夏のへび

 へびがいた。
 夏の、ばかみたいに暑い日の庭に、へびはいた。にょろにょろ、とも、しゃー、ともせず、へびは死んでいるように、じっとしていた。
「縄みたい」
 ノアは言った。
 夏の頃のノアは、まだ確かに『ノア』だった。
 ノアというなまえの、ノアという容姿の、ノアだった。ぼくが、ノア、と呼ぶと、なあに、と答えた。いまのノアは、ぼくが、ノア、と呼んでも、へんじをしないので、秋のあいだにノアは、ノアではなくなったようだった。冬のノアは、なんだか覇気がない。
 夏の庭にいたへびは、けれど、死んではいなかった。もちろん縄でもなく、ちゃんとへびだった。
「あれはきっと、あおだいしょう」
 ノアはみょうに元気だった。蝉の声がうるさくて、ぼくは窓を閉めたかった。なにより茹だるほどに暑かったし、あおだいしょうも、この陽気に辟易としているのかもしれないと思った。へびの区別、というものが、ぼくにはつかないので、いまとなってはそのへびがほんとうにあおだいしょうだったのかもわからない。

 夏を越え、秋を受け流すように過ごして、ノアは、『ノア』より、『のあ』の方がしっくりくるものになったなぁと、ぼくは思う。
 のあはテレビを観ている。
 十一月のおわりから十二月のはじめに放送される、長時間の音楽番組を、とくべつにだれかを観たくて、とかではなく、なんとはなしに、これしかやっていないから仕方なく、というような面持ちで観ている。全体的にぼんやりとしている。はんぶん透けている人間のようだ。
(あのときはまだ、生き生きしていたのに)
 そうめんの茹で上がりを知らせるキッチンタイマーが鳴り、ぼくはその場を離れたのだ。ノアに、ごはんにしよう、と声をかけて、ノアは、うん、と言いながらも、庭のあおだいしょうを、しばらく見つめていた気がする。そうめんを流水で冷やして、めんつゆを冷蔵庫から取り出しているあいだに、ノアは台所にやってきた。
「へびも熱中症とかになるのかな」
 おおまじめな顔で、ノアは聞いた。
「変温動物だからならないんじゃないの」
 ぼくは言った。へびなどの爬虫類が変温動物なるものであることは、理科の授業で習って知っていた。
「へんおんどうぶつ」
 はじめて聞き覚えた言葉かのように、ノアはつぶやいた。へびの種類はわかるのに、そういうのはわからないのか。思ったけれど、ノアならばその可能性もさもありなんと思い直した。三把茹でたそうめんの二把ほどを、ノアがたいらげた。麦茶の入ったグラスを片手に庭に面した窓際に立ち、ノアはため息を吐いた。
「いなくなった」
 萎れかけた朝顔の下で丸まっていたへびは、いつのまにかいなくなっていた。
 ノアはさびしそうなまなざしを庭に向けたまま、麦茶を飲んでいた。

「のあ」
 なまえを呼ぶ。
 のあは、声は発さないけれど、ぼくの方に視線を寄越す。
 いまののあは少しだけ、あのへびに似ている。
 気がする。
 テレビのなかではたくさんのアイドルたちが、踊って歌っている。きらびやかな衣装を身に纏い、王子さまみたいなひとたちが、笑っている。
 ノアはいつもにこにこしていたのに、のあは仏頂面だ。
 あの夏、ノアの心はへびに吸いとられてしまったのだと、ぼくはときどき、そんなことを想う。

夏のへび

夏のへび

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-27

CC BY-NC-ND
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