茸の牛肉(ぎゅうじし)ー茸書店物語2
神田に来るのは一月ぶりだ。文房堂によってから本屋にいこう。文房堂の一階にいろいろな国の雑貨や可愛らしい作品がたくさん置いてある。それをながめて二階の版画の材料売り場にいった。
若い頃、大学ノートに架空の生き物のスケッチをして、その気になったとき、それを木版画にしていた。ここの版画用のインクはとてもいい。さらに銅版画に手を出して、文房堂製プレス機を買った。今は部屋の隅で埃をかぶっている。また始めるにしても木版画からだろう。などと考えながら三階に登ってみると、喫茶室になっている。
昔は額縁が置いてあったのだが戸惑っていると、ウエイトレスさんが「額は六階になりました」と教えてくれた。額を見てもしょうがないので、下に降り、外に出た。
いつものように古本屋を覗いて、昼を食べにランチョンにはいった。その日はステーキランチにした。ここのステーキは薄切りだが、家庭的な味付けでおいしい。たまに食べたくなる。
ランチョンはビルの二階にある。窓側の二人席にすわると、道路が見渡せる。ランチが来るまで人の往来を眺めていると、裾まである黒いスカートをはいた、背の高い金髪の女性が歩いてくるのが眼にはいった。どこかで見たような人だと思っていると、その女性はランチョンに入った。
すぐに店に上がってきて、ウエイトレスに一人よと言っている。常連のようだ。私のところから少し離れた席に腰掛けた。もしかすると、と考えていると彼女がこっちを向いた。やはり、草片書店の店主だった。
草片書店にはランチョンで食べたらすぐ行くつもりだった。「茸の亡魂」の作者を聞くつもりであった。それに岐阜での出来事を話したかったからである。冊子に書かれていたことに関わるような古い男女の遺骨を森の中で見つけてしまったことを話したら驚くだろう。なんとも奇異なことだった。
ステーキランチが運ばれてきた。彼女が食事を終えて、店に戻るまで、ゆっくりと食事をするしかないだろう。やっぱりビールを頼もう。
食べながらちらっと、彼女の方を見ると、いつの間にか老人が同じ席についている。
後ろ姿からすると、私と同じくらいの年、七十くらいだろう。彼女と老人は親しそうに食べながら話をしている。老人もビールを飲んでいる。彼女はウエイトレスに一人よと言ったということは、偶然に一緒になったのだろうか。老人もランチョンの常連さんなのだろう。
老人の脇には、紫色の風呂敷に包んだものが置かれている。本のようだ。本屋さんの仲間なのか。
そうこうするうちに、ゆっくり食べたつもりなのだが、私の皿が空になってしまった。ビールももうない。彼女がここにいるということは、本屋は開いてないかもしれない。他の古本屋によってから草片書店に行こうと私はランチョンを出た。
その足でひのき書店に行った。ここはサイン本を多く集めているところである。昔泉鏡花賞受賞本を集めていて、そのサイン本を探しにここによく来た。本が所狭しとおいてあるが、見ていくとなかなか面白いものがみつかる。木下順二の戯曲、蛙昇天のサイン本をここで買った。蛙の世界の話だ。寓話である。しばらく棚をながめた後、草片書店に行った。
大きな赤い紅天狗茸が画かれている木製の扉を開けて中に入ると、店主の女性は戻っていて、机に向かって書類に目を通している。
棚の一番奥の、地方で出版された茸の本のところに行くと、店主の女性がふっくらとした色の白い顔をあげた。大きな目で私を見ると「いらっしゃいませ、茸の亡魂はいかがでした」と声をかけてきた。
覚えていてくれたようである。話がしやすくなる。
「面白かったですよ、それで、作者の宿を探していったのですが、住所のところには違う宿があり、本の中で出てくるような骨を見つけてしまいました」
「おや、わざわざ行かれたのですね、それでそんな不思議なことがあったのですか、作者の方が見つからなかったというのはどうしてでしょう、有名な方ですよ、よく知られているのでこちらから執筆をお願いしたのですが」
「そことは違う宿に泊まりましたが、その宿の主人も茸の好きな方でした」
私は宿の名前を言った。
「あら、いやだ、その方ですよ、本にはペンネームを使われたのですよ、あの方あまりご自分を外に出さないから」
彼女は橙色の口紅を塗った大き目の口を大きくあけて笑った。そういう可能性を全く考えていなかった私は、考えが及ばなかったことを悔やんだ。ちょっと間抜けである。分かっていれば、もっと突っ込んだ話が出来たに違いない。
あーあと思ってふと店主のデスクの上を見ると、紫色の風呂敷に包まれたものが置いてある。ランチョンで老人が持っていたものだ。それに目がいっていることに気づいたのだろう、彼女は、
「今、語草片の2号を受け取ったところです」と、風呂敷を解いた。
「印刷所の人が、とりあえず二十冊、届けてくださったのです、お客様もランチョンにいらしたですね」
「あ、ええ、おわかりでしたか、神田に来ると必ず行きます」
彼女は笑顔でうなずいた。ランチョンで見られていたわけだ。あの老人は印刷会社の人だったわけだ。
風呂敷から出てきたのは前買った「茸の亡魂」と同じ形式の小冊子で、やはり綺麗な茸の絵が表紙に描かれている。今度は赤っぽい、猿の腰掛の形をした茸である。タイトルは「茸の牛肉」とある。変な題である。
「福島の茸農家の方にお願いして書いてもらったものです、ごらんください」
彼女が一冊私にわたした。裏を見るとやはり三百円だ。
「いや、これもいただきます」
私は財布から三百円出して、本を袋に入れてもらった。
「ありがとうございます、次は一月先になります」
「そうですか、面白い企画ですけど、ずいぶん安いですね」
「これは、私たちの楽しみです、儲けはないのですけど」
店主は楽しそうに微笑んだ。
「どうして茸の本屋さんをはじめたのですか」
「茸大好き人間ですから」
彼女は胸のペンダントを手にとって見せた。小さなルビーを沢山はめ込んだ、茸の形をした、きれいなものだ。
「見事なものですね」
「知り合いのジュエリー作家が、ダリの宝石で作った心臓をまねて作ってくれたんです、私は茸のよく生えるところで育ったもので、茸の本を集めるようになりました」
「そうでしたか、これからも神田に来たときはよらせていただきます」
「ぜひいらしてください」
彼女が嬉しそうに微笑んだ。
私は、ほけっと暖かくなって、草片書店を後にした。神田に来る楽しみが増えた気持ちでうきうきしていた。
家に戻って茸図鑑を本棚から取り出した。保育社の原色日本菌類図鑑正続の二冊である。高校生のころ、保育社のカラーブックスを好んでいて、カラー自然ガイドの「きのこ」をもっていた。特別茸に興味があったのではないのだが、綺麗なものはみんな好きだった。あるとき、自分とはあまり縁のない科学関係の古本屋にはいると、この図鑑が破格の値段で出ていた。それで買ってしまったのだ。頭のどこかに茸への興味が潜んでいたのであろう。
図鑑を開いた。この冊子の表紙の茸の名前を知りたかったのである。茸の知識がないので、種類や索引から調べることはできない。形から見て行くしかない。猿の腰掛のような形をしているので、そこから調べ始めた。ページをめくっていくと、あった。
カンゾウタケ科、カンゾウタケとある。肝臓のような色と形をしているからだろう。
肝臓茸をウキペディアで調べると、フランスでは牛の舌、アメリカでは貧者のビーフステーキとある。どちらも牛だ。といっても、この茸は食べられるようだが、焼いてもビーフステーキの味がするわけではないようである。この小冊子のタイトルが「茸の牛肉」だから、肝臓茸をスケッチしたのだろう。それにしてもタイトルから内容が想像できない。
短いものだから夕食までに読み終わるだろう。ベッドに寝転がって読むことにした。
書いたのは、福島の郡山で茸を栽培している茸園の社長のようである。
「茸の牛肉」
昔から、このあたりには茸がよく生えた。山の中に入れば滑子や天然の椎茸、もちろん奥の方では舞茸なども採れることがあった。部落の民は田畑を作り、茸や山菜を採って生活をしていた。暮らすには良いところであったことから、後に統率者が現れ、村社会が形成されたころには、農家はかなり恵まれた生活ができるようになっていたという。
その証拠が牛耕である。その昔、牛で田を耕すなどという楽が出来た農家は少ない。しかしこの地では牛で田畑を耕していた。
牛は飛鳥の時代に中国より伝来されたとされるが、その当時から貴重な家畜であって、とても庶民がもつというようなことはなかった。牛は車を引くという役割を担い、牛車に乗ったお姫様や公家のイメージが一般的である。
牛が農家の手に渡るのはよほど後のことで、江戸時代になってからであろう。牛の乳を飲むなどということはもっと後になる。何しろ、牛豚馬は日本人にとって、食べてはならない動物であったからだ。しかも牛は人間の何十倍もの力で田畑を耕してくれる貴重な生きものである。肉を食べるなどということはとんでもないことだったに違いない。
この地は、自然に恵まれていただけではなく、稲がよくできたことから、米を他の地に分けることができた。そのようなことから農家は牛を手に入れることができたのである。驚くことに、その時代に一つの農家に一頭の牛がいることがあたりまえのようだった。牛が飼われることで、さらにこの地を富ませた。
どこの農家も子沢山で、六、七人の子どもがいた。多いところは十人もいる。おかみさんたちは赤い顔をして力持ち、旦那達も筋肉隆々で、力仕事は任せとけといった立派なからだをもっていた。農家というと、なんとなく貧相なイメージを持ってしまうが、ここではとんでもない、男どもはどちらかというと、荒々しい海の男といった感じだ。
子供たちは秋になると、山に遊びに行っていろいろなものを採ってくる。食べられる茸のこともよく知っていて、飯の時には子どもの採ってきた茸が美味しい惣菜としてだされた。
そういった生活が営まれているところだったが、ある年、この地からかなり離れたところの山が火を吹き、あまりにも大きな噴火だったので、影響をかなりこうむった。
火を吹いた山というのは磐梯山のことである。平安時代に大爆発を起こし、明治になってからも大噴火があったことはよく知られている。そのときはそれほど大きな爆発ではなかったのだが、飼っていた牛達が何かにつけ神経質になった。
平安時代に起こった爆発では、直接的な被害はなかったのに、このあたりに異様なことが起きたことは古くからの書物に記載されている。そのころ、家に牛や馬がいたわけではないが、林や森にいる動物達、猪、鹿、兎、鼠まで動きが活発になり、木々や草木も立派に生い茂ったことから、森が大きな怪物のように見え、子供たちが怖がったとある。それに森や林の中では、とてつもなく大きく育った茸が、一面に覆いつくしたとある。何がそうさせたのかちょっと想像がつかないが、空気の温度や湿度の変化、それに、土の中の何らかの成分の変化によるものだったのかもしれない。
江戸時代にも記録には残っていないが、磐梯山の小噴火があったという。そのときは山火事が起きたりしたが、遠く離れたところまでは影響が及ばなかったようである。
磐梯山の小噴火があった数日後、郡山のその村の一軒の家が火事になった。その煙はあたりを覆い、山の森の中にまで漂っていった。家が一軒焼けたが、幸いなことにその家の者たちは誰一人怪我もせず助かった。ただ牛小屋が焼け、牛が一頭焼け死んでしまった。
その日のお昼過ぎ、火事のあったところから、少し離れた農家の子供が、裏山から、籠いっぱいの茸を入れて帰ってきた。
その子どもが牛小屋の前を通ったとき、中の牛がいきなり立ち上がり、後ろ向きになって隅に行ってしまった。子どもは立ち止まり、「どうしたん」と、牛小屋に近づくと、後ろを向いた牛がもっと縮こまっていて動こうとしない。
「父ちゃん、牛が変だよ」
家に駆け込んだ子供が声をかけると、父親がでてきて、「どうした」、とあわてて牛小屋に行った。子供も籠を土間に置くと後を追った。
牛小屋で父親と子供が見たのは、後ろを向いて、ぶるぶる震えている牛の姿だった。
「ほれ、五郎、どうした」
父親が牛の名前を呼んで声をかけると、しばらくして牛はやっと後ろを振り向いて、のそっと歩み寄ってきた。顔を父親の手にこすり付けると、べろっと舌を出して父親の顔を舐めた。
「なにがあったんじゃ」
父親は五郎と呼ばれた牛の鼻筋をなぜ、肩の辺りをたたいた。五郎はそばにいた子供の顔もべろりと舐めた。いつも牛に優しくしている末っ子の末松だ。
牛は落ち着いたようである。二人は家に戻った。
「どうしたんだべ」
「山菜採りから帰ってきたら、おらを見てあんなになった」
「ふーん、なんだべ、わからんな」
土間に入った父親の平蔵は籠の中の茸を見た。
「春なのにずい分たんと茸が採れたな」
「うん、山菜はあまり採れんかったが、あかんべろばっか採れた」
あかんべろは赤っぽい舌の形をした、木につく茸である。そうたくさんあるわけではなく、たまに見かける程度である。このあたりではこの茸を炒めて食べる。生だと酸っぱいが塩で炒めると飯とあう。
「こんの茸あまり生えんじゃったのに、山が火吹いたからかも知れんな」
二人が家に上がると、母ちゃんが帰って来た。隣の家から竹の子をもらってきた。
「今日は竹の子ご飯にしてやるぞ」
父ちゃんも子供たちも、竹の子ご飯が大好物だ。
と、外で大きな声がした。
「五郎がおかしいぞ」
残りの四人の兄弟たちが帰って来たようだ。四人も山菜取りに山に行ったのだが、末松よりもっと山の奥まで入っていった。四人は家に入ってくると、それぞれ背負っていた籠を土間に下ろした。
「五郎のやつ、さっきもおかしかったんじゃ」
父親は、子供たちと牛小屋に行った。五郎がまた後ろを向いて震えている。
「どうした、大丈夫だぞ」
父親が言うと、さっきと同じように、のそりと近寄ってきて、顔をこすり付けた。しばらくすると、落ち着いたようで、みんな家に入った。
父親が土間の籠をみた。
「なんだ、みんな、あかんべろばっかり採ったのか」
「うん、山菜はあまりなかったんだが、この茸ばっか生えていた」
「おかしなこともあるな、この茸は古い大きな木にたまにしか、生えんじゃろ」
「うん、だけんど、どの木にも、この茸がついていた。他の茸はぜんぜんなかった」
他の茸というのは、やはり木に生える猿の腰掛のことである。腰掛けの仲間は春でもいたるところに出ているものである。
「今日は竹の子ご飯じゃから、この茸は食わんよ、明日にしよう、それにしても、こんなに食えんな、皆に配るか」
父親はそう言って家に上がった。子供たちも入ってきた。
その日は、腹いっぱい竹の子ご飯を食べたものだから、みな気持ちよく床に入った。
あくる朝、末松が一番早くに目を覚ました。まだ薄暗い時である。しょんべんがしたくなったのだ。末松は寝小便をしたことのないしっかりした子どもだった。だからしたくなるとすぐ目が覚める。土間に下り、戸をカタカタと揺すって外に出ると、家の脇で外に向かってしょんべんをした。
わると、いつものように、ちょっと牛小屋で五郎をみようと行っておどろいた。
五郎がいない。いつもなら大きな顔をよせて喜んで擦り付いてくるのだが、薄くらい牛小屋の中に牛はいなかった。
大変だと思って末松は家に上がった。
両親もそろそろ起きる時刻である。父ちゃんも母ちゃんもちょうど床から出てくるところだった。
「五郎がいない」
末松がいうと、父ちゃんがあわてて外に出た。あたりが少し明るくなってきている。末松も後をついて走った。
牛小屋を覗いた父親が「うわー」っと大きな声を上げた。
「なんなん」末松も中を覗いた。
牛小屋の中に白い大きなものが倒れている。末松はれが何だか分からなかった。
母ちゃんが外に出て来た。牛小屋のところに来ると「きゃあ」と叫んだ。
「父ちゃん、なんでだ、五郎が骨になっちまっている」
母ちゃんがそう言ったので、末松はそこにあるものが、白骨になった牛の五郎であることがわかった。
「恐ろしいことだ、狼か、それとも鬼の仕業だ」
父親は隣の家に駆け込んだ。戸をたたいて、隣の主人、佐助を起こすと、隣の家の牛小屋を見た。やっぱりそこには牛の骨が横たわっていた。
起きてきた佐助とかみさんもそれを見て驚いたどころではない。
「どうなってんだ、平蔵さん」
「わかんねえ、うちの五郎も死んじまっていた」
「おら、富安の爺さんのところに知らせてくる」
「ああ、たのまあ」
若い佐助は駆け出した。歩くと半時ほどのところの、村の長の家に行ったのだ。富安爺さんは還暦になる村を治めている物知りの爺さんだ。
平蔵は自分の家に戻ると、かみさんと末松を伴って家に入った。その時、土間を見た平蔵がおかしなことに気づいた。
「お前達が採ってきた茸がどこかにいっちまった」
子供たちが山から採ってきた沢山のあかんべろが籠から消えている。
父親は牛をあんなにしちまったやつらが、茸を盗んだと思った。あかんべろが好きな獣が五郎を襲ったに違いない。
その出来事はすぐに村中に知れ渡った。大事な牛を守ろうと、どの家でも牛小屋の周りに柵を作った。
そうしたにもかかわらず、二日後、平蔵の家からちょと離れたところの一軒の家の牛が骨になった。頑丈な囲いを牛小屋の周りに作っていたにもかかわらずだめだった。
鬼か邪の仕業だ。
村の長の富安爺さんは隣の町の神社に祈祷を頼むことにした。
牛の事件が起こる数日前のことである。森の中には春の茸がそこそこ生えて、こんな話をしていた。
「磐梯山の噴火は大したことがなかったということだな」
「ああ、磐梯山の麓の林に生えている茸のやつがそう言っていたということだ、磐梯山の方から逃げてきた鶯がいろいろ話をしてくれたよ」
「しかし、一つの林が燃えたそうじゃないか」
「そうらしいな、そのあたりの人間の家も、牛小屋も燃えちまったそうだ」
「それがな、火がついた牛が、逃げてきて、森に逃げ込んだのはいいが、そこで、燃えてとうとう死んじまったそうだ」
「ほー、そりゃかわいそうに」
「ところがな、その燃えた牛の匂いがいいこと、たまらなく、腹が減ってきたそうだよ」
「我々茸が腹を減らすということがあるのか」
「ないはずだけどな、そりゃ動物たちはものを喰って生きている、だから、腹がすかなきゃならないのだが、我々は腹がすく必要はない」
「だけど、そこの茸がいうにはな、今までになかった気持ちだそうだ、腹が減るというのは悪い気がしないそうだぞ、何とかそれを満たしたくなる、あらたな本能がそなわったということだな」
「だけど、満たされないと、つらいということになるな」
「そうだ、その欲求が大変なことを引き起こしたらしいぞ」
「どんなことが起こったんだ」
「そこの茸が歩いて、燃えた牛の上に集まったのだそうだ」
「茸が歩いたのか」
「本能の欲求とはすごいものらしい」
「それは分かるが動物の世界だと思っていた、人間なら、性の欲求から、人間の本質である抑制が消えて、男は女の後を追うという」
「そうだ、よく知っているな」
「人の世界を飛び回っているカラスが言っていたよ」
「そうだよ、もし、我々茸に人間の本能、欲求がそなわったら、動くようになるし、何かを喰おうとする」
「それで、焼けた牛の上に集まった茸はどうしたんだ」
「牛を食った、焼けた牛の肉は言葉にはならないほど旨いものだそうだ、骨までしゃぶって、その牛は白骨になったそうだ」
「ほー、焼けた牛はそんなに旨いのか」
「それからどうなったんだ、その茸は」
「いろいろな茸だったのが、皆同じような形になって、牛の焼けた肉のように真っ赤になると、木にぶら下がるようになったそうだ」
そこへ鶯がやってきた。
「牛を食った茸たちが、疎開して、この森の方に向かっているそうだよ」
「なんだい」
「なんでも、また、磐梯山が火を吹きそうで、森ごと燃えちまうといけないから、猪苗代湖の周りを通って、郡山の方に向かっているそうだ。このあたりなら大丈夫だからな、俺もあそこじゃ怖いからここまで逃げてきたのさ」
鶯は糞を一つ落すと飛んでいった。
「どんなやつらだろうな」
茸たちがそんな話をしていた数日後、赤い茸が群れて森の中に入ってきた。
その茸たちは、木の幹に取り付いて、草の中を見下ろした。
下草の間に生えている、もともといる茸が見上げてその茸に尋ねた。
「燃えた牛の肉はどのような味がした」
「ああ、何というか、昔なら、土の中から栄養たっぷりの濃い水分を吸い込んだような感じというのかね」
「我々も牛の肉を食えるかね」
「そりゃ、喰えるさ、喰いたいという欲求が強まればな」
「どうしたら、欲求が生まれるものかね」
「時を待つしかないだろう」
その時である。疎開してきた茸たちが一斉に傘を動かした。
「牛の焼ける匂いじゃないか」
地上に生えている茸たちも傘を動かした。確かに、何かが焼ける匂いがしてくる。いい匂いである。それは一軒の農家が火事を起し、牛小屋に火がまわって、牛が焼け死んだ匂だった。
こうして、この地の茸も腹が減るという現象を味わうことになったのである。煙が森の中にただよってくると、だんだん喰ってみたいという思いが強くなった。茸たちはぴょいと動いてみた、動ける、すると、木の上に登ってみたくなり、疎開してきた茸たちと同じように木の幹に取り付いたのである。
そこに農家の子供たちが籠を背負って登ってきた。
「末松、おらたちはもっと上に行くから、お前はこのあたりで山菜探して帰れや、ここなら危なくない」
「うん」
という声が聞こえると、男の子が木に付いている茸を採り始めた。
「あかんべろばっか生えてる」
そういいながら、籠一杯茸を採った。
その夜、土間に置かれた籠の中に詰め込まれていたあかんべろは抜け出すと、牛小屋に行った。そこで、五郎に災難が降りかかったというわけである。茸たちは生の牛肉でも良かったようである。
あかんべろたちは五郎を骨だけにすると、隣の家の牛の骨もしゃぶって、裏山に帰っていった。
「生もなかなか旨いな」
食欲がとまらなくなった茸たちは、少し離れたところの農家の牛小屋も襲ってしまった。
さて、村の長の富安爺さんが隣町の神社で鬼退治の祈祷をしてもらっているとき、一人の少年が平蔵の家の裏の森に火を放った。火はあっというまに燃え広がったが、上にあがる風にあおられ、見る見るうちに木々が燃え上がり、煙が立ち昇った。平蔵やふもとの家の者総出で、火消しにあたったが、山は丸裸になってしまった。幸い風邪の具合で、平蔵の家や麓の家には火が移らなかった。
生活はすぐにもとにもどった。
なぜかそのこと以来、そのあたりの農家の牛が骨になるようなことはなかった。最後に牛が襲われたのは、佐助の家の隣の農家の牛が最後だった。
富安爺さんは祈祷のお陰とみなに自慢をしたが、山に火をつけた少年は理由を知っていた。その少年は、平蔵の家の牛が食われたあと、しばらくして牛が襲われた農家の長男だった。
この長男は平蔵の隣の佐助、やはり牛が食われた家だが、その長女とねんごろになっていた。夜中に二人で、自分の家の牛小屋の脇の藁置き場でまぐわっていた。夢中になって何度も楽しみ、彼女が家に帰った後、少年はその場で寝込んでしまった。夜も更けてから、ふとぺちゃぺちゃという音でその少年は目が覚めた。
すると、牛小屋で牛が倒れている。しかも、もう骨だけになっている。その骨に、無数の赤っぽい茸が取り付いてぺちゃぺちゃ舐めている。あかんべろだ。茸が何でこんなことをするのだ、気丈なこの少年は、茸たちを追い払った。茸はあわてて猛烈な勢いで走り始めた。少年も追いかけた。
そして、少年が見たのは、あかんべろたちが、自分の家の裏山を駆け上がっていくところであった。少年は後を追って森に入った。月夜ではあったが、真っ暗でほとんど何も見えなかった。ただ、一番後ろを走っていたあかんべろの姿がほんのりと赤く見えたので追いかけると、脇の木の上に登り、すまして取り付いてしまった。もう少し先まで行ってみると、すべての木にあかんべろがくっついていた。
少年は悟ったのである。あかんべろは牛を食っちまう。
それで、誰にも相談せずに、自分の家の裏山、すなわち平蔵の家の裏山に火を放ったのである。
こういう話であった。
この話に筆者の経験談を加えておこう。
原発事故で放射能が漏れ、郡山のあたりの茸も採取できなくなった。それはずい分長い間続き、今でも放射能量の検査はなされている。この場所は放射能の風の通り道のようなところで、原発事故現場から離れてはいるが、無視することのできない量が降りそそいだところだ。今では普通に生活は出来るが、茸の生産は気を使わなければならない。
私は避難する必要はなかったが、茸栽培はもう出来ないと、とりあえず、影響をほとんど受けていない長野の茸栽培の会社に雇われて、そちらに移住した。安全になり、自分の茸園が再開できるようになったら戻ろうと思ったのである。それで五年経った2016年に戻って茸栽培を再開した。
戻ってきたとき、住んでいるうちの近くの山に行ってみた。以前はよい散歩道であり、自然の茸を採取するところでもあった。ここは余り人が入らないところのためなのか、放射能チェックはなされていなかった。歩いてみて驚いた。カンゾウタケ、すなわちあかんべろが木々に鈴なりになっている。まさかと思いながら、山の奥にまで歩いてみた。恐るべきものを見た。猪が数頭、白骨死体になっていた。何かの原因で死んで白骨化したのか、それとも他に原因があるのか。ついつい、木に鈴なりになっている肝臓茸に目をやってしまったのである。
どこかで、牛が犠牲になっているのではないか、もし、ここのあかんべろが牛を襲っているところを目撃したら、必ずこの山に火を放そう、話の中の少年のように、そう決心したところである。これも、大地震と原発事故の後遺症である。
読み終わると、私はなぜか今頃になって、ランチョンで食べたステーキの匂いが胃から口の中に漂ってきた。
「今日食べたのはあかんべろだよ」
誰かの声が聞こえた。目の前の皿の上に、焼きたての肝臓茸がのっている。
まさか、首を横に振るとあかんべろは消えていった。そのあと、そのまま寝てしまった。次の日目を覚ますと、頭の中で福島の郡山に行ってみたほうがいいと自分の声が聞こえた。
そう思いつくと、三日後に行く手はずを整えた。著者の茸園にいくつもりだった。
その茸園をインターネットで調べると、電話番号が記されていたので、尋ねたい旨を伝えた。いつでもどうぞということだった。
行ってみると、山間のかなり広い敷地を持つ茸園であった。その茸園は茸だけではなく、他の野菜も作っていた。
語草片叢書を書いた、もうすぐ六十になろうという茸園主の武田さんは、端正な顔をした背の高い人であった。小さな声で、
「いや、お恥ずかしい、読んでいただけたのですか、文章というものを始めて書いたものですから、分かっていただけるかどうか自身がありませんでした」
俯きかげんに言った。
「いや、面白かったですよ、こんな伝承が残っているとは面白いですね、しかも、原発事故のご経験もすごい」
そういうと、農園主は私を見て笑窪を寄せた。正直そうな人だ。
「いや、すみません、あかんべろの言い伝えは聞いたことがあったので、そのように書きましたが、私の経験は、確かに猪が一頭死んでいたことは事実です、しかし白骨になっていたわけでありませんし、何で死んだか分かりません。あかんべろがあったことも事実ですが、まさか、伝承のようなことが起こるわけがないでしょう、ほとんど想像です、作り話です」
「その森は遠いのですか」
「すぐそこですよ、行ってみますか」
そう言われて、私は「是非」と案内してもらった。
そこは茸園のすぐ隣であった。森の中は明るい光が差しこみ、よく外国の森の写真にあるような気持ちのよい場所である。
広葉樹林の森で、歩きやすい綺麗な道が続いている。
十分も歩いただろうか。道の脇の下草の中に、白骨化した猪の死体があった。
「そのままにしてあるのですよ、余りいじりたくありませんから、この中の放射線量を調べたのですが、人には影響のない値でしたけどね」
そう言って、武田さんは白骨死体の脇の、大きなブナの木の幹を指差した。そこにはずい分大きな肝臓茸がくっついていた。
「大きな、あかんべろでしょう、あれを書いたときより、大きくなっていますよ」
そう言って、彼は目を木の裏側にやったとき、なぜか顔を青くした。
「あれは」
と言いながら、下草をかきわけて、ブナの木の裏を覗いた。
私も付いていって驚いた。大きな猪の白骨死体が二体、少し黄色かかってきた羊歯や菊の類が覆いかぶさってころがっていた。
「あれを書いた時には、ありませんでした」
武田さんはあかんべろを見た。ぶなの木の裏側にも二つ付いていた。
「戻りましょう」
彼は私に帰るように促した。
茸園に帰ると、
「奇妙なことですが、何か理由があると思います。保健所と相談します」
武田さんはちょっと緊張していた。
園にもどると、表情も落ち着き、茸園そのものを見せてくれた。
よく整えられている茸園である。
帰り際、「またきてください」と茸園の採り立ての椎茸を持たせてくれた。勝手に押しかけて、土産をいただいてしまっては悪いと断ったのだが、彼は読んでいただいたお礼だと言った。こうして私は豊かに育った椎茸をもらって家に帰りついたのである。
まさか武田さんがあの森に火をつけたりしないだろう。ちょっと、そんなことも考えなかったわけではない。
しかし、あくる日、武田さんにお礼の電話をいれると、「解決しました」と、明るい返事があった。なぜかほっとした。どうしたのですかと聞くと、
「あそこは、年老いた猪の死に場所のようです」
と答えた。
本当だろうか。また頭の中で疑問がもたげてきたが、打ち払うことにした。彼は小説家の素質を持つ人なのだろう。
茸の牛肉(ぎゅうじし)ー茸書店物語2
私家版 第十茸小説集「語い草片、2021、246p 一粒書房」所収
版画:著者