異人の儚 1️⃣

異人の儚 1️⃣
 

-脇毛-

 1947年の七月。異様に蒸し暑い朝。
 敗戦間もない北の地方の、とある小さな市に向かうバスが、土埃をあげて悪路を絶え絶えに転がって行く。
 子供達の集団が乗り込んできて、いつにも増して混みあい騒がしい。狭い通路の最後尾で、一対の男女が向かい合わせに密接して身動きがとれないでいる。二十歳半ばの大柄で豊潤な女と、背が高く頑健な17歳の高校生の伊達だ。二人は以前に隣り合わせになって腕が触れた事がある。
 その女の、実に柔らかい下腹に伊達の陰茎が、女の豊満な乳房が伊達の胸の下で押し潰されて、先程から密着しているのである。女のブラウスと男のシャツは形ばかりの防御に化してしまって、お互いの身体の動きが乳首や動悸に至るまでわかってしまう。伊達は僥倖の官能に無造作に身を委ねている。
 伊達の眼前で吊革を掴む半袖の女の腋毛が、桜色の肌に漆黒に繁茂して汗に濡れている。青いブラウスの腋に汗が滲んでいる。女陰を曝しているのと同じ有り様ではないか、だが、陰毛よりもむしろ淫靡な光景だ、と伊達は思う。
 女は周囲を念入りに見渡して、女学生の一群によって隔絶された死角の空間だと確信すると、混雑のせいで不可抗力なのだと悟ってしまった。そして、思いもかけずに訪れた感覚を享受する事にした。若者の陰茎の形や熱を無作為に受け止めて、乳房や下腹から伝わる男の肉の感触に抗わない。バスの揺れを理由に無防備に身体を委ねながら、若い肉の躍動の軋みを満喫している。罪悪感などは微塵も湧かないばかりか、身体の深奥が熱くなるのを自覚しているのである。もはや淫液が下着に染みているだろう。これはほとんど真裸で抱き合っているのと変わらないのだ。このバスでの通勤は大分になるがこんな経験は一度もなかった。
 いつも見かける精悍な若者を女は嫌いではなかった。女性徒達の噂話から、名前も、学業に秀でていながら喧嘩が相当強い事まで聞き知っている。それどころか、思い浮かべて自慰をした事すらあるのだ。
 女は、脇の下に張り付いた男の視線にも、とうに気付いていた。男の真意が知りたいのか、あるいは自分の本心を確かめたいのか判然としないままに、女は顔を上げて若者の目を捉えた。男は平然として見詰める。女も漆黒の濡れた瞳を逸らさない。粘着した視線が互いを探り会う。男の答えを求めたのか、女は快感の趣くままに紅い舌を出して唇を舐めた。
 拒絶どころか誘っているに違いないと伊達は確信した。
 この女も、先の戦争で夫か恋人を亡くして飢えているのだ、膨大な男を失ったこの国の女達はみんな飢餓なのかも知れないなどと、伊達は妄想した。確かに伊達の母親は戦死した職業軍人の夫などはとうに忘れ、子供の目を盗んで近所の男と乳くりあっていた。だから伊達の行状にも何も言わない。伊達もそうした女達の何人かと性交しているのだ。
 急ブレーキを踏んだバスが激しく揺れた。女の身体が伊達に崩れる。その瞬間に、支える態を装って豊かな乳房をわしづかみにした。身体を戻した女が視線を尖らせて、バカと口の形を造った。熱い息が伊達の唇を直撃する。紅潮した頬が緩んでいる。伊達も声を出さずに、この地方の女陰の隠語で返した。
 女の手が動いた。陰茎を掴んだのである。下げた紙袋で巧みに隠している。離さない。呼応して、伊達はバスの揺れに合わせて片足を女の股に押し込んだ。女が阿吽の如くに足を開いて受け入れる。柔らかい太股や女陰の盛り上がりが明瞭に、豊かな形や温かさまでが伝わる。
 やはりバスの揺れに合わせて、女もさらに股を広げて女陰を押し付ける。これはもはや性戯ではないか、二人は同時に確信している。
 女は衆人の中での危険な痴戯で、味わった事のない淫乱な快楽に溺れている。初めての経験だ。技術者で淡白だった夫は戦死していてとうに未練も失せて、男も亡夫しか知らず性の体験も僅かだが、戦争の惨禍が女の動物の本能を目覚めさせたのか、年齢の生理が為すのか、あるいはこの女の生来のものであったのか、女は固く秘匿しているが、強まる淫欲をもて余しているのだ。昨夜もさんざん自慰をした。
 その女が伊達を見据えて、また、今度は明敏に意識して、淫奔に紅い舌で唇を濡らした。
 その時、子供達の叫声が一段とかんだかくなった。その瞬間に伊達は女の耳元で、「やりたい」と囁いた。瞬時に、女は、「ついて来て」と答えた。
 この一瞬に際どい遊戯は終結して性交の黙約が成立した。これを機に二人の行為はもはや挿入の前戯と化した。女は周囲に気を配りながら、可能な限りさらに大胆に身体を擦りあわせる。もはや充分に熟成して膨れた女陰を男根に擦り付けているのだ。男は乳房を揉み続ける。間もなく訪れるだろう淫蕩な場面を思い描きながら、女は喉が乾き朦朧となる。なにもかもが初めて味わう陶酔だ。
 最後に性交をしたのは4年前に出征した夫との、記憶にも残らないありきたりのものだった。夫はすぐに戦死して、間もなく敗戦の玉音放送を聞いた。女は暫くは性欲など感じる事もなかった。やや生活が落ち着いて身体が緩むと、その欲望は夜毎自慰するほどに、熟れた女の身体の中でいつの間に獰猛に成長していた。しかし女は世間や未来を露ほども信じられず、表向きには固く封印してきた。見合い話や言い寄られた事もあったが毅然と断ってきた。恋愛や結婚に何の意味も見いだせないのだ。
 だから偶然が重なったとはいえ、今朝に限りなぜこんな事になったのか。女は自身の身体の咄嗟の、しかし自然な反応をまだ十全には理解できないまま、この直載に自分を求める大胆な若者に身を任そうと決めた。女陰がたぎる様に牡を求めている。こんな事は初めてなのだ。
 暫くして子供の一団と、ある会社の通勤者達が降りるとバスは静まり返った。女は身体を離し何事もなかった様に向きを変えた。
 いつもの停留所を伊達は乗り越して、ふたつ先で女に付いて降りた。暫く間を開けて、陽炎の様な豊かな尻の後に続く。曲がり角で女が振り返り、妖艶に笑んだ。


-嬉子-

 小さな洋品店の裏口で、女が辺りに気を配りながら鍵を外すと、素早く伊達の手を引いた。戸を閉めて鍵を掛けるやいなや、伊達に抱きつき、柔らかい唇で舌を求めながら、男根に擦り付けた腰をバスでしたよりさらに淫奔にくねらす。「私の名前を知ってるの?」と、耳朶に熱い息を吹きかけた。名字しか知らなかった伊達が黙って乳房を揉み続けると、嬉子だと女が言った。夫は戦死して独り暮らし、27歳でここで一人で店員をしているのだと言う。
 勃起を確認して、「時間がないから」と言いながら、スカートを穿いたまま下着を脱いだ。淫液が染みている。積み上げられた段ボールの箱に両手を支えて折った腰を突き出す。
 伊達がスカートをめくりあげると豊かな丸い尻が露になった。桃色に輝いている。その尻を割って勃起を押し付けると濡れている。挿入すると女が声を圧し殺して呻いた。陰道が男根を奥深く飲み込んで締めつける。尻を振る。
 「ふしだらな女だと思ってるんでしょ?」「どうして?」「だって。バスであんなことになって…」「不可抗力だったんだ」「誰とでもなる訳じゃないわ」「俺だって…」「戦争後家だからと思われたくないわ」「あんたのせいじゃない」「夫だけだったのよ」「4年ぶりなののよ」「信じてくれる?」抱き締めると女の身体が反応した。「あなたの事は知ってるわ」「どうして?」「噂の主だもの」「不良だと思ってるんだろ?」「二つ下の弟がいたのよ」「戦死したわ」「戦争中は何を考えていたの?」「絶対に負けると思っていた」「私もそうだわ」「配属将校を殴ったこともある」「何ともなかったの?」男は答えない。「この春に行幸があったでしょ?」「全校で出迎えた」「あの時に帰還兵が飛び出して叫んだんでしょ?」「特攻の生き残りだ。目の前の出来事だった」「何があったの?」「責任をとって腹を斬れと叫んでいた」「それで?」「警察が取り押さえようとして…」「応援歌を歌ったんだ」「誰が?」「あなたが?」「どうして?
」「無性に腹が立った」「それで?」「周りが歌いだして…」「警官は怒るし。教師達は真っ青になって」「大笑いだ」「そうだったの」「あなたで良かった」「何が?」「さっきのバスの事よ」「どうして?」「直感だわ」「あの戦争で何もかにもが変わってしまったんだわ」「そうだな」「私も変わるんだわ」
 やがて、指を噛んで声を忍ばせ激しく悶える女が、妊娠は心配しないでいい、絶頂だ、もう出してと言うのに応えて激しく射精した。熱く長い放出が済むと、女は痙攣しながら崩れ落ちた。
 伊達は煙草を吸う。女は潤んだ目で伊達を見上げながら、咎めもせずに、「立派な大人ね」と呟いた。「凄かった」「こんなの初めて」と言った。
 「綺麗にしてあげるわ」と、隆起したままの男根を口にしていた女が、「したいの?」伊達が頷くと、「私もだわ」と、時計を見て、「まだ時間があるもの」と、勃起したままの亀頭を含み舐めあげた。そして、作業台に座らせた伊達に股がり、男根を掴んで、未だ精液が残った女陰に自ら挿入した。伊達の舌を吸いながら、ブラウスのボタンを外した。ブラジャーをずらして豊かな乳房を露にして乳首を吸わせる。「もっと噛んで」と、乳房にいくつもキスマークを付けさせた。
 再び訪れた愉悦の痺れで意識が薄れると射精を急いた。二度目の放出で女は卑猥に法悦した。
 小さな流しで一緒に水を飲みながら、伊達が女の姿態を誉めそやして、「写真を撮りたい」と言うと、「どんな写真?」「みんな」「厭か?」「時々来る本部の上司が机に置くのよ」「何を?」「あの時の写真…」「どんな?」「…色々よ」「どうするんだ?」「破り捨てるわ」「どんな男なんだ?」「中年の脂ぎった…。しつこいんだもの」「そんなことはしょっちゅうなのよ」「戦争後家なんだもの」「盛りのついた雌犬ぐらいにしか見ていないんだわ」「男は殆ど死んでしまったでしょ?」「これからは若い人の時代なんだわ」「明日から夏休みなんだ」「私も明日は休みよ」「今夜は泊まりたいな」「家は大丈夫なの?」男が頷くと、目を煌めかせてバス停と時間を指定した。
 女が紙幣を差し出しながら、「若いからお腹が空くでしょ?」「少し遅刻はしても学校には行くのよ」と言った。

異人の儚 1️⃣

異人の儚 1️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-03

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