世界線シンドローム
みんな、平等に、血と肉と、骨と皮膚を、あたえられている。のに、なにかが欠落し、過剰に植えつけられ、うまれる差異に、くるしみ、思い悩むひともいて、個性ってだいじ、とか、そういう風に割り切れるようになるまで、じつはけっこう、大変だと思う。だいすきなきみが、ぼくの心臓を撫でるとき、そっと、やさしさだけが膜となって残ればいいのに、ときどき、不必要なものが塵となって付着している、気がする。
朝のバケモノが、なんだか、かなしみを湛えたまま、海に沈んだとか、なんとか。そちらの世界では、そうなんですねと、冷静に言って微笑む、図書館のおにいさんが、ぼくは、たまにこわかった。こちらでは、真夜中のひとびとがさいきん、現れませんで、というのも、夜に、お店をあけることがなかなか、むずかしい世の中になって、真夜中のひとびとの居場所が、なくなってしまったのですよ。あの、図書館のおにいさんは、正直、図書館、という場所にはそぐわない、あやしさが、あった。あやしいって、わるいことをしていそうとか、やばいことに手を染めていそうとか、そういうのではなくて、なまめかしい、という感じ。いやらしい、ともいえる。本に埋もれて死にたい、などと宣言しているひとでもあるので。朝のバケモノも、真夜中のひとびとも、ぼくらがうまれるまえから、あたりまえのように、そこに、存在していたものが、時代の波や、積み重なる歳月に、おいつめられてゆく。あっさりと、切り捨てられる。
ざんこくだよね、現実って。
図書館のおにいさんが、その長い指で、ぼくの前髪に触れて。それだけなのに、まるで、からだのなかを暴かれているみたいで、やっぱり、こわいと思った。あいまいな十一月の、おわり。
世界線シンドローム