砂時計

 お土産屋でも時計屋でもない我が家に、どうしてこんなにたくさんの砂時計があるのか、 疑問に思ったのは、つい最近のことだ。そう、あたしが中学へ進学した秋のことだった。
(でも、なぜ?)

 そのことを考えるといつも授業は頭の中を素通りしていく。
 父の集めたものではないのは確かだ。砂時計が置いてあるのはキッチンの棚だから。 それも白い砂のものばかりで、母の趣味ということだろうか。あたしは授業が全て終わると、 一緒に帰ろうと言う友だちの申し出を断って、何かに背中を押されるように、走って帰った。

 家に帰ると、母が紅茶とお菓子の準備をしているところだった。あたしは自分の部屋に かばんを放り込み、さっさと着がえて、母の待つダイニングへと急ぐ。

(今日こそ聞こう。)

 頭の中はそのことで一杯で、お菓子も目に入らないくらい、どきどきしている。

「ねえ、お母さん」
 ごくん、とつばを飲み込むのがわかる。悪いことを聞くわけでもないのに。
「なあに。待ってて、この砂時計が落ちきるまで」
 母は、紅茶には少しうるさいのだが、その分とても美味しい紅茶を出してくれる。
 それで、あたしは黙って待つことにした。
 

 しばらくの沈黙のあと、母の方から聞いてきた。
「さっきはごめんね、七重。それで、なあに」
 差し出された紅茶を一口すする。やっぱりすごく美味しい。
「あのね、お母さん」
 こんなことを聞いてもいいのか、正直あたしはどう切り出そうか考えていた。あたしの緊張が
伝わって、手を添えたカップとソーサーは、かちゃかちゃ震えている。

「キッチンの棚に並んでる砂時計のことなんだけど」
「ああ。全部白い砂の、でしょう」

 あたしはどきりとして、つまんでいたビスケットを、テーブルにこぼしてしまった。
「あらあら」
 母は、さっさとビスケットの粉を掃除し、テーブルについた。
「あれはね、お母さんが小さい頃からさがしているものなの」
 母は、紅茶を少し飲み、話し始めた。


 母が幼い頃、日曜日だけ屋台を引いてやってくるお兄さんがいたそうだ。その屋台は、 中のものを守るためにほろがかけられていて、中身はよくわからなかった。そして必ず、 公園で店を開くらしかった。
 最初は気味が悪くて、誰も近づかなかったけれど、売れる様子もないのに、毎週店を開く。 そして気にした様子もないように、毎週必ずやってくる。

(どうしてだろう)

 そのうち、不思議さに負けて、母は屋台をのぞいてみたという。

 中にあるのは、全て砂時計だった。
 赤や青、緑だけでなく、なんともいえない色の砂を使った砂時計もあった。例えば日の沈む 直前の空の、ばら色の砂のものや、孔雀の羽のように鮮やかな青緑、海の青。満開の桜の色を したものもあったそうだ。

「うわぁ…」

 じっと見入るように、一つ一つ手に取っては眺めていると、ふと母は、気付いたことがあった。

「白い砂時計が、ない」

 母の口からぽん、と飴玉が飛び出すように出てきたことばは、屋台のお兄さんにも聞こえてしまったらしい。

「ああ、それはね」
 お兄さんはゆっくりと母に話し掛けた。
「ぼくが作った砂時計はね、みんな自然の中から少しづつ色をもらって、作ってるんだ」
 そういって、二つの砂時計を取り出した。

「これは何色に見えるかい、おじょうさん」
 母はおじょうさんと呼ばれ、どぎまぎしながら答える。

「この色は…たかちゃんの家の黄色いカナリヤ色だ」
「当たり。じゃあこっちは?」
 そういってもう一つの砂時計を、母の方に差し出したそうだ。それはほんのりと熟れた白桃の皮の ような、柔らかな色をしていたそうだ。

「桃…かなあ」
「そう。白桃からもらった色だよ。おじょうさん、君はいい眼をもっているね」
 

 最初は母は、からかわれているのだと思ったそうだ。子供をだまして砂時計を売りつけているんじゃないか、と。
 でも、砂時計を手に、あれこれ話しているお兄さんの眼は、とても真剣で、うそには思えなかった のだ。それで母は、疑問に思っていたことを聞いてみたそうだ。

「じゃあ、どうして白だけがないの」
 するとお兄さんの顔は急にくもった。
(悪いことをきいたのかな)

 母がうつむいてもじもじとしていると、
「白い砂時計は、今の僕では作れないんだ」
と、お兄さんは淋しげに言ったという。
「なぜ。だって自然から色をもらっているんでしょう。白っていっぱいあるよ」
 母は、指折り数えた。ウサギの白、チョークの白、雪の白……

「そう、僕が欲しいのは、雪の白さ」

 まっすぐと母を見て答えたお兄さんの眼は、自分を通りこして、もっと遠くを見ているようでも あったそうだ。
「自然界には完全な白は、ないんだ」

 何も入ってない砂時計を母に見せながら、続けた。
「空っぽだよ、これ」
「これにね、色をつけるんだ」

「僕は、ふるさとの雪原を、ほんの少し砂時計に閉じ込めたいんだ。でも雪は溶けて水になるだろう? そうするとこの、色のついてない砂時計の砂は、固まってしまうから」
 お兄さんは空っぽの砂時計を元の場所に戻しながら、言った。

「だから、白い砂時計は、まだないんだ」
 

 少しづつ店を片付けながら、お兄さんの言葉は、暮れていく日のように消えてしまいそうだった。
「じゃあ、出来上がったら、わたしきっと買うよ」
 母は、ほっぺたを染めながら言った。
 お兄さんはほんの少し驚きながら、でも、うれしそうに、
「うん。きっと作ってみせるよ」
と、ほほ笑みながら、言ったそうだ。

 その日を最後に、お兄さんは屋台を引いて公園に来なくなった。その時母は、思ったそうだ。
 きっと、砂時計を作りに、ふるさとへ帰ったのだと。

「……ていうことがね、あったのよ」
 母は、少しさめた紅茶をすすりながら、つぶやいた。ビスケットに手を伸ばしながら、母は続ける。

「だからね、白い砂時計を見ると、つい買っちゃうの。ああ、お兄さんの砂時計が、ついに出来たって 気がして」

 窓の向こうの遠いところを見つめる母の横顔は、何故だかいつもより幼く見えた。
 

 あたしは、喉の奥まで出かかった言葉を、冷めた紅茶で飲み下した。それぐらい母は、その思い出と 砂時計たちを大切に思っているって、わかったから。

「紅茶、冷めちゃったわね。いれ直そうか」
 母は再びお湯を沸かし、お茶の用意を始める。
 ことり、と砂時計を傾けて、お茶の葉がひらくのを、二人でゆっくり待った。

 母のお気に入りだという、その白い砂時計の中に、あたしは、見たことのないまっさらな雪の大地が 広がっていくのが、見えた気がした。

砂時計

砂時計

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-02

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