黄昏、影が咲く

17時を知らせるチャイムが鳴って、大半の子供連れは帰路につく。
今日のような祝日にはそれなりの賑わいを見せるとはいえ、田舎町の小さな遊園地。
終業時刻はその辺のスーパーよりも早い。
人が疎らになる時間を見計らって入場した僕は、出入口のゲートへ向かう人の流れに逆らうように中央の観覧車を目指して歩いた。
辿り着いたそこは予想通り空いていて、待ち時間ゼロで乗ることができる。
僕を見て変な顔をした案内係に、一人で乗ってもいいだろ、と心の中で抗議しながらチケットを数枚渡し、ゴンドラに乗り込むと、それは緩やかに上昇を始める。
空は曇っていて、見晴らしはあまり良くない。
おまけにゴンドラの中の空気が生温いから、気を抜くとうっかり眠ってしまいそうだ。
アクリル板に頭を預けて、眠りたい、と思う。
眠ってしまいたいんだ。
あの日から、もうずっと。
何もかも忘れて覚めない眠りについて、夢の中で君に会えたなら、どんなに。
そんな妄想を、飽きることなく繰り返している。


空に憧れるんだ。

いつだったか、僕は君にそんな話をした。
単純に綺麗だからという理由の他に、「死を待ち望んでいる」という意味も含んだ言葉だった。
それを知ってか知らずか、君は、

でも地面には花があるよ。
私は花の方が憧れるな。

と、そう言った。

確かに君は花みたいだよね。

花みたいに可憐で可愛いってこと?

それは無いかな。

そんなやりとりをして、笑った。
花に憧れた君が今は空にいて、空に憧れた僕がまだ地面に足をつけてるなんて、何だか皮肉めいていて泣きたくなる。
決して可愛らしくは無かったけれど、凛としていて何よりも綺麗だった君は、ここで堂々と咲いていた方がきっと似合っていたのに。

ふいに光が差す。
顔を上げると眩しいくらいの夕日。
気付けば僕の乗ったゴンドラは観覧車の真上に達しようとしていた。
我ながら子供染みた馬鹿な考えだと思う。
でも、ここからなら君と同じ景色が見れると思ったんだ。
懐かしむように、君の好きだった遊園地に視線を落とす。


…香織、


夕日に照らされて、観覧車が地面に大きな影をつくっていた。
花みたいだ、と思った。
居るはずのない君が、そこに居る気がした。


 …香織。


涙が頬を伝う。
哀惜。後悔。罪悪感。
次から次に流れ出て、一向に止まりそうにない。
あの案内係にまた変な顔をされるな、なんて思いが頭を掠めたけれど、そんなことはもうどうでも良かった。
……ねえ、香織。
君の声が思い出せないんだ。
楽しそうな笑い声も、僕の名前を呼ぶ声も、あんなに何度も聞いたのに、思い出せない。
ずっと見つめていた君の顔も、今はもう霞の向こうにあるみたいなんだ。
どれだけ覚えていたいと願っても、僕の意思なんか関係なく記憶は抜け落ちてゆく。
ごめんね、って、忘れて、って笑った君に言った「忘れない」の言葉も嘘になってゆく。
夕日が沈んで、空はオレンジから濃紺へと色を変える。
目の前の影が闇に呑まれて消えかかっていた。今になって、君が頑なに形に残すことを嫌がっていた理由を悟る。


「 ……こっちの方が残酷だよ 」


零れた声は掠れていて。
誰にも届かない声は、空気に溶けて、消えた。

黄昏、影が咲く

黄昏、影が咲く

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-02

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