おとうさんのあたらしい仕事

 ハローワークでみた、ひとたちが、みんな、ちゃんと毎日せいかつできるように、がんばってほしいという祈りは、なんだか、すこしだけ、おごりたかぶっているひとのようだと思いながら、ぼくはバス停で、バスを待っていた。学生服。これを着ていられるのも、あとわずかだと思うと、うれしいような気もするし、さびしいような気もする。おとうさんが、ハローワークに、毎日通っていた頃のことを思い出すと、ぼくは、ちょっと、気分が悪くなるのだった。いまは、もう、おとうさんは、あたらしい仕事をみつけたのだけれど、ぼくが生まれる前からやっていた仕事を、辞めさせられたときの、おとうさんは、いつも、この世のおわりみたいな表情をしていたし、正直、とてもこわかった。おとうさん、というなまえの、骨組みに、肉や脂肪をはりつけただけの、ただのかたまりのようだった。生きているはずなのに、死んでいるみたいで、死んではいないのに、生きてもいない、それは、おとうさん、というなまえの、つめたい人形だった。おかあさん、という存在が、いれば、当時のおとうさんは、職を失っても、おとうさん然としていただろうにと、かんがえることもある。おかあさん、というひとは、おおきな意味を持つひとであることを、ぼくは、十七才にして知ったのである。だって、おかあさん、なんて、ぼくが一才のときには、とっくにいなかったらしい、ので。
 しかし、毎日、ビジネススーツを着て、地味な色のネクタイをしめて、朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってきていたときのおとうさんと、いま、乳白色の作業着で、週に三日、夜の九時から、朝の五時までの勤務をしている、おとうさんとでは、断然、いまの方が、にんげん、という感じがしている。燃え尽きて、落下した星の亡骸をひろいあつめるのが、おとうさんのいまの仕事である。それは、なにも、とくべつな仕事ではなくて、資格なども、ひつようはないそうだ。週三日、決められた勤務時間に入れれば、だれにでもできる仕事であると、おとうさんは云っていた。それでいて、正社員として雇われ、夏と冬にはボーナスも出るというのだから、それって、ちょっと、話しがうますぎやしないかと、ぼくは訝しんだのだけれど、おとうさんは、会社は至ってクリーンでホワイトなのだと主張する。
「でもな、けっこう切ないんだ。やっぱり星だって、遠い空のどこかで生きていたもので、その死骸を、弔うのだからな」
 夕飯のカレーを、お鍋でことこと煮込みながら、おとうさんは言っていた。宇宙に散りばめられた星屑、惑星、ぼくらの住んでいるこの地球も、生きているのだって。生きているから、地球は、海があって、山があって、草木が育って、水が湧いて、にんげんなどのいきものが生活できて、さまざまな循環が起こって、その循環が滞り途絶えない限りは、死なないのだって、おとうさんは語っていた。でも、地球は近い将来、あぶないだろうなぁ、とも。
 ぼくは、時刻ぴったりにやってきたバスに乗り込みながら、そのときのことを思い出していた。それから、おとうさんのように、星々の亡骸と、ひとつのおわった命から目をそらさずに、ちゃんと向き合えるのかを想像して、ひとり、しんみりとしたまま、いちばんうしろの席に座った。

おとうさんのあたらしい仕事

おとうさんのあたらしい仕事

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-03

CC BY-NC-ND
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