異端の夏 5️⃣

異端の夏 5️⃣


-桃-

 それ自体がたった今しがたに生まれたての生き物の様に左右に震える尻と、その後について漫然と陰嚢を揺らしながら浴室に移った二人は、旅の途中で買った熟れた水蜜桃の大分を潰すと、蜜で濁った湯を作って汗を流しながら、「女だってこれくらいが美味しいのよ」と、垂れる汁を乳房に拭いながら食んだり、男に口移しにしたりするのである。そうして、ひとしきりの乱痴気の挙げ句に、真儚子が大判のタオルを敷いて洗い場に太股を投げ出すと、男は檜の浴槽の縁に座って、遠景の湖と互いの性器を茫茫と眺めている。 股間を呆けさせてさしたる羞恥もない感性を、この女はいつの頃から身に付けてしまったのかと、女との初めての夜の記憶を手繰ろうとしていると、ふと、思いついた風情で、「昨日の皇太子の婚礼、見た?」と、真儚子が言い、頭を振る男などはお構いなしに、「満子様の初夜はどんなだったのかしら?」と、漫然と質すのである。
 「だって、あちこちで誰彼に散々からかわれたんだもの」「真儚子なんて元来が変なんだけど。ここに来たら妃と似た紛らわしい名前で。評判なんでしょ?」「何が?」「満子のマンコは女性器の。でしょ?」「マムコじゃなくてマンコなんて。わざわざ性器の呼び名で揶揄する人だっているんだもの」「古始帝以来最大の慶事だなんて囃し立てるけど。当事者紛いの下下にとっては随分と傍迷惑な話なんだわ」
 「ねえ?」「あんな神話に貼りついたような階層の人達って…」「私達とは違う人種なんだって、言ってたでしょ?」「国の始祖のような神話をいかにも捏造はしているが、紛れもない真実は渡来民の末裔なんだからな」
 「あの人達は、いったい、何処から来たの?」「半島の北方だ」「私達は?」「南洋の海人だよ」「それが混じりあったの?」「列島の中央部辺りまでは結構混血が進んだと言う学者もいるが。この北の国は遺伝子の分析と統計が示している通りに殆ど純血のままだよ」「だったら?」「この列島が古来から単一民族だったなんていうのは、西のあいつらがでっちあげた国家統治のための幻想なんだ」
 「だったら、北の国は同一民族なの?」「俺達だって少数多民族の集合体なんだ。ただ、今でも顕著に民族運動を維持しているのはカムイ族とピリカ族だ」
 「私はどんな種族なのかしら?」「その大振りな表情と豊満で奔放な姿態…」「これ?」と、女が片足を挙げて股間を曝しすから、「南の女そのものじゃないか?」「未だ火照ってるんだろ?」「痺れが一向に止まないんだもの」「冷やしてやったら?」「どうするの?」「水蜜桃だろ?」
 女が潰した果肉を股間に擦り付けながら、「こんな私は何族なのかしら?」「そんな振舞いが似合ってしまうんだから、ピリカに違いないだろ?」「北の山脈の西端の行き止まりのK谷という部落に、ピリカという女の族長の伝説があるんだ」「そこで聞いた話は…」「どうしたの?」「長くなるからな」
 「あの宮廷の閨房ではどんな風なのかしら?」と、言いながら、女は仰臥した男の口に果肉の欠片を食ませたりする。「息の詰まる禁忌のただ中で生きているんだから、夜などは反動でさぞかし赤裸々で露悪なんじゃないか?」と、男が潰した桃を女の三段腹に塗りつけると、
「こんなこともするのかしらね?」「もっと乱痴気をしてるに違いない」「だったら、満子妃もこんなことをしているのかしら?」「初夜からはしないだろ?」
 「どうかしら?」「酷く淫乱な質らしわよ」「あの顔を見たってわかるでしょ?」「妖艶だな?」「そうよ。妖気すら漂わせているんだもの」「殿下だって若いんだもの」


-加虐と被虐-

 「ここは只の呑気なモテルじゃないんだ」「どういうことなの?」「真の姿は猟奇の館なんだ」「了奇人って、知らないか?」「誰なの?」「知る人ぞ知る猟奇小説の大家だよ」「この宿はその大先生が生来の性行と蓄積した学識や、奥深い趣味と膨大なうんちくを集大成して造った性の怪奇、猟奇の巣窟なんだよ」「性の?」「そう」「…だったら、この旅はここに来るためだったの?」「そうだ」「何も知らない私を騙したのね?」「そんなんじゃないだろ?」「だったら何なのかしら?」「お前の肉欲の原初に道案内したんじゃないか?」「それってどういうことなの?」「これからのことはゆっくり堪能するとして。何れにしても、ここが俺達の性愛が辿り着くべき約束された終着の地なんだよ」「…性愛?」「そう。俺達は性愛で結ばれた同類なんじゃないか?」「あなたの言っていることが微塵もわからない」「そうでなけりゃ、湖のあんな痴戯など出来るもんじゃないだろ?」「でも、或いは俺達の情欲は性愛を越えてしまって。もう狂気の沙汰に至ってしまったのかも知れない」「だから、お前は性愛の女神、被虐の女王なんだよ」「被虐?」「いたぶられたり虐められたり曝されたり…」「それが例えようもなく堪らない法悦なんだろ?」
 「俺はある時に、普段は傲慢なお前が抱かれる時に限って従順な奴卑に変化するのに気付いたんだ」「実に嬉しかった、ね」「だから、俺達は様々な痴態を繰り広げて、その醍醐味を味わってきたんじゃないか?」「そうして、お前の忘我の痴態に俺はお前の本質を見いだしたんだぜ」「だから、今のお前は俺だけが発見した女なんだよ」「初めて出会ったあの時、何の躊躇いもなく陰毛を剃らせたろ?」
 「あの時、あの男がいたんだろ?」「あの日だってあの男に抱かれたばかりだったのかも知れない」「どうなんだ?」「それなのにどうしてあんなことを俺に許したのか?」
 「それを書きたいのね?書きたいんでしょ?」「だったら、そんな愚問に答えるわけがないでしょ?」「そんなこと、いくら私の被虐とあなたの加虐の相性がいいからといって。小説のこの渦中だから聞けることなんでしょ?」「現実にそんなことを聞かれたら、私の人格はたちどころに崩壊してしまうわ」「そうかな」「当たり前でしょ?私の道徳の基幹に拘わることなんでしょ?」「でも、あの時の私はもうすっかり存在しないのよ」「その女はあなたの記憶の中の私でしょ?」「それは眼前のこの私じゃないでしょ?」「そして、今のこの私、この小説の私も現実の私じゃないでしょ?」
 「だったら、現実のお前はどこにいるんだ?」「私が知るわけがないわ」男が乳首を含んだが女は抗わないばかりか、「酷く感じるわ」「だったら?」「でも、あなたがあなたのペンで私をこんなにさせているからでしょ?」「あなたの気分次第で、私なんかどうにでも創り替えられてしまうんでしょ?」「あなたの性愛って、嫉妬と復讐の狭間の愛欲じゃないのかしら?」「そんな一面もあるんだろうが、全てはお前がいとおしいからだろ?」「でも、それは私の身体なんでしょ?」「それだけに夢中なんでしょ?」「お前はどうなんだ?」

 「秘密の覗き部屋があるんだ」「隣室の閨房を知られずに覗けるんだよ」「予約しておいたんだ」と、男がウィスキーを飲みながら、「ひょっとすると、湖の二人連れが投宿するかも知れない」「湖の?」「そう」「どっちかしら?」「どっちだって蓋然性は高いだろ?」女は思いを巡らす。松の林の中にも一対の男女が潜んでいたのである。


(続く)

異端の夏 5️⃣

異端の夏 5️⃣

  • 小説
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  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-13

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