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 日記が完成した、と表現したりしないと思うのは、日々の出来事や思いなどを綴る日記は、日記を書いている人が生き続けている限り続く。だから、日記が書かれなくなるのは、その人が日記を書けなくなったからであって、日記が完成したから、とはならないからなんだ。
 そう思って、私の手元にあるこの「完成しちゃった日記」を表から裏、裏から表とひっくり返して、嘘がないことを確認し、何食わぬ顔で私の手の中に収まっていた背表紙に貼られたレタリングの番号を見て、その数字が、日記を書き始めた17歳から大分時を経た現在の私より少ない分、軽くなったような気持ちを抱え、「うーん」と唸って、結論づけた。
 うん、じゃあ、これは日記じゃない。だって、私はこうしてまた誕生日を超えたのだ。
「ショッキングピンク、なんて聞いただけでクラクラしそうな若さを超えて、書き続けた思いに表れない貴方、なんて書き出した日の嘘八百は夜な夜な私の寝床に現れては、セミダブルの外周を何周もする百鬼夜行を飽きずに繰り返しているんだ。提灯片手に片足を浮かせ、鳴らない下駄を床にぶつけて、その様子を見つめる私と目が合う度にウインクをする。のっぺら坊に、ろくろ首、一反木綿に、ヤジロベエなどなど、コミカルな風体の妖怪の姿を正しく借りて、間違えて身に付けて。」
 触れれば揺れる、左右のヤジロベエ。妖怪たちに紛れたこのキャスティングミスの原因は、きっと貴方にあるんだ、なんて可愛く責めてみても、貴方に届かないこの一冊の文章群、私が綴った思いの数々をアンタッチャブルにする大切さを忘れていない。
 だから、面白可笑しく、この一冊を貴方に送り付けて、ねえ、お得意の夢診断でもしてその結果を送ってよ、メールでも何でも。ねえ、ねえ、なんておふざけのだる絡みをするアイデアをすぐに捨てた。
「だって、私の元から失われたトゲ付きの尻尾は、今もまだのたうち回るあの動きを止めないよ。尻尾があったお尻の付け根はあの痛みを忘れていない。」
 貴方の名前を使わずに、完成させちゃった日記の日々に輝く思い出は、貴方じゃない顔をした相手と過ごしたみたいにも読める。それがいいのか、悪いのか。記憶って不思議なくらいに食い違うものだけど、日記に影響されて捏造までしてしまいそうだから、怖い。
 貴方を乗り越えるつもりで始めたお遊びに、付き合ってしまう度に貴方との思い出がより深掘りされる痛さも経験したし、もうごちゃ混ぜ状態。整理したくて海を見て、ため息を沈めたくて空を仰ぐ。転倒しそうな頭を支えて、床に寝転ぶ真昼が明るくて、私の方が先に眠ってしまう。
 そうする度に思い出せる、あの空間にいつも戻る。
「デジタルが進める刻が浮かんだあの泉で、貴方が倒れて消えたんだ。」
 こうしてやっとつける嘘。貴方が恋しい、なんて言ってみたいのにね。
 あの無機質で優しい空間は、機械の原理と構成部品に支えられて、大きな物語の文脈を息づかせていた、んだよね?その場で言われて、納得した説明だったけど、私はそれ以上に光と輝きに重い瞼を動かした。あれは多分LED?うん、まあ違ってもいいんだけど、あの冷たさがすごく良かった。敏感な肌には、大事な要素だと思った。強く、鋭い痛みだからこそ、回復は性急じゃなくていい。とっても時間をかけていい。あの空間は、だからどこまでも時間を食べるんだと思う。そうして、その手足を伸ばすことができるんだと思う。誰かに触れるかもしれない、その手に足。その頃には、肌も心も厚くなっていればいい。こんがり焼けた暑い肌を動かして、白く笑って、駆け足で追い付いて、思いっ切り齧ればいい。お母さんにも、お父さんにも。他にも色々、皆んなみんな。
 無機質に託せる、大事な思い。
「痛い!」
 って言えることは、とっても大事なんだってあの空間が教えてくれた。貴方が手にしたと思う備え付けのパンフレットを、私は手に取らなかったけど、何かしたいって思った。あの空間を作った人が小さな子供たちに話しかけていた映像を見ているときに、私の靴の中の外反母趾が黙り込んでいたことがその証、って伝わりにくいか。貴方が隠したものみたいに、分かりやすかったら良かったんだけど。
 いつも副音声みたいに話した貴方に、ストレートに答えていた「私」。
 貴方が話さなかった、過去の出来事を噛み砕いたかもしれない、私の話。



 東山魁夷さんの絵は、ユニコーンが出てくる以降の作品がすごく好き。可能性に満ち溢れていて、謎が謎を呼んでいて、描き足りない飢えみたいなものが感じられて、見ているこっちもドキドキする。画が破裂しそうなイメージの圧力って感じ。伝わるかな。どうかな。
 なんでユニコーン?って思いはするよ。「ユニコーンって(笑)」って言っちゃう気持ちも分からなくもない。漫画好きな君だったら、「ペガサス流星拳!」って感じかな。神話の馬ってことでは共通してるでしょ?そんなに間違ってないよ、そこは。
 いや、私が言いたいのはそんなことじゃなくて、ユニコーンを題材にした作品とその前の作品のギャップでね、静止しているような風景画もいいんだけど、ユニコーンの絵の方が「THE 東山魁夷」って感じがバシバシなの。あの人だからこその歌ってあるでしょ?声とかだけじゃなくて、一曲の雰囲気が歌手の人のイメージに染められているやつ。他の人が歌ったら、ただのモノマネにしか感じられないあれ。
 君と観た『バックコーラスの歌姫たち』に出ていた有名バンドのボーカルさんも言ってたように、ただ上手いだけじゃ売れないみたいに、上手ければいい、じゃないなーって東山さんのユニコーンたちを見て納得するの。技術は必要、でもそこに必要なプラスアルファが世界に響き渡る躍動感を生むんじゃないかなって。見た目もそう、振る舞いもそう、キャラクター付けだってその躍動感に役に立つ。でも、プラスアルファはそれ以上を求めるんだよね。時代、って胡散臭そうな言い回しもやっぱり必要な「ブンミャク」なんじゃないかな?ふふん、「ブンミャク」の使い方、合ってるでしょ。君がよく使うからね。漫然小僧なんちゃらってやつだよ。ああ、そういうツッコミは要らない。冷める冷める。要らね、要らね。
 なんでユニコーン?って疑問は、もしかすると東山さんも答えられないかもしれないって思うんだ(って振り返る私をイメージしたりして!)。
 で、東山さん本人は、それでいいって思ってるかもしれない。訳の分からないものの力ってあるからね。幽霊や妖怪以外にも、理由なんて要らないパワーってあるんだよ、きっと。とり憑かれた本人が伸び伸びしちゃう秘密のお付き合い、みたいな?表面的なところじゃその全容が分からない、深い深い関係。すっごく長い時間をかけて、少しずつの元気を必ずくれる象徴、みたいな?ああ、何が言いたいのか分かんなくなってきたけど、要するに東山さんが虜になって、見ているこっちに一度も顔を見せないぐらいの惚れ込み方みたいな関係に、見ているこっちがドキドキするんだよ、きっと。
 だからさ、あの人が描いたり、作ったりしたあの子たちも一緒なんだよ。色んなことを訊いてみたくもなるけど、口にシーって指を当ててさ、太々しさとか可愛さとか、皮肉っぽさとか優しさとか、全部ひっくるめて関係してみようよ。ヘタウマとかよく分かんないけど、あの子たち、ああしてこうして待ってるじゃない。家の中を覗き込んだりしてさ、星みたいなお皿に綺麗な顔を映したりして、オープンに待ってるよ。何が知りたい?って。
 でさ、こっちもさ、「べっつにー。」って感じで塩対応してさ、横目でお互いをチラチラ見合うの。で、目が合っちゃたりしたときに、あっちもこっちも思いっきり照れちゃう。それで仲良くなれたら最高じゃない?ロックンロールにノったりしてさ、お互いにばらし合ったりすればいいんだよ。こっちの秘密も、あっちの秘密も。そうして同時に蓋をするの。決して破れない誓いを立てて、小指の同盟関係を宣言する。
 勿論、声を上げたりしないよ。マナーはとっても大事だからね。全てはウチらの「ここ」の話。
「ヒミツリニ」に、事は進むのさ。
 プライベートな仲ってそんな感じなんじゃない?だからさ、祈り終えた後に、ニヒルに笑おうよ。絵の中のあの子と、君と私みたいにさ。
 
 

 『繰り返しは強迫に、そしてリズムを生む。
 動機は、もしかすると幼き頃から見ていたとする幻想を乗り越えるためだったかもしれない、なんて定型文みたいな分析を内心で片付けつつ、虚心坦懐、見つめ続けたい作品が並ぶ。
 徹底した緑の蔦の絡みが妙に心地よく、近付く、離れるをこちらも繰り返す。
 舟のオブジェをぐるっと回ると、その外側より内側の気持ち悪さに眉根を寄せてしまう。自身の内臓を投影させて、取り込まれる感じを強く感じるからか。こちらには近付きたくない気持ちを抱きつつ、怖いもの見たさの興味が尽きない。
 男めいた横顔が上下運動するみたいに並ぶ一枚は、赤と余白の白に惹かれ、細胞の一つみたいな運動を想像する。意味深なタイトルを目にすれば、粘着きも生まれる。血流を生む動機は見当たらない。だから一層、迫るものを感じる。
 最後に覗く空間は、昇華された一つの結論として受け取りたくなる。誰も知り得ない彼女のように。』
 そう打ち終わって、「どう?」と尋ねた男の肩に顎を乗せた女が黙る。暫く続く沈黙。
 カーッ!と鳴いた鸚鵡がその言葉を繰り返す。
 
 

 モノハハモットシッテカラ。
 ソレグライ、ジカンヲカエタクテ。

「もの派はもっと知ってから。
 それぐらい、時間をかけたくて。」



 こう記すと、不気味で素敵。まるで貴方が悪いみたいな印象を与える、一方的過ぎてズルい一文になっているんだろうけど、大丈夫。あのカッコ書きを噛み砕いた私の口は、こうして綺麗に磨かれた。丸くなって、その高さが全部揃った。それが原因になったなんて知らなかった、私がこうして「会いたい」って言えない。
 奇妙奇天烈は面白い。その文脈は確かに続いている。そこにあるのは確信で、脈々と続く美術史を常に意識した試みになっている。やり過ぎなくらいに評価軸を打ち出したその方法は、不快に思えるものも含めて、「うん」と頷ける。雑多が触れる肌感覚に総毛立つし、皮肉に絡まる爽快感も否定できない。透徹な視線から逃れない対象が、より過剰に踊っているように映る。徹底した仕方は、鑑賞していた私にも及んでいるようで、固まる凝りを探したくなる。照明に照らされ、張り付いた影を剥がしたくなる。最初っからパンチのある空間。現代アートにまた、一歩踏み込んだ感じ。
 デフォルメされた襲名の歴史が一番のお気に入りで、隈取メイクにも流れる奇想天外のイメージが文化となった不思議に目を奪われた。ストーリーの面でも暴れ回るだろう、突拍子もない表現が型になり、重みを増し、舞台で魅せて、魅せられた人々を巻き込んで、その一公演が終わりを迎える。それが繰り返される凄みは、確かに世界を揺さぶるんだと思う。日常にある窪み、そこに手を突っ込んでしまえば、こんなに華やかな場所が生まれてしまう。カーニヴァルみたいなひっくり返し方は、ハレとケの、どっちだっけ?
 日本画とか、浮世絵とかの知識が乏しい私は、すぐに葛飾北斎とか思い浮かべちゃうんだけど、ああいう描き方にも奇想天外さを感じてしまうぐらいに私の見方は変えられてしまったみたい。やっぱり、実際に見てみないとその良さが分からないって痛感した。赤いのも、青いのも、また踏み潰された彼らの歯の色も、迫力あったし、面白かった。貴方も見てみてよ。私みたいに毛嫌いしないでさ。
 途中にあった紹介文、そして数々の年表に表れていた文脈の推移も、各国の文化の違いや偏見や、時代の流れみたいな諸要素がぶつかり合って色んな渦を巻いていた。どれも興味深くて熱心に読んだ。そのせいで、なんて言いたくないけど、足が疲れてしまって、なのに最後にあんな素敵な映画が流れていたものだから、全体を満遍なく観たくて、一番後ろに立ち続けた。だから、もう一つ勧める。
 席が空いてたら、座った方がいい。最後までじっくり観るに値する映像美があるから、疲れない方がより集中できる。ちょっと、疲れに気を取られた私の助言。
 写真に挫折した私は、無条件に写真を褒めてしまうところがあるから、自分でも気を付けたいところなんだけど、あの明暗、あの重みはどうして生まれるのか、訳が分からなくて悔しかった。
 私が撮った写真にある、あの狙った視線がどこにも無いから、本当に凄い。各作品の背後に誰もいない恐ろしさ。
 一線で活躍する理由なのかなって、思った。活躍してきた、あの足跡が眩しくって仕方ないんだから。

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-04

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