ピリオド

 最近、一年前のことをよく思い出す。あのころはまだ働いていたなあとか、髪が長かったなあとか、そんなふうなことを。今から一年前というと、ちょうど長期休みに入る直前のころだ。あのときは、はやく休みに入りたくて仕方がなかった。その気持ちが高じて、髪だけは先に切ったのだった。まだ休みに入っていないというのに、髪を切れば今迄のこととさよならできる気がしたのだ。当時はその髪型がとても大好きだった。物凄いお洒落さんになった気分だった。いまも同じような髪型を保ち続けているが、なんだかしっくりこない。長い髪が、すこしだけ恋しい。あのころは髪が長かったなあ。
 春にうまれたこどもは、もうすこしで預かり先が決まる。かもしれない。判らないのだ。完全に運次第だから。もし決まったら、わたしは、やすんでいた仕事をまた始めることになる。さよならしたはずのあれこれが、また戻ってくる。休む、とはそういうことで、結局のところ時計の針を止めていただけに過ぎない。変わらない髪型で、こどもは腹の外には出たものの未だ乳で繋がったまま、この長いようで短い一年を、立ち止まって過ごしてきたようなものだ。
 やっかいなのが、長い髪のことは恋しくても、あのころの暮らしのことは、ちっとも恋しくないことだった。わたしは仕事をしているとき、今ではあんまりよく思い出せないけど、くやしくてかなしくてたくさん泣いたり、とんでもなく怒ったりしながらやっていた。どうして恋しく思えよう? 今だって涙を流すことはあるけれど、それはうれしいの涙だ。怒ってるときもあるかもしれない、でもこれは大切にしたい畝りだ。だから、いっそ時計の針はへし折ってもいいくらいだった。
 でも、わたしの気持ちは置いてけぼりで、針は少しずつ動いているみたい。このあいだ、生理がきた。一年半ぶりの生理だった。くると思わなかったから、基礎体温計は電池を切らしたままだった。まだ夜中も起きて一日八回しっかり授乳してるのになあ、なんか損してるような気がするなあ、と思ったけど、確実に飲み量が減りつつあることの合図だった。そういや離乳食の量増やしたし。乳も若干詰まりかけててんやわんやしたっけ。全部予兆だったのだ。生理って、英語圏ではピリオドというらしい。なるほどと思ったけど、ピリオド、改めて言葉の意味を考えたら、ずっしりとのしかかってきた。ピリオドだ。それはもう、色んな意味で。
 もうすぐ、離乳食は一日二回から三回になる。いわゆる三回食だ。そうしたらだんだん乳離れとなる。軌道ができてきたころに、見つかった預け先から連絡がくるだろう。見つからなければ連絡はこない。人生のわかれみち。どっちだろう。判らない。だって、運次第だからだ。こんなに、大事なことなのに。思えば妊娠から出産から育児まで、基本運要素しかなかったな。わたしは、どうなるのかな。判らないね。判らないけど、抱っこ紐つけて鏡を見たらなんだか首もとは寂しいし、とりあえず髪は伸ばそうかな、とぼんやり思った。

ピリオド

ピリオド

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-04

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