鬼灯の心
きれいなものを、すなおにきれいといえる、そういうの、若さなのかなと思うのだけれど、かんけいないって、きみはいう。もう、うまれてから幾度目かの、夏。あなたはきれいですと、まっすぐにいえるきみが、すこしこわかった。
あさがおの、冬眠。ひまわりの、仮死。せみの、輪廻。「また、来年の夏に」と、なんの抵抗もなく、来年の再会を約束し、生きる、という行為に、自信がもてない夜もある。電灯に群がる、ちいさな虫のいのちを、慈しむ暇もないほど、きみが、ぼくを、甘やかしてくれてもいい。けれども、きみは、まだ、あたらしいものに目移りする年頃であり、ぼくが、そんなきみを、ひとりじめするようなことは、あってはならないと思っている。つぎつぎと芽吹く新芽を、摘むようなことは。おとなになるとおぼえる、遠慮、というものは、ときに、じぶんの首を絞めて、苦しめるのだ。しかし、こういった、謙虚だの、慎みだのを心得ていない者に対し、社会は、実に情け容赦ない。ぼくが、きみ、という存在を最優先させ、きみ、という人間を束縛し、きみ、という若者と恋におちようものならば、ぼくは、しんだも同然であろう。デリート。この夏とともに。
「あなたはきれいです」のことばに、ばかみたいにうなされてる。ちょっとだけ、地獄みたい。
鬼灯の心