鍋を食べて考えたことです。短くてすいません。

楽しかった。ただ、あの頃に戻りたいかと言われたら嘘になる。戻ったところで、どうせ行く先は決まっているんだ。僕はどうせ、鍋を嫌いになるんだから。

ぐつぐつ、鍋の煮立つ音が聞こえる。グラグラ、僕の視界が揺れる。母は、せっせと新しい具材を鍋の中に放り込み、他はひたすら、煮立った具材を器に取り上げている。会話はない。呼吸をしているのかもわからない。ある種の静寂の中に、鍋の煮立つ音が調和して、より静寂を感じた。息が詰まる、喉が酷く乾いて、心臓の音がやけに早く聞こえる。痛い。僕と他人とを結ぶ空間の中に、見えない棘を感じる。ああ、痛い。
ふぅ。やっとの思いで、息を吐き出して。周りの顔色をうかがいながら、僕は恐る恐る鍋の中に箸を伸ばすのだ。早くこの拷問のような時間が過ぎ去ればいいのに。僕は、鍋の日はいつだってそう思っている。こんな気持ちになるのならば、いっそ僕自身が溶けて無くなってしまいたい。

『あの人に似てきたわね。』
母に、そんなことを言われる。似ているに決まっている。僕は、あなたとあの人の子だ。僕の父は、いつの間にかあの人になっていた。
似ている。だから、なんだって言うんだ。似ている。それが、なにか悪いことなのか。僕の存在自体を否定して、一体何が楽しいのか。父に似てきた僕が、そんなに憎らしいか?
知っている。知っているさ。母に悪気は一切ない。僕のことも嫌っていない。知っている。わかっている。それでも、些細な言葉が突き刺さって、ずっとそのままになっている。
どうだい、僕はどこに存在すればいい。

 鍋の具材と一緒だ。煮えては喰われて、すげ変わってゆく。父も同じだ。今は、義父に。

 箸を持つ手に、ぐっと力がこもる。ダメだ。悟られてはいけない。聞き分けのいい、少しおバカな、いつも笑った、そんな僕を演じなければならない。まるで、道化だ。
 母を許すことができなかった。離婚した後すぐに、たまたま見てしまった母の携帯の画像。義父と二人のプリクラの写真。義父は友人の父だった。
大きな声を出して、喚いて、暴れて。あわよくば、殺してしまいたい。この衝動を隠し通して生きている。僕は、人の皮を被った化け物だ。ああ、彼らを殺さない代わりに、僕自身が死んでいくのでは、割に合わないじゃないか。

まだ幼かったあの日、こんなに鍋が憎かっただろうか。こんなに鍋がつらかっただろうか。
いつからここは、僕の居場所ではなくなった。

何を信じて。何を信じて生きろというのだ。誰を信じて生きろというのだ。この、化け物みたいな自分自身を、どうやって信じろというのだ。誰かを、殺したいほど憎んでいるこの僕自身を、どうやって愛しろというのだ。

そこそこ愛されているはずなのに、胸の奥が虚しいのはなぜだろう。もとから何もなかったのか。いや、鍋に溶かしてしまったんだよ。

昔は楽しかった鍋が、どうしてこうなってしまったのだろう。そう思う日ばかりの日常です。
もしも、人と一緒に暮らすなら、鍋を楽しく一緒にくえる人と暮らしたいし、お勧めしたい。

鍋食って考えたことです。短くてさーせん。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-27

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