夜明け前

 都会、という場所はいつも、近くて遠いのだ。蝶に取り憑かれた先生が、どことなくざらついた手で、ぼくのうでに触れたとき、ああ、と思ったのは、先生が、確実に、人間から離れていっていると、実感したからである。先生の皮膚は、蝶の翅のような色彩を持ち、濡れたように光る。十二月のおわり、というのは、すこしだけ、夜のおわりに似ていて、もうまもなく夜明け、という頃の、時間帯にうまれる感情、それは、あたらしい一日への焦燥と希望がいりまじったようなものだ。こわいくらいの恋愛ってやつを、今年はしなかったなぁと呟いた、ネムが、来年は、でも、もこもこのマフラーでそっと首を絞められるような恋愛がしたい、と述べたとき、ぼくの表情が歪んだのは決して、コーヒーに砂糖とミルクを入れ忘れたから、ではない。いつ訪れても静かな、商店街に昔からある喫茶店の、いちばん奥のテーブル席で、ネムのはなしをきいているあいだにも、先生は、きっと、蝶に蝕まれている。冬休み。夏休みもだけれど、学校が休み、イコール、先生に毎日逢えない、というのは苦痛以外のなにものでもなく、じぶんがまだ、気軽に家に遊びに行けない立場であることも、しんどい。いまも、生徒、と呼ぶには親密過ぎて、でも、恋人、などというはっきりした関係でもない、この微妙な感じには、なんだかなぁと思うことがある。ネムのいう、こわいくらいの恋愛にも、もこもこのマフラーでそっと首を絞められるような恋愛にも、等しく、つまりは、おだやかじゃない恋愛を、ぼくはしているのだと想って、ひとり憂鬱になっている。都会に住んだらそういう恋愛できそう、と言ってネムが、注文したチョコレートパフェの飾りのウエハースを、かじる。もうすぐ、おわりのはじまり。

夜明け前

夜明け前

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-29

CC BY-NC-ND
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