皇国の音 3/6

 さすがに嫉妬したくなるほど、五島さんが皆に馴染むのは早かった。表情筋がしっかりと働いているからだろうか。顔が怖いのは素、愛想よくしようと思えばいくらでもできると五島さんは言う。

「で、愛想を使い切った顔が素ですか」
「それで良いんだろ。素ってのはよっぽどの相手でないと見せない顔だ。気の置けない奴といるのになんで愛想よくせにゃならん」
「いつもにこにこしてる五島さんも不自然ですけどね」
「言ってくれるな。俺がここの人達と仲良くできてんのはお前さんのお陰でもあるんだぞ」
「私の?」
「突然やってきた皇国の奴じゃなくってよ、センセイの友達扱いされてる。随分年の離れてる友達だがな。お前さんへの信頼がなかったら、受け入れられていたかも分からん」
「…………」
「こら、にやにやすんな」

 五島さんは最初のうちこそ授業の様子を眺めていたが、次第に自分も授業がしたいと言い出した。彼の講義は部屋の中では行われない。決まって外へ飛び出し、町の中心をあちこち見て回った。
 五島さんは準監査員に任命されているのだという。監査員ほどの権限は持たないとしても、私よりはずっと地位が高い。皇国の人間が経営している店に赴き、実際に皇国語で買い物をすることもあった。準監査員の見ている前で不正を働こうとする者はいない。正当な値段で、つまり普段よりもずっと安値で買い物をすることができたと皆は喜んでいた。

「皇国語を勉強して学者になりたいとか、そんなふうに考えてる奴ばかりじゃない。むしろ、日常生活での困りごとに対処できるようにしてやるのが、ここでのお前さんの役目かもしんねえな。ぼったくられんようになるのがその第一歩、つうか」
「でも、……でも、皇国の掲げる目標とかけ離れてしまいますよ」
「事実だろうよ。兵隊さんたちの教え方じゃ、大して役に―っぐ」

 教育など知るものか、とばかりに、こちらへ対しては不干渉の姿勢を取り続ける兵士たちだが、どこで聞いているかも分からない。国の方針に従わぬ意見ととられかねない言動は慎んだほうが良い。そう思って五島さんの口元を手で塞いだが、すぐに外された。

「駄目かいな」
「駄目です。あなたのためです立場を弁えてください」

 ルウにそう言われるとなぁ、と五島さんは頭をかく。
 昼休み、皆が市場へ食事を求めに走り、教室には後片付けをする私と五島さんのみだった。
 皇国が求めるもの。私たちを通じ、この国のみなに伝えようとしていること。兵士たちの戦いが肉体の戦いだとしたら、私たち教育派遣隊が行うべきは精神の戦いだ、というのが決まり文句だった。
 無償でことばを教えるのは善意からではない。「皇国のために」と大きな声で、皇国語を叫ぶことのできる人材を育てるためだ。人材とはよく言ったものだ。まるでマッチのように、皇国は皇国の血を引かぬ者を使い捨てにするだろう。皇国のために懸ける命は惜しくない、と考える愚か者を増やすのだろう。そして私は気付きながらも、皇国語を教え続けるのだろう。
 ことばを教えるのはなぜだ? 
 皇国のためではないとしたら、なぜだ。

「……しっかしあの例のガキ、ちっとも懐かねえぜ」

 五島さんの声にはっとする。回収した本やペンの入った箱を持ち、五島さんは先に教室を出るところだった。

「怖いからじゃないですか、顔とかしぐさ。私と違って雑だし」

 無視された。
 彼の言うのはシェーレのことだ。五島さんが来てからというもの、シェーレの挙動がおかしいとは私も思っていた。以前までの絡み方がおかしいのであってこれが正常なはずだが、これまでがこれまでなだけに違和感がある。しかし五島さんと関係があるのかと言われたら、それも判然としない。

「案外人見知りなのかもしれませんよね」
「けど、睨んでるみてぇに見つめられてもなぁ」
「実は何かやらかしたんじゃないですか。駄目ですよ、自覚のない悪意ほど性質の悪いものはないんですから」
「それ、そっくりそのまま返すわ」

 資料室兼作業場にしている部屋に荷物を置くと、五島さんは駐屯軍の本部へ向かっていった。特に報告するべきことはない気もするが、監査団が来るまであと三、四日といったところだ。彼らへのもてなしや宿泊施設の手配などの雑事に、ここ最近の五島さんはむしろ追われているように見えた。
 私も皆に倣って市場へ行くことにした。今日は弁当を忘れてしまったのだ。というのも、誰かさんの歯ぎしりのせいで寝不足なのが一因だが、終わったことを嘆いても仕方がない。
 町を東西に切る大通りには飲食店が数多く出店されている。たまには買い食いも良い。演習所から市場までの通りを南にずっと進む。皇国の占領下におかれてから整備されたという道路は、上空から見れば何本もの直線が垂直に交わっているように見えるという。
 やがて呼び込みの声と食材を調理するかすかな音が届いた。ときおり鐘や鈴の鳴る音もする。まるで祭りだ。店ごとに設けている屋台は簡素な木製のつくりが多く、屋根の色は概して原色に近い青や緑だった。隣の店には負けんとばかりに派手な看板も目立つ。聞き取れる単語もあれば、まったくの雑音にしか聞こえない音もある。
 全方向から流れてくる人々の波に乗れず、はじき出されたようにぽつんと、飴売りと串焼き屋とのあいだに収まってしまった。
 一度抜けてしまうと、途中から波に潜り込むのは至難の業だ。いい加減に空腹だ、と考えあぐねていると「センセイ」と訊き慣れた声がした。キヤルの顔が少し遠くに見える。高身長なこともなり、まるで壁だ。
 あっという間にこちらへ辿り着いたキヤルは、「さっきセンセイにぶつかったんだよ」と笑った。もしかして本当に壁だったのかもしれない。

「仕事、休憩時間?」
「そう! ご飯ご飯。センセイ、よかったら一緒、どう」

 キヤルは高所作業を請け負って家計を支えている。他の仕事もやってみたい、と資格取得の勉強も独学で行っているらしい。それに加え講義にも出ているのだ。丈夫な身体だと感心するほかない。
 元より語学のセンスがあるのか、構文を書かせればほぼ完璧な上に、一度聞いた単語はすぐに覚えてしまう。他の皆から質問攻めにされているのもしばしばだ。たまにアクセントや単語の選び方が妙になるものの、彼と皇国語のみで話すことに何の問題はない。

「こーゆうとこ慣れてないね。駄目だよ、のってかないと」
「乗……?」

 キヤルはぽんぽんと手際よく私の分の食糧も買うと、肉の燻製をつるし売りにしている店の脇を抜け、見慣れた場所にやって来た。演習所の西側の広場だ。相当の樹齢を刻んだ木々が、ペンキの剥げかけたベンチの群れに影を落としている。周りには高い建物もなく、風通しが良い。先客に頭を下げると手を振られた。有名人にでもなった気分だ。
 キヤルが買ってくれたのは、穀物を練った生地に肉や野菜を挟んだものと、イモや野菜の素揚げだった。彼自身はというと、同じものに加えてでかでかとした厚切り肉の切り落とし、串に刺さった魚の姿焼きという献立だ。身体を動かすとやはり空腹度合いも違うのだろう。自分との身長差については考えないことにする。
 待ちきれないとばかりにキヤルは魚にかぶりつく。と思いきや、料理に手を合わせて何かを唱え始めた。食べ物になってしまった命、かけられた手間に対する感謝のことばだ。私の視線に気づいたのか、今度こそ魚を食んだ彼は照れ臭そうにした。

「こんな田舎くさいの、皇国じゃやんないでしょ。小さいときから、だから癖で」
「ううん、大事だと思うよ。私もやるし」

 いただきます、と呟いて、手にした主食へかぶりつく。野菜がはみ出た。赤、黄、緑。この国の野菜の名前はいまだに覚えられない。咄嗟に口から出てくるのは皇国語だ。念のためと膝の上に敷いていた紙に野菜のきれが落ちる。子供みたいだ、とキヤルは笑うが、彼も彼で口の周りを脂でべとべとにしていた。
 いつも頂いている野菜は勿論旨い。しかしここに挟まれている野菜は、それらとは異なった味わいだ。新鮮なハリのある食感の代わりに、しんなりする野菜が肉によくなじむ。蒸し焼きの肉自体の味は淡泊だが野菜の風味がそこへ加わり、そっけなさを全く感じない味付けになっている。それらを包んでいる生地からは、初めは穀物の甘みを感じるがそれがすぐに引き、すぐに具材の旨みが押し寄せてくる。遠慮を見せることなく、今度は弾力のある歯触りを主張し始めるのだが、これがまた心地よい。

「これ美味しいね。……って、聞いてないし」

 講義の数倍にも思える集中力を注ぎ、キヤルは次々に料理を平らげていく。揚げたイモを「もらいますね」とつままれた。このままでは食いつくされる。私も咀嚼を早めた。
 二人で無心になって食べ進め、ほぼ同時に完食した。キヤルは持っていた作業袋から水筒を取りだし、喉を鳴らして豪快に煽る。
 口を拭い、「そーだ」とこちらに向き直った。

「最近はゴシマも授業してるって聞いたよ」

 タイミングが悪いのか、キヤルが来る日には決まって五島さんは講義をしない。

「そう。でもどうだろう、キヤルには物足りないかもしれない」
「なんで? おれはなんでも楽しいよ」
「それは、見てればまぁ何となく」

 内容を話すと、キヤルはとんでもないと目を丸くした。

「なんで! ぜんぜん物足りなくない。おれは店の人の話分かるし、皇国のやつとも仲良いよ。けどみんながそうじゃない。みんなおれみたくなれないのかなってずっと思ってた。だからゴシマに賛成、ありがとうだよ」
「そうか。……うん、そうだね。
 キヤル、野暮を承知で言うけど、その、よくそんなに話せるよな。君がよく軍の施設に出入りしてるからもあるんだろうけど。仕事で。補修工事なんかの」
「あぁ。おれはわりとイイ学校、行ってたから。ジマンじゃないけど賢いんだよ?」
 
 学校、もうないけどね。そうキヤルは笑う。
 彼は私とほぼ同年齢だ。逆算すると、ちょうど文化の統一、刷新をはかるという名目で掲げられた政策が開始された辺りに学生だったと気付く。
 他国からの非難を避けるためか、文化財の物理的な破壊の代わりに、かたちには残らないものが少しずつ解体されていったのだ。教育機関、とりわけ言語教育に力を入れていた施設のありようも全く異なるものになった、と聞いたことがある。
 当時私は「純粋な」皇国民の学生として、それを栄誉と捉えていた。自らが教える立場となった今になって、そのいびつさを実感している。

「いっぱい勉強してレキシガクシャになりたかったんだ。だから、ほかのとこのことばも覚えた。あちこち行っても困らないように。ぜーんぶムダになったけど」
「それは…………ええと、その、」

 キヤルは黙りこくった私の背中を強く叩き、快活に笑った。

「センセイのせいじゃない! いいよいいよ。センセイが嫌いなやつもいっぱいいると思う、皇国の人間だから。でもおれはちがうよ。来てくれてよかったって気持ち。……言わなくても、きっとシェーレも」

 思いがけない名前に眉が動いた。
「シェーレはね、おれのコウハイで、ライバル」と、キヤルは遠くを見る目をする。

「飛び級で入ってきた。頭よくって、みんなの憧れ」
「……待って。今から、ええと」

 指を折って計算する。当時、せいぜい物心がついて間もない頃ではないだろうか。
 私の驚きに勘付いたのか、キヤルはなぜか自慢げな顔をした。

「だから憧れ。みんなのジマン。でも、シェーレのウチは違ったな」

 うち。家族?
 彼から家族の話を聞いたことはなかった。どこに住んでいるのかも知らない。ふっと現れてはふっと消えるのが常だったので、とりたてて気にすることもなかった。
 その先を特に聞きたかったのだが、キヤルはそろそろ時間だと言ってそそくさと戻ってしまった。時計を見れば、確かに悠長にしていられる状態ではない。慌ててごみをまとめ、演習所に引き返す。途中、かばんを持った子供たちと遭遇した。いつも授業に出ている最年少の子たちだ。日差しが強く、外での作業に向かないこの時間帯は、出席人数がぐっと増える。昼休みの合間を縫って来る者がほとんどだ。
 子供たちに「きょうはなに読むの?」と訊かれたので、「怖い話でも読もうかな」と微笑んだ。

「暑い日にはぞっとする物語で涼しくなろう」
「すずしくなんかならないよ。センセイの声、こわくないし」
「ぜーんぜん。怒ってもこわくなーい」
「ああそう。……ああそう!」

 わいわいとつきまとってくる彼らを引き剥がして資料室へ急ぐ。危ないものがたくさんあるから、と念入りに釘を刺していることもあって、ここまでついてくる子供はいなかった。
 手探りで明かりのスイッチを探す。蛍光灯が数回不自然なちらつきを見せたのち、部屋いっぱいに青白い光が満ちた。
 カーテンを閉めきっている窓の近くに人影が立っている。うつむいた姿勢の右側が見える。手にしているのは、教材として使うことのある本の一つのようだ。大股で近付き、それを取り上げた。

「君より小さな子でも入らないんだけど? シェーレ」
「かぎをかけないセンセイも悪いよ」

 反省の色が全く見えない表情で彼は肩をすくめる。読んでいたのは、意外にも皇国の古代史の本だった。

「とにかく。そろそろ始めるから、出なさいな」
「……」
「シェーレ?」
「センセイ。皇国語は、なかまがいないんだね」

 こちらの発言は意に介さないようなことばに、自然と顔をしかめていたのだろう。へんな顔だ、と無邪気そうにシェーレは身振り付きで指摘する。

「あのねえ」
「大陸のことばは似てる。国が近いから。皇国はどことも近くない。海に囲まれてる」
「……とくに内陸の言語は、共通する法則性を持っているよ」

 土地に好き勝手な線を引いたものが国境線なのだから。

「けれど皇国はその歴史そのものが曖昧だ。渡来した文化を様々に受け入れてきたために、明確な根っこがある訳でもない」
「ここもそうだよ。海に囲まれている島」
「うん、同じだ。文化の受容に寛容なところだったり、地理的な要因だったり」
「なら」

 シェーレがカーテンを引っ張った。合わせ目から外の光が漏れる。まっすぐに伸びる眩しさを逆光に、シェーレは首を傾げた。

「なんでぼくたちは皇国語になろうとしてるの。どうしてさせようとするの。なかまがいないってどういうことかわかってるのに」

 何を意図しているのか、疑問に思ったのは一瞬だった。古代史の本には皇国語の起源についても記載されていたのだろう。「みんなの憧れ」だったという彼が自分の知識を参照し、一つの考えに行き着いたと考えても無理はない。
 私の講義が百パーセントの善意などでは実施されてはいないこと。彼やキヤルが通っていたという学校の末路同様、これも皇国の文化政策の一環だ、という考えに。
 それを否と否定できない。嘘をつくのは苦手だ。
 独自の発達があだとなり、失ってしまえば二度と同じものは帰ってこないものとして存在している。それが島ことばであり、皇国語であった。但し皇国語は、争いに勝つことで守られている。話し手を増やし、代わりにその地域の言語を駆逐することで。
 ことばは生き物だ。話す人間が居り、時間と共に移り変わるのが本質だ。言語の喪失が忌避されるのは、それを築き上げてきたひとびとの息づかいが、その一点の時間においてあっという間に失われる恐ろしさがあるゆえだ、と私は考えていた。
 仲間、すなわち同系統の言語があれば、ひとつが失われたとしても、その名残を別の言語に見つけることができるだろう。
 しかしそうでない言語は、消えてしまえばそれまでなのだ。
 消失のおそろしさ、虚しさは共通しているはずなのに、なぜ皇国語を広めるのだと、シェーレに問い詰められているようだった。

「センセイは違うけど。だって皇国が好きじゃないんだもんね」
「何を言いたいのかな」
「わかんないの?」
「わざと分からせないように言ってるのか? なんなら皇国語で喋らなくっていい。シェーレ、何が言いたい」
「無理しないで」

 逆光の中の微笑み。不意をつかれた。
 シェーレは固まった私の手から本を取り返し、もとの場所に入れ直す。

「センセイが先生でいるには、ぼくたちのこと考えちゃいけない。皇国のこと考えなくちゃ」

 たわむれのように、シェーレの左手が私の右腕を撫でた。そして何事もなかったかのような顔で教室を出て行く。勝手に明かりも消されてしまった。
 再び真っ暗になった部屋で、私は動くことができなかった。呼吸が苦しい。核心を突かれた、と思うと、心臓が跳ねあがるのを抑えられなかった。
 徹底的に皇国の理念に基づいて行動するのならば、シェーレたちがどう暮らしてゆけるかを考慮する必要はないのだ。皇国に都合の良い者たちを作り上げるのが私の職務だとすれば、今のやり方は間違っている。皇国から搾取されぬような教育ではなく、皇国のために身を捧げられるような教育を施すべきだ。シェーレはそう言いたかったのだろう。そして、皇国の方針が私に合わないことだとも見抜いていたのだ。
 私の教えるべきことばは確かに、そうした姿であるのが望ましいのだろう。私は「正しい」皇国語を教えるべきなのだろう。
 けれどシェーレ。私のことなど構わないのだとして。
 君は、どんな皇国語を学びたい?

皇国の音 3/6

皇国の音 3/6

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-20

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