なにもしらない

 かわいそうないきものたちは、あの一角、町はずれの森に、封じ込められているので、だれも、かわいそうないきものたちの正体を、しらない。かお。かたち。長さ。ぼくたちとおなじ、にんげん、と呼べるいきものであるかも、定かではなく、しっているのは、町の、えらいひとたちだけだという。ひとり(という数え方があっているのかは、わからないけれど)、なのか、たくさんいるのか、みんな家族、なのか、それとも、いくつかの家族の集合体なのか、なにを食べているのか、朝は目覚め、夜になると眠るのか、勉強はしているのか、学校や会社、役所、病院というものは存在するのか、スマートフォンやパソコンなどの通信機器は、まず電気はきているのか、呼吸は肺か、まさかエラか、恋愛はするのか、生殖行為は、だれかにやさしくしたり、思いやったり、愛したり、反対に、だれかを傷つけたり、うらんだり、貶したり、泣いたりするのか、春になったらお花見をして、夏にはかき氷を食べて、秋は紅葉をながめて、冬になると雪遊びをして、一年を過ごしているのか。そもそも、ぼくらのことを、しっているのだろうか。星が丸いということは。海はしょっぱくて、真夜中のコンビニは時として、灯台のようであることは。
 二十三時の交差点で、きみと、手を繋ぎながら死のうと思ったとき、どうか一瞬だけ、すべての愛を集約したストールで、ぼくらを包んでほしいと祈った。神経を焼き切るような、そんな現代で、みんながさまざまな苦しみを抱えていることを、たぶん、きっと、忘れてしまっている。みんな、とは、即ち、都合のいい犠牲。個体にとっての。

なにもしらない

なにもしらない

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-15

CC BY-NC-ND
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