七千年後

 ただ、ぼんやりとみていたのは、くずれてゆく高層ビルのゆくえ。よかった、のは、ひとがいないということ、この都市には、もう、ひとは、わたしと、ノエルしか、住んでいないということ。まるで、腐った角砂糖のように、ぼろぼろとくずれおちる、アスファルトに、人工物の脆さを、呆気なさを、歯痒いと思う。同時に、自然の摂理に逆らった、にんげんどもの成れの果てだ、とも思う。一年前、ネオ、というなまえの、ひとのかたちをしたロボットが、静かに機能を停止させたときは、まだ、いきものは、にんげんもひっくるめて、いくつか存在していたのだけれど、気づけば、もう、みんな、いなくなってしまった。夜は、星がきれいだ。人工のあかりが一切なくなった、コンビニのかんばんも、繁華街のあやしいネオンも、ビルのうえの赤いランプも。飛行機がなくなったことも、あるかもしれない。ガソリン車や、工場のえんとつからもくもくとあがっていた、けむりも。きっと、大気を汚して、宇宙の惑星を、霞ませていたものが取り払われて、よくみえるようになったのだ。ノエルは、もう、ずっと、ホットケーキばかりを食べている。純粋に好きだから、と、ノエルはいう。べつに、節約とかではなく。わたしと、ノエルだけになった都市で、いずれはおとずれるだろう、食糧難に備えて、ではないのだと、ノエルはいいきる。
 スマートフォンのない生活なんて、以前は考えられなかったのに、いまはそれが、あたりまえになっている。だれともつながっていない暮らし。とはいえ、いまは、わたしにはノエルしかおらず、ノエルにはわたししかおらず、崩壊を理由に、まわりのほかの地域とは隔絶され、ほんとうにふたりだけになってしまった、わたしたちの世界に、他者とつながるための電子機器など、ひつようないのだ。
 ネオはまだ、そのかたちを保っているものの、錆びが目立つようになってきた。むかしはやさしいおじいさんと、クレープを売っていたのだときいている。ノエルはときどき、そのへんに咲いていた野花と、きまぐれにホットケーキの粉で焼いたガレットを(クレープではなく、ガレットを)(しかも、まったく具材ののっていない、素の)(つまりは、皮だけの)、ネオのかたわらに、そなえている。

七千年後

七千年後

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-03

CC BY-NC-ND
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