まだ恋を知らない

 好きという想いが、ふりきって、ぎゃくにきらいになるパターンって、あるよねと、きみが、よくわからないことを、憂鬱そうに話す、二十一時の、すでにやっていない図書館の前の、石のベンチ。冬は、殺人的に冷たい、それに、わたしたちは座っていて、べつに、なにを待っているでもなくて、さむいんだから、はやく、家に帰ればいいのにって言われそうだけれど、なんだか、そういう気分じゃない日の、こと。
 ゆうれいが、おどってる。
 車道のまんなかで。
 センターラインをまたいで、とんで、はねる。ときどき、車がやってきて、通過する瞬間だけ、ゆうれいは、きえる。おとこか、おんなかは、ふめい、髪はみじかい、でも、ワンピースみたいな服を着ている。おとな、にもみえるし、わたしたちとおなじくらい、にもみえる。十八才、十九才、はたち。このあたりの年齢って、けっこう微妙で、制服を着ているか否かで、判断するしかない感じ。あのおどりは、果たして、なんのおどりなのかしらん、バレエダンスか、タップダンスか、ヒップホップダンスでは、なさそう。そういえば、ひるま、この図書館の敷地のなか、中庭のようなところに、一週間に一度、くまが、アイスクリームを売りにきていて、わたしたちは、二週間に一度、アイスクリームを買いに行くくらいで、図書館そのものとは、無縁だと、いつも、おとずれるたびに思っている。本といえば、さいきん読んだのは、ともだちに借りた、薄い文庫本、よくある少女漫画を、小説にしたような内容だったけれど、おもしろいといえば、おもしろいし、ばかみたいといえば、ばかみたいだった。こんな女子も男子も、わたしのまわりにはまずいない、というのが、真っ先に浮かんだ感想。ちょっとだけ、からだのなかに、つまっているものが、ぞわぞわとする読み心地、皮膚の内側、血管や肉、骨のあいだを、細やかないきものが、はいまわっているような、けれど、不快、というのではなく、なんだろう、わたしはえいえんに、その感覚に慣れないのではないだろうかと、一瞬、ふあんになった。恋だの、愛だの、好きだの、愛しているだの、キスだの、エッチだのというもの、行為を、別次元のなにかとして、みているのは、初恋もしたことがないから、なのか。ともかく、きみのいう、好きが過ぎて、きらいになるパターンというのも、きらいになってみても結局、また好きになってしまうという、出戻りパターンも、いまいち、わからないのである。もうすぐクリスマス。

まだ恋を知らない

まだ恋を知らない

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-22

CC BY-NC-ND
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