おわる十二月
たりないもの、を、しずかにかぞえる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、と、かぞえているあいだに、ひとつめから、また、たりなくなってゆく。物。人。心。森。湖。街。国。星。等。
二十二時、テレビを消して、窓を開けて、空を見上げるとき、きまぐれに祈る行為が、だれかのためになることを、信じてやまなかったのは、もう、むかしのことで、教会、に行かなくても、祈りは届くと思っていた。十四才。おとうさんに、首を絞められたときよりも、ショックだった。ぼくの、ぼくだけの祈りが、なにかを救う瞬間は、なかったのだと、いままでも、これからも、打ちひしがれて、砂浜で、ただ波にさらわれるのをまっているだけの、からだを、ぼくは横たえている。甘いカフェオレを飲んで、もう、逢えないみたいにあつかわれている、ひとたちが、でも、えいえんの別れじゃないんだよと、笑っているすがたに、なにかしらの感慨は、あって、十二月も、残り数日だから、かもしれない。おかあさんの、弾力、みたいなものを、思い出すのは、お風呂に潜ったとき。本屋さんで、これだ、とひらめいて手に取った本が、人格を百八十度変えることも、ある。博物館の、展示ケースのなかには、たいせつなひとたちが眠っていて、街は、ぼくを、ひとりぼっちにした。静寂が突き刺してくる。
おわる十二月