もうひとつの時計

立ち止まっていることもわすれて

過去の足跡をさがしていた

変わらないことに怯えていた

傷つけられることに怯えていた

今思えば

変わらないことにこそ

救われるかもしれなかったのだろう

この世に時計は二つある

誰かがそんなことを言っていた

前向きに流れていく時間と同時に

後ろ向きに流れていく時間も存在する、と

私は後者の時計も手にしたい、そう思った

それは、嗤われることだろうか

過去に囚われて哀れだと、

前者の時計しか持っていない人間に

嗤われるだろうか

私は過去に救われてきた

散々、生かされてきた

過去なしでは今はないし、

今なしでは未来などない

つまり、過去は私の土台みたいなものだ

他の人間がどうかは知らないが、

少なくとも私はそうだ

今はそう思っている

そう思うことによって生かされてもいる

今は過去になり、未来は今になる

後進時計の意味が、

私にはその時ようやくわかったような気がした

これは、過去に生かされている者の為にある時計だ、と

あるべき時計だ、と

私は時計を二つ持っている

ひとつは刻々と未来に向かって前進していく時計

もうひとつは、

いつでもそこに帰ることが出来る、

自分を受け入れてくれる場所になる、

後ろ向きでありながらも、前もしっかり見ている時計

過去があって、私は今ここにいると実感する

血を作って、巡らせて、

吐き出して、滴らせているのだと実感する

頑丈な過去には、今にも未来にも負けない力がある

私はその力を時計によって借りている

私が気づいてあげられた、

もうひとつの時計の存在によって

書いている、ひたすら書いている、遺している

それは誰の為でもないかもしれないし、

誰かの為だけであるかもしれないし、

全人類の為かもしれない

私は死んでも、私の言葉は死なない

私の魂は、誰かの時計によって再生しつづける

瞼を閉じる、

空に両手を重ねる、

深く、深く息を吐く

この世のすべてが、脈打っている

目をひらく

私は今、確かな情動をもって、生きている。

もうひとつの時計

もうひとつの時計

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted