永久に近くて遠い、きみ
永久に、きっと、そこにいるのだろう、美術館の、展示物を保管してある一室に、不完全なままのきみは、いて、ぼくは、清潔なベッドではない、無機質な寝台に横たわる、きみの、皮膚に描かれた蝶、からだを舞う青い蝶と、きみを想って、すこし泣く。
紫色に光る湖が、ときどき、朝焼けのなかにとけて、きえる。消失するものを、愛おしく思う癖が、あるひとびとが、きまぐれにあらわれる、星の裂け目に憧れている頃、生きとし生けるものものの生命力で糸を紡ぎ、やさしい衣を縫うひとたちが、だれかのためにきょうも、ちくちくと針を刺す。駅のホームですれちがうだけのひとや、コンビニのレジのひと、ゴンドラに乗って高層ビルの窓をそうじしているひととか、公園のベンチでおにぎりをたべているひとなどに、僅かばかりの、親しみ、という感情を抱くようなものだろうかと思いながら、ぼくは、美術館の敷地内にある喫茶店で、カフェオレを注文する。できるだけ、きみの近くに、いたいと思う。
しかし。
祈りや、願いが、ほんとうに叶う日というのは、全人類、いや、すべての生命体に、用意されているのだろうか。例えば、ひとりひとつ、順番に叶ってゆくものとして、果たして自分の番は、いつになったらまわってくるのだろうと想像してみては、気が遠くなる。また、あの、ていねいに温度調節された、窓のない保管庫にいる、きみが、祈りや願いを秘めていたとして、だれが一体それを、聴き入れてくれるのだろうか。
やっぱり、かみさま、なのかも。
姿形も、その存在も、おそらくほとんどのひとが判然としないで、けれど、なにかとすぐ頼られがちの、かみさま。
あたたかいカフェオレが運ばれてくる。黒いエプロンをしたお店のひとは、美術館に飾られている石膏の彫刻みたいに、うつくしい造作の顔のひとで、ぼくは一瞬、見惚れる。
ぼくは、きみの祈り、願いを、知りたいと思うし、知りたくないとも思う。ぼくは、きみに、ぼくの理想をおしつけてしまっている節があるから、ぼくのつくりあげた勝手なきみの理想像が、音を立てて崩れてしまうことを怖れているのだ。ぼくは、わがままで、身勝手で、ひとりよがりの、こどもだ。ただ祈り、願うことしかできないから、たぶん、一生、きみのそばには、いけない。
すりガラスから射し込んでくる、午後のやわらかな陽光のぬくもりを肌に感じながら、ぼくは静かに目を閉じた。
永久に近くて遠い、きみ