星間交流
まよなかの、交信。学校の屋上から、問いかける、だれかに、生きている意味を、いつも、かんがえている少女と、ちいさな犬が、しらない星のだれかに、届くようにと、祈りにも似たもの。そのあいだ、わたしたち、土鍋なんか囲んでいる。こたつのなかで、ビールを飲みながら、土鍋のなかでぐつぐつ煮えたぎる、キムチ鍋を、おもいおもいにつつく、むかしは少女だった、わたしたち。たしかに、生きている意味をかんがえる夜も、あった。
あのね、さいきん、やめたの。SNS。
たんじゅんに、なんだか、あわないような気がしたから。べつに、そこに、なにかを求めているでもないし、じぶんの生活を、思考を、言葉を、だれかに共感してもらいたいとか、わたしの存在を、まるでしらないだれかにも認めてもらいたいとか、そういう、俗世間でいうところの、承認欲求などを、わたしは持ち合わせていないようだし、あんがい、さっくりやめられた。けれど、想うに、SNSでいいねをもらうことが、生きている意味にも、つながるような時代なのかな、いまは、という感じ。あたらしい缶をあけて、グラスにビールをつぐ。わたしの右隣の子が、たばこ吸いたい、と言う。この部屋の主である、わたしの真向かいにいる子が、ベランダでどうぞ、と答える。左隣の子は、もくもくと、白菜を食べている。
きっと、だれかとつながっていないと、不安、というより、じぶんはここにいる、ここで生きていると、主張して、認識してもらえないと、じぶんを保てないのだと、みんな、どこにいても、なにをしていても、さびしくて、その、漠然としたさびしさを埋めるためのツールなのだと、わたしは思う。それを、かんたんに満たせる、べんりなもの。でも、ひとによっては、なんだか、からっぽになるもの。紙一重。
グラスいっぱいについだビールをひとくち飲んで、ひそかに願ってみる。
こんにちは、こんばんは、しらない星の、だれか。
きこえたら、応答ください。
どこかにいるはずの、少女と、犬が、さびしくないように、と。
わたしはだいじょうぶだから、と。
星間交流