青二才

この作品のお題は【ぬかるみ】です。
何がその人を幸せにするかは、他人が決めるものではないというお話、かな。

 褒められることの方が多い人生を生きていたと思う。
 昔から根拠のない自己高揚があって、大抵のことは「できる」と思って日々を暮らしていたし、実際、できた。それは本当に子どもの頃から。
 姉と一緒に始めたピアノも、近所に教室があった書道も、友達に付き合って始めたバスケットボールも、もちろん学校の勉強も、友人や異性との付き合いも、何もかも、一廉かそれ以上に上手くできた。ただ、満遍なく一様に、ある水準以上のレベルに達すると飽きてしまうので、それらでもって何か大成したわけではない。最終的に、人よりも得意な趣味として、私の中に根付いただけである。
 人よりも上手く、卒なくこなすので、余裕があるように見えるのか、学校のクラスや、部活、サークルなど、色々な場面でリーダーをまかされることも多かった。また、それも大体上手くやれた。人をどうまとめるのかは、別に難しいことではない。それぞれの人を観察し、関係を観察し、その人が求めているものとチームで求めているものを取捨選択しながら、優先順位を決めてその方向に進めばいいだけだ。あとは、取り残されそうな人のケアを忘れないのと、仕事はきっちり完遂、基本はニコニコと笑顔で、締めるときはきっちり締める、という当たり前のことをしていれば問題はない。ただ、それは内部をまとめるには足りるが、外に向かって発露されるものとは違ったので──というか、それ以上をするまで興味がもたなかったので、発展、という意味では大きな成果があったわけではなく、団結力を作るには良かったという話になる。
 ともかくそうやって、何事もある程度以上に、人よりも上手に扱うことができたので、褒められながら生きてきたのである。
 でも、それが自分の自信になったかと言えば、そんなことはない。
 それは、私にとってはできるのが当たり前だったからだ。自己高揚に彩られてはいるが、自己肯定には繋がらなかった。「できると思ってたけど、ああ、やっぱりできた」という醒めた感慨があるだけ。
 結局、人からの評価は関係ないのだ。自分を肯定できるかどうかは、他人の言葉に寄らず、自分の言葉で決まる。自分の納得、という海よりも大きなぬかるみにはまったまま、私はずっと、歩き続けてきた。
 そして、さすがに、ぬかるみ歩きに対しての自己高揚も尽きてきた。
 だからそろそろ、次のステップに移ろうと考えている。
 私はきっと誰よりも上手に、この世を去ることができるだろう。

青二才

青二才

何がその人を幸せにするかは、他人が決めるものではないというお話、かな。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-17

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