第三話 チャイナアドバイス


 ──西暦二◯二五年十二月八日 東京都北区 JR宇都宮線 赤羽駅付近

「そのままで」
 囁かれた声に戦慄と懐かしさを覚える。
 顔を上げると、そこにはナカハラが立っていた。左手は吊り革を掴み、右手は自分を指している。親指と人差し指を直角に曲げ、まるで輪ゴム鉄砲でも撃つかのように。
 彼の契約している悪魔から考えれば、それは最悪の脅迫であった。
「刀の悪魔はどこですか、師匠」
「何故だ」
 師匠と呼ばれた初老の男は、白毛交じりの眉をピクリとも動かさずに云った。
 質問によりこの場の主導権を握ろうとしている。
 ナカハラはすぐにそう考えたが、出方を探るべく、応えてやることにする。
「仇討ちです」
「下らん、止めとけ」
「次の駅で降りてもらいます」
 両者は互いに目を合わせ、そのまま離さない。
 ──と、そのとき。
「……あれ、ノゾムじゃん」
 彼に話しかける者がいた。
「あ」
 彼女の顔を見て、冷や汗がナカハラの首筋を伝う。
「ホノカ」
「ノゾムこっちだっけ?」
 ホノカはそう云って、乗客の間を縫って近寄り、ナカハラの隣に立った。
「……何してんの、それ」
 ナカハラの右手を見て、怪訝な表情を浮かべる。
「あ、これは」
 思わず、手を引っ込めてしまう。
「なんか寒くて」
「なにそれ」
 ホノカが軽く笑う。
 その笑い方を見て──ナカハラは大学生に戻ったような心持ちとなった。
 師匠へちらりと目線を落とす。彼は文庫本を取り出して、それを読むポーズを取っていた。
 まずい。
「ねぇー」
 ホノカがスマホを弄りながら話しかけてくる。
「なんかまた公演やるとか……聞いた?」
「え、うん」頬を掻く。「聞いた聞いた。コイケがやるんでしょ」
「あ、そうなの? レオンが云い出したのかと思った」
 次の駅までアト2分。
 師匠は大人しく降りるだろうか。
 それとも、今日は逃すか──。
 否。
 刀の心臓を狙う奴らは沢山いる。それに、こうして師匠とコンタクトを取ったことで公安にマークされるだろう。
 今を逃せば、その正体を掴むまでかなりの遠回りになってしまう。
 しかし──、
「これこれ! 新曲超良かったよ」
 ──見せるわけにはいかない。
 その姿を(・・・・)

──西暦二◯二五年十二月八日 埼玉県川越市 無添くら寿司川越店

「なんで俺と一緒にいるわけ?」
 Pはいくらの軍艦巻きを飲み込むと、意を決して訊いた。
 テツヤが、かき込んでいた茶碗蒸しから顔を上げる。
「どゆこと」
「だから、俺といたら危ないでしょ」
「いやまぁ……」
 テツヤがモニターに手を伸ばす。サーモンとカンパチと瓶ビールを頼んだ。
「Pちゃんは?」
「安全なとこにいて欲しい」
「や、違う。注文」
「あ、あ~……。……蟹の味噌汁なかったっけ」
「ない」
「じゃあマグロお願い」
 マグロを2皿追加して、テツヤは注文を終えた。
「昨日、はぐれたときどこ行ってたの」
「どこにも。その後すぐ合流できたじゃん」
 Pが肩を落とした。
 テツヤは斜め上に目線を逸らして、お茶をすすった。ぬるい。
 気がつけば、店内のスピーカーからチャイナアドバイスが聴こえている。
 和風に寄せろよ、とテツヤは心で突っ込んだ。

  『次は 赤羽です』
  『まもなく 赤羽です』
  『出口は右側です』

 ──ドアが開く。
「……あのさ……」
「何?」
「俺ここで降りるから」
「え、こんなとこで? 何で?」
「なんっ……ていうか」
 言い訳を考える。いくらでも思いつくはずなのに、何故か一つも出てこない。
 チラリ、と師匠に目をやる。
 いつの間にか席は空っぽだった。
「!? クソ……ッ」
 咄嗟に振り返る。
 窓の向こう、ホームを駆けていく姿。
「──ごめんっ!」
 口走った謝罪を置き去りに、走り出し、ナカハラは閉じかけたドアに上体をぶつけた。両手を隙間にかけ、無理矢理にこじ開ける。
 ピンポン、ピンポン、と電子音が鳴って、ドアが開いた。
 ホームに転がり出る。
 師匠の姿は──数メートル程離れている。階段のすぐ近く。降りて、人混みに出られたら一貫の終わりだ。
 慌てて右手を伸ばす。
 射線を遮る者はいない。
 開いた手の平を、林檎を握りつぶすように、思い切り閉じた。
 一陣の風が舞う。
 不可視の閃光が走る。
 視界の先で、師匠が音もなく倒れた。

「朝のニュースに出てるレポーターに、タイプの子がいてね。毎日そのニュース番組を見てたんだ」
 Pがマグロを頬張ったのを見計らって、テツヤが語りだす。
「でも、ある日その子の年齢詐称が発覚して……、そこから芋づる式に、昔の彼氏とか悪行がテレビで流されるようになった」
 咀嚼するP。
 テツヤはビールをグラスに注ぐ。
「その子はそれでも朝のニュースに出続けたんだけど……、俺はその番組を見なくなった」
「あの──」Pが嚥下する。「……コンビニで騒いでる動画の人?」
「そうそれ」
「人ってどんな風になるのか分かんないな」
「いや……。その子が変わったんじゃなく、変わったのは俺の脳みそだ」
 テツヤが、人差し指を伸ばして、自身のコメカミをつつく。
 Pが空になった皿を隙間へと落とす。するとモニターが切り替わり、アニメーションが流れ出した。
 2人が視線をやる。武士のようなちょんまげのキャラクターが、レースを行い、そして落とし穴に落ちていった。外れである。
「……何の話?」
「嫌われんのはキツイよねって話」

 師匠のコートのポケットを漁り、二つ折りの財布を取り出す。
 なかを開くと、沢山のカードや紙が挟まっていた。
 ──サウナのクーポン券、眼科の診察券、クレジットカード、動物病院の診察券──。
 歯が震えだす。
 ──スーパーのポイントカード、ローソンのレシート──安い白ワインと6Pチーズとコアラのマーチ──。
 心臓が小さくなっていく。
 ──千円札が3枚。百円硬貨2枚と、十円6枚、一円は3枚――。
「……ごめんなさい……」
 ──定期券。4歳くらいの少女の写った写真。トイザラスのレシート──。
「ごめっ…」
 そんななかに紛れて、公安のIDカードが入っていた。これを使って今夜中にログインすれば、過去の出現地点について情報が得られるだろう。
「つ… あ…」
 うつ伏せになった身体の下から、血が一筋だけ流れてきて、スニーカーに染み込んだ。かなり深い切り傷があるはずなのに、こんなものなのかと思う。
 ナカハラは頭を抱え、土下座するように丸まった。身体の震えが収まらない。前髪が血について濡れたけれど、気にする余裕もない。
 そんな彼を、通り過ぎる人々は怪訝な目で見下ろした。皆が無干渉を貫いて、歩き去っていく。
「ホンット…… 何っ…、してんだ俺ぇぇぇ……」
 懺悔するように、許しを乞うように、声を絞り出す。
 と。
「……何やってんの……」
 ハッとして振り返る。
 ホノカが覗き込み、眉をひそめていた。
 ホームの蛍光灯を背に、その顔は逆光で暗い。
「あ……」
 なんで、降りてきたんだ。
 俺を追いかけてくれたのか?
「その人どうしたの……? 駅員呼んだほうがいい?」
 またもや言い訳が出てこない。
「これは……酔ってるだけっぽいから、」
 生唾を飲み込む。
「呼ばなくて、大丈夫」
「……」
 ホノカが屈み込んで、師匠の顔を覗く。
 明らかにシラフの表情と色だ。飲み慣れているホノカには一目瞭然だろう。
「……いいんだね、呼ばなくて」
 彼女の声のトーンが、明らかに一つ下がった。
「ごめん」思わず謝ってしまう。「黙ってて欲しい」
「……。いいよ」
 ホノカは師匠の死体を見下ろしたまま、そう呟いた。
「なんか事情があるんでしょ」
「うん。事情が──ある」
 云って、立ち上がる。恥ずかしい姿を見られたと今更ながら後悔する。
「自分のため?」
「いや、これは違うかな……」
「……ノゾムは優しいんだから」
 ホノカが振り返り、優しく作り笑いを浮かべた。
「ほどほどにしなよ」


つづく

第三話 チャイナアドバイス

今回短っ
次回はバチバチの殺し合いをします。誰が死ぬでしょ~~~か。

第三話 チャイナアドバイス

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-25

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