって、花屋に入るって、ハードルが、高いもの。お店の外に置いてある二、三種類の季節の花を、通りがけにちらりと見るぐらいで、なんだか心がいっぱいいっぱいになる。花はきれいだし、美しい。だけど、花に対して何かが自分にストッパーをかけている。壁があるみたいに。
 でも、今日、学校帰り、駅を出てふと思いついて、制服のままわたしは花屋のドアをくぐった。店内の人はまばら。入った途端にむせるくらい、むわっと花の匂いがするのかと思ったけれど、喚起のためか入り口のドアを開けっぱなしにしていて、そこまで匂いが充満しているわけではなかった。勝手な期待とは違ったそれに、わたしは無意識のうちに唇を尖らせる。花ってまあまあ高いんだ、とか、この花はあんまりかわいくないな、とか、どちらかというとプラスよりはマイナスな部分がどんどん頭に募って、そういうわたしに嫌気がさしてくる。なんでわたし花屋に来たんだろう。ばかみたい。ばかみたいじゃない、ただの思いつきで来たんだから、本物のばかだ。
 罪のないガーベラをわたしは睨む。ガーベラには首のまわりを支えるようにセロファンがついていた。店内の照明がセロファンに当たって、よくガーベラのまわりは光がちらちらしている。ちょっと眩しい。
「あ、ユカワさん」
 急に名前を呼ばれた。初めて来た、まだお会計も何もしてない花屋で。びくりと肩を震わせて振り返ると、セーラー服を着た見覚えのある女学生――タカヤマさんがいた。中三のときに、同じクラスで、学級長をしていた。華道部の部長でもあったような気がする。タカヤマさんはたぶん、優等生の部類なんだろうなと思っていたし、彼女と比べると当然わたしは普通の子。わたしが勝手に壁を感じていたのは事実だけど、タカヤマさんは気さくで純粋にいい人だ。仲が良いと言えるほど彼女と話したことはないけれど、わたしのことを覚えていてくれたらしい。とりあえずわたし、気分は下げ下げだったけれど、口の端を上げる。
「お久しぶり、」
「久しぶりだよね。ユカワさんはガーベラ、買うの?」
 中三のときと変わらず、明るい笑みを浮かべて、タカヤマさんはわたしの目の前のガーベラたちを指差した。タカヤマさんの手には既に、白いスイートピーが三本包まれたシンプルな花束があった。中三のときもそうだったけれど、彼女のことが少し眩しく見える。わたしは首を横に振りながら、頬に垂れた鬱陶しい髪を耳にかける。
「ううん、花買ったことなくて初めてだったから、ちょっと見てみてただけ」
「初めてなんだ!何か他のを買うの?」
「どうしようかな、って迷ってる」
「お花ってちょっと高いし、初めてのときって買いにくいよね」
 高いとか言ったらお花屋さんに怒られちゃうかもだけど、と声を潜めたユカワさんはあは、と笑った。合わせて、スイートピーを包むラッピングフィルムがきらきらと照明を反射した。わたし、少し、瞬きをした。タカヤマさんにとっても、お花ってちょっと高いのか、って。そう気づくと、わたしも彼女につられて笑みを零す。
「やっぱりガーベラ、一本買ってみようかな」
「ユカワさんのお花デビューだ、」
 タカヤマさんは自分のことのように目を輝かせて喜んでくれて、店員さんを呼んでくれた。わたしは薄いピンクのガーベラを一輪買って、初めて花屋で買い物をした。
 わたしはガーベラを手に、タカヤマさんはスイートピーを手に、花屋の外で別れた。タカヤマさんはまたねって言ってくれて、わたしは手を振った。帰路の日は暮れかかっていて、いつもより頬を撫でる風が少し冷たかったけれど、手にガーベラを包むラッピングフィルムの感触があるだけで、足取りが軽かった。
 赤信号に立ち止まったとき、そっとガーベラに鼻を近づけたけれど、植物っぽい匂いがしただけで、花と聞いて思い浮かべるような芳香はしなかった。どんな花も芳香がするわけじゃないのかなと気づいて、わたしはタカヤマさんに会う前の今日の自分をくす、と笑った。ガーベラのセロファンが夕日の光をやわらかく反射した。

ガーベラ

2020年7月 作成

ガーベラ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-07

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