エンドレス、せんせい
くりかえす、脱皮、の、果てに、なにが生まれるのか。せんせいの、外皮が、はがれてゆくたびに、なかからあらわれるのは、でも、いつまでたっても、せんせい、というひとである。半透明の、薄い、けれど、すこしばかり弾力のある、せんせいをおおっていた、皮は、いずれは泡のように消えて、あたらしくうまれかわったというせんせいは、やっぱり、どの角度からみても、ぼくのしっているせんせいでしかない。せんせい、ではない、異なる形態のいきものを、期待しているのだけれど、せんせいは、幾度、まんげつの夜に脱皮をしても、所詮、せんせい、なのだった。
五月、街はしんで、七月、きみの星が燃えた。
だれかの恋が、かなしき運命をたどるとき、映画のなかで、ハッピーエンド至上主義みたいなひとがたべている、ポップコーンの咀嚼音に、聴覚、支配されて。恋の終焉は、うつくしいものであると、そういうのとはすこしちがうなぁと思いながら、ながめている。光るスクリーン。
脱皮をした直後のせんせいの、あの、湯気のたつ、ピンク色に染まった、ぷるんとした肌の感触が、いつまでも、指に吸いついてる。うまれたての赤ちゃんみたい、といったら、せんせいは笑ってた。似たようなものだと。なじむまでは洋服を着れないのだといって、せんせいは、はだかのまま、部屋のなかを歩きまわり、コーヒーをのんで、テレビを観ていた。テレビのなかでは、七月に燃えた、きみの星の残骸が、こちらの星に降ってきて、そのなかに有害な物質があるとか、ないとか、さわいでる。
エンドレス、せんせい