空よりも鮮やかなモノクロの世界

キャンバスを染めた一滴の赤

都心から三駅。電車に揺られ郊外へ。
車窓から見る夕空はだんだんと明度を失い、まるで果てのない水面に垂らした墨汁が辺りを浸食して行くようだった。その癖ビルの隙間から突き刺さる夕陽は真っ白で。灰色で構成された世界で痛い程主張してくる。
 「...どうせ見えやしないのに」
1人呟く。色覚異常の目では、この眩しい光が赤く見えることはない。きっと“夕焼け”の意味だって理解できる日は来ないだろう。灰色の世界で唯一認識できる白色は鮮烈で美しく、故に他の者一切を拒絶する冷たさを持っていた。
 改札を抜け、雑踏の中へ踏み出す。仕事を終え、くたびれたスーツを着て自宅へ向かうサラリーマン。居酒屋の提灯や床屋の回転ポール、様々な看板立ち並ぶ駅前の商店街。ふと無邪気な声が聞こえ振り返ると、ランドセルを背負ったちびっ子たちが駆け抜けて行った。
「ゆーたのランドセルかっこいーよな!」
「当たり前だろ!赤はヒーローの色なんだから!」
ヒーローの色、か。夕焼け。提灯。看板。ランドセル。私の目には何一つ赤く見えるものは無かった。
正義も悪も私の世界では等しく燻んでいるらしい。
 
 感傷に浸っていたせいか、私は重要なことを忘れていた。
 
   赤は正義の色である前に、
     __警告の色でもあるのだ

歩行者用信号の上段の四角。鈍く光る灰色が何を示しているかに気づいた時にはすでに遅く、つんざくようなブレーキ音が聞こえた。

「危ない‼︎‼︎」
気がついたら私は歩道側に突き飛ばされていて、目の前には怒ったように肩を怒らせ此方を睨めつける少女が1人。
「あんた死にたいの⁉︎赤信号無視するなんてバッカじゃない⁉︎ガキじゃないんだから!」
怒り心頭で、でも今にも泣きそうな顔をして尚も叱り続ける少女。モノクロな視界じゃわからないが、興奮してまくし立てる彼女の顔はきっと真っ赤になっていることだろう。
「ちょっと、聞いてるの‼︎」
訂正。泣きそうではなく泣かせてしまった。
「ごめん。赤信号に気づかなくって...私、色が分からないの。助けてくれて本当にありがとう。」
私と同じで高校生くらいだろうか、涙目になった彼女の瞳を見つめ礼を言う。
「そう、なの...」
一瞬目を見開いた彼女から、ストンと力が抜けたように肩が下がる。声も先程の勢いは何処へやら、胸に何か支えたような話方。

_ああ、いつもの反応だ。色覚異常のことを知った人は皆、奇異なものを見る目で、あるいは同情したような目線で此方を見つめてくる。
_可哀想ね_
_あの子はちょっと特殊なのよ_
_皆んな気遣ってあげてくださいね_
まるで自分とは“違うモノ”そんな風に一線を画した視線が苦手だった。健常な皆んなと異質な私。二色に分断された世界はいつもどこか寒気がする。_モノクロな世界はずっとずっと、何かが欠けているような心地がした。 視線に耐えられず、目を伏せてきつく手を握りしめる。



「良かった」
_えっ_
思わず顔あげれば、泣き笑いの顔をした彼女がただただ嬉しそうに、ほっとしたように笑っていた。
「心配したんだから。..本当に死ぬつもりでやったんじゃないかって、」
「生きててくれて、良かった」

_赤だ_ そう、思った。
紅潮したままの顔も、まだ目尻に涙の残る目元も
優しく見つめる視線も。

 それはきっと夕焼けのように鮮やかで、握り締めた拳を優しく解いてくれる手のように温かい。

 灰色の世界を温もりで染めた、私を救い出したヒーローの色だ。

極彩色の世界でモノクロに焦がれる

「...やーっぱり気づいてなかったんだ...」
 教科担任に書類運びを頼まれて訪れた美術室。入り口で鉢合わせした見知った顔に目を見開くと、ドア枠に額縁のように収まった少女が1人。描かれた少女の瞳は見事なジト目を此方に向けていた。

「茜ちゃん、美術部だったんだね」
先日車道で轢かれそうになっていたところを助けてくれた少女。名は茜と言うらしい。まさか同じ高校の生徒だったとは思わなかったが、世間は案外狭いらしい。
「私はあんたのこと知ってたよ。彩白(いろは)さんでしょ。
 3組の学級委員の。」
「うん。まあ名前だけだけどね。」
せっかく来たんだから、絵も見てかない?
そう言って茜は、描き途中のキャンバスの前に彩白を案内する。
「...夕焼け..」
そう。あの日_彩白と駅前で会った日。凄い綺麗な夕焼けだったんだよね。キャンバスをじっと見つめたまま、声だけで茜が応じる。筆を持った手は迷いがなく、流れるように布地の上を滑る。筆が一閃するたび四角く切り取られた空が紗をかけたように暮れていき、まるで刻々と変化する夕空を絵の中に閉じ込めたようだった。
「私も見てみたかったな...」
気がついたらそう呟いていた。あの日_モノクロの世界を小さく染めた赤。その赤を絵の中に閉じ込めて残しておくことができたら_そんな事を思った。
ふと視線を感じてキャンバスから目を逸らすと、茜が筆を止めて私をじっと見つめていた。

「彩白にも見えてるよ。」

一瞬。目をみはり固まった。茜はキャンバスの縁を慈しむような手つきで撫でながら尚も続ける。
「彩白は太陽って何色か知ってる?」
_そんなの...赤、じゃないの?私には白にしか見えないけど。
「そう。日本人は皆太陽は赤だって言うよね。でも外国の人からすると、金だと言う人もいれば黄色だと言う人もいる。彩白と同じで白だって言う人もね。」

「色に正解なんてないと思うんだよね。人によって感じ方は違うし、その時の気持ち次第でも変わる。自分がみたい色を信じていればいいんじゃない。」

_白は何色でもないから、どんな色にもなれる。彩白はむしろ誰よりも綺麗な色が見えるかもしれないね_そう言って茜は笑う。ふとあの日の赤ー泣き笑いの表情で優しく笑う茜が頭を過る。
「...茜ちゃんには、この夕陽はどんな色に見えるの」
_うーん...どんな色かはわかんないけど、描きたいのは、こんな感じの温かい色だよ。
そう言って彼女は私の手を握る。一瞬。キャンバスがあの日見つけた茜色に染まったのを見た気がした。
****
 その日から彩白はよく美術室に通うようになった。窓から斜めに挿す西陽に照らされキャンバスに向かう茜。床に長く伸びた影はいつも一人分で。少しの遠慮もなく床に大胆に広げられた画材道具も合間って、放課後の美術室は茜の居城と化している。一度、あまりの人気の無さが気になり部員の人数を尋ねてみたところ、満面の笑みでブイサインを向けられた。いや、茜ちゃん...部員二人だけって割と部の存続の危機なんじゃない...そう突っ込みそうになったが、有無を言わせない圧を感じて押し黙った。
「今日は花を描いてるんだね。カーネーション?」
「あたり。今日貰ったんだ」
そっか。友達?それとも彼氏から?
そんなわけないでしょ。普通にクラスの子だよ。
何気ない会話をしながら、茜の握った筆先を眺める。この穏やかな時間が彩白は好きだった。赤は二人で見た夕焼けの色。繋いだ手の温もりの色。青は水のように澄んだ色で、黄色は日向ぼっこの色。楽しそうに絵や色について語る茜。その声が波紋となってモノクロにしか見えなかったキャンパスに鮮やかな色が広がっていく。
「その花、どんな色なの?」
「オレンジだけど...私が描きたいのは青かな。
知ってる?青いカーネーションの花言葉は“永遠の幸福”なんだって。ムーンダストって言う品種で...月みたいな優しく包み込む色、なんて素敵じゃない。」
口元に笑みを浮かべ、こてんと首を傾げる茜。
そっと。手を伸ばして被写体になっていたカーネーションを取る。杖のようにくるりと回せば、ふわりと漂う甘さの後にスパイシーな、冴え渡る月光のような清廉な香りが広がる。
「うん。とっても綺麗な青色だね。」
香り立つそれを茜の髪に挿して言う。
「へ?...あっ」
きょとんと首を傾げる姿を尚も見続ければ、合点が言ったのかにやっと笑う茜。
「でしょ?」

 橙色のカーネーション。2人で見つめた月の花(青い)
******
 「失礼しまーす。先輩いらしゃってたんですね。何書いてるんですか...お花?」
先輩の手元をみれば、柔らかな色彩で描かれたたんぽぽ。
 
  「珍しいですね。先輩が”色”を使うなんて。」
コンクールで入賞したクロユリの絵。灰色の夕焼け、黒いカーネーション。
 

極彩色の世界でモノクロに焦がれる 重ね色

 放課後、1人キャンバスに向かう。パレットに出す絵具はいつも決まって三色のみ。色の三原色。それらを混ぜれば世界は極彩色に染まってゆく。悲しみの藍にお日様色の笑顔をかさね、ふつふつと込み上げる仄暗い赤は爽やかな空色で覆う。

 重ねて、累ねて、繕って。混じりあった色が行き着く先はいつもまっくろ。
***

「あ、先輩お疲れ様です。いらしてたんですね。」
 最終下校の十分前。放課後追試を受けていて行けなかった部室に顔を出してみれば、先輩が1人、まだ残ってキャンバスに向かっていた。...まあ独りも何も、この美術部には茜先輩と私の2人しか居ないわけだが。
「今日は何を描いてるんですか...って先輩!描くのもいいけどちゃんと片付けてくださいよ..」
危うく躓きかけた黒い花の絵のキャンバスをどかす。部屋を訪れる人が殆ど居ないため、床には先輩の画材道具や作品達が大胆に広げられている。最近は展示会の応募が近いのもあり、さらにスペースを侵略し始めたそれは、さながら先輩の孤城と化している。
 手に付く範囲を片付けながら王の間を目指せば、

更新中

空よりも鮮やかなモノクロの世界

空よりも鮮やかなモノクロの世界

“色”に焦がれる、モノクロの世界を生きる少女と、 極彩色の世界に溺れ、染まる事のない“一色”を望んだ少女。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-13

Copyrighted
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  1. キャンバスを染めた一滴の赤
  2. 極彩色の世界でモノクロに焦がれる
  3. 極彩色の世界でモノクロに焦がれる 重ね色