この素晴らしきアヒルの世界

踏み出すこと


そもそも悪戯好きのおじいちゃんだったから、これが出てきたときは「またか・・・」と少し呆れてしまった。

それはおじいちゃんが亡くなって遺品の整理をしていた時だった。
おじいちゃんに癌が見つかってから息を引き取るまで半年ほど。
明るいが人に気を使う性格だったおじいちゃんは、周りに心配させないようギリギリまで冗談を言って笑っていた。
私はおじいちゃん子だったので悲しかったけど、そんなおじいちゃんの姿を見ていたから穏やかに看取ることができた。
おじいちゃんは几帳面な性格でもあったので、一人暮らしだった一軒家も綺麗に整頓され、在るべきとこに在るべき物が行儀良く置かれていた。
お母さんは助かるわと言いながらも思い出の品を見ながら私の方に顔を向けようとはしなかった。


私がそれを見つけたのは書斎の本棚を整理している時だった。
そこでも性格が出ていて、大きい本は背の高い順に。文庫本は出版社順に並んでいた。
しかし一冊だけ不自然にピョンと飛び出している本があった。
手に取って見ると、それは昔おじいちゃんがよく私に読んでくれた童話集で、開いて見ると懐かしい挿絵が次々と私の目に飛び込んできた。
私は片付けの手を止めて、その童話集を真剣に眺めていた。

その中の一編。
私が幼い頃大好きだったお話のページに、その封筒は挟まっていた。
なんだろうと私は封筒を開けた。
中には「当たりクジ。 加奈子にやる」とだけ書かれた便箋と一枚の宝クジが入っていた。

「またか・・・」

生前おじいちゃんはよく、他愛もない悪戯をしては家族に小さなため息をつかせていた。
これもその類だろうと私はまた、ため息をついた。
しかしそのため息は、私の心の奥がじんわりと温かくなるような冬の日差しにも似た不思議なものだった。



週末。
いつもなら浮かれるこの日の午後に、私は仕事でこっ酷く怒られた。それも理不尽に。
平たく言えば、先輩のすっぽかした仕事を私のせいにされてしまったということ。以前にもそんなことがあった。
にやにやしながらいつも私のことを何か言っているのはわかっていた。
元々反りの合わない先輩だったので、なるべく関わらないでおこうと思っていたのに。
嫌いなら嫌いとはっきり言ってもらったほうが私だって言い返せるのにと思う。

結局、私ひとり残業になってしまった。
いつもなら居るはずの課長まで、今夜は娘の誕生日だからと定時で帰っていった。
その後を追うようにすっぽかした先輩も身支度をする。二人がそういう関係なのは知っていた。
フロアを出る時、パツパツパツと私の頭上の蛍光灯以外すべて消された。
心の中で「挨拶くらいして帰れ!」と毒付いたが、まるでスポットライトのように私だけを照らしている白色の蛍光灯のせいで、見えない観客を相手にお芝居をやっているようだった。

胸が刺々した気分のまま狭いアパートに帰るのは嫌だったので駅前の映画館にレイトショーを観にいった。
スカッとアクション映画でも観てやろうと思ったのに、上映されていたのは恋愛モノとよく分からないアメリカのアニメで、結局どっちも観ないまま街をぶらついてスターバックスでコーヒーを飲んだ。
窓から見える街並みはクリスマスが近いこともあって、どこか浮かれてるようにみえる。
その浮かれた電飾や看板の中に「この売り場で3億円出ました!」というクリスマスに負けないくらいの忙しいカラーの看板が私の目に入ってきた。

そういえば・・・

私はおじいちゃんの宝クジを思い出していた。

翌日は部屋の掃除と洗濯をした。
とても晴れた日だったので外に洗濯物を干す。昨日の嫌な出来事もどうでもよく思えてきた。
私はコーヒーを淹れながらおじいちゃんの家から持ってきた童話集を開いた。
そこにはあの封筒がしおりのように挟まっている。
お昼の買出しついでにあの宝クジ売り場へ行こうと思った。
おじいちゃんの悪戯に最後まで付き合ってやろうというくらいの気持ちで。
当たりといってもどうせ末等だろうと思うけど。



あの日、銀行の応接室を後にしたときは他人事のように思えた。
いや、今は他人事のように私はとても冷静にその通帳を眺めることができた。
見たことのない桁の残高。3億と100万ちょっと。
100万ちょっとは私がOLで貯めたしがない貯金だ。
私はため息をついた。そしてとても冷静だった。だっておじいちゃんの悪戯なのだから。
お母さんには言おうか悩んだけど、しばらくやめておくことにした。いろいろめんどくさそうだし。こういうことは誰にも言わない方が良さそうな気がした。
それより、この宝クジが家族の誰にも見つからず童話集ごと処分されていたらと思うと背中に冷たいものが走った。

とりあえず10万円を下ろしてみた。
通帳から減ったのは私が地味に積み立てた100万となにがしから。3億という桁は微動だにしなかった。
そこからじゃなく3億円から減っていってはくれないかと思ったが、みんな同じお札だ。
そう思うと何だか私の今までがすべて否定された気分になった。

いろんな物を見て回ったけど、こういうときって欲しい物が浮かばない。
結局、前から気になってたストウブの鍋とフライパンを買った。
合計で5万円くらい。
支払いのときちょっと気持ちよかったけど、それと同時にちょっと罪悪感もあった。
買い物依存症になったらこんな感じなのかなと、電車の中で少しだけ考えた。
帰りにいつものスーパーで食材を買った。
予想以上に鍋とフライパンが重くて、一度アパートに帰って置いて来るべきだったと後悔した。
せっかく鍋を買ったのだからポトフでも作ろうと食材を選んでいると直弥からメッセージが送られてきた。

仕事が早く終わりそうだから帰りに寄っていい?

私はオーケーと返信した。



新しい鍋で作ったポトフはキレイになくなった。直弥がいっぱいおかわりをしたからだ。
後片付けをして二人でごろごろしながらテレビを観た。お笑いタレントのコントを直弥は楽しそうに観ている。
私は3億円のことを考えていた。
数年で散財してしまうひとが多いと聞いたことがある。どうやったらこんな大金を数年で使い切ることが出来るのだろうかと不思議に思った。
車を買う?家を建てる?海外旅行に行く?
きっと何に使ったのか思い出せないような使い方だったに違いない。

直弥はテレビを観てるとき、人差し指と中指を交互に動かして小さな音を鳴らす癖がある。
何度か注意したけど直そうとする気はないらしい。
私はそれを見ながら直弥に訊いてみた。

「ねえ。もし宝クジ当たったらどうする?」

「え?宝クジ?」

「うん。宝クジ」

「そうだな・・・車買って、家建てて、海外旅行かな。当選金額にもよるけど」

「それって私もその車に乗って、その家に住んで、一緒に海外旅行に行ってるの?」

「そうに決まってるじゃん」

ウソ。
直弥のそのプランには私は含まれていないでしょ。
心でそう言ってみる。
そして今、私が3億円当たったって言ったら直弥はどんな顔をするんだろう。
もしかしたら今までごまかしてた結婚って言葉もすんなりと饒舌に出てくるかも。
その時のために貯めておいた私の100万とちょっと。そこから支払って買った鍋で直弥はお腹いっぱいになって私に適当な事を言っている。車に家に海外旅行。なんでそこに結婚が入ってないの?
私は何か吹っ切れた気がした。
数週間後、私は直弥におわかれを告げた。


反りの合わなかった先輩に趣味の悪い香水と持って帰るには恥ずかしい大きさの花束を贈った。もちろん花束は会社まで花屋に配達してもらった。傍からみればどっちが辞めるほうかわからなかった。

今までありがとうございました。
これ先輩に合うかなと思って。
使って下さいね。
あ、それと課長と末長くバレないようお幸せに。

そう。

おじいちゃんの悪戯を思い出しながら私は笑顔を作った。

辞表を提出したとき部長が訊いてきた。

「理由はわかったけど本気なの?」

「はい本気です。コペンハーゲンでレストランをやります。部長もデンマークに寄られた際は私のレストランに来て下さいね」

会社のビルを出たとき、風が少し強く吹いた。
まるでこれからの私を後押しするようだった。

コペンハーゲンでレストラン。
出来ても出来なくてもどっちでもいい。
ウソでもあるしホントの話。
とりあえず行ってみよう。

これはきっと童話だ。
素晴らしい世界が待っているはず。

この素晴らしきアヒルの世界

この素晴らしきアヒルの世界

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-07

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