いずれはぼくらも腐葉土
やわらかな、つめで、ちょっとひっかいただけで、ぱぁん、と、軽快な音を立てて破裂した、星。
きみが、どうかせめて、明日、という世界を、静かに、穏やかに、慎ましく生きられるよう祈る、二十二時の、遊具のない公園の、ただの野原の、ところどころ禿げた芝生に、ひざをついた瞬間の、じわりと土が湿っている感じに、ああ、ぼくもいずれは、この大地の一部になるのだと想う。
秋の夜は、長い。
たぶん、これは、被害妄想に近く、明確さもないけれど、でも、ときどき、誰かと繋がっているインターネットというのは、酷く優しくて、容赦なく残酷で、そのあいだ、中間、というのが存在するならば、それは、自分の心が無になったときなのではないかと、青い鳥のマークを見つめて考える、十月の夜は、秋の夜のなかでも、ひときわ、長いのではないか。ぼくは、スマートフォンをすぐに放り出して、本を開いた。読みはじめてから、この展開のままだときっと、登場人物の誰かが死ぬのだと、容易に想像できて、死、というものは、生きている以上あたりまえのようにつきまとうけれど、いちばんつきまとってほしくない、おそろしいものであると、しみじみ思った。
テレビは、好きだけれど、嫌いになる日もある。
どうしようもなくチョコレートが食べたいときも、ある。
かわいらしくデフォルメされた、どうぶつたちが、画面のなかで楽しく暮らしている様子に、なごむでもなく、けれども、うとましくもない、微妙な気持ちで眺めているとき、ぼくも、明日、という世界で、静謐に、平穏に、質素に、そして、あらゆる生命に慈しみを、なんて、聖人気取りでも、生きていたいなと、雨に濡れて、立ち込める土のにおいをかぎながら、ひそかに祈る。
いずれはぼくらも腐葉土