夏を理由にしてもいい

 シュークリームの、クリームが、カスタードと、ホイップの、ダブルのやつだったらけっこう、しあわせって思うぼくは、たんじゅんだろうけれど、でも、そういうちいさなしあわせのつみかさねが、日々の活力になっているのだし、おおきいとか、ちいさいとか、かんけいなく、しあわせだと感じるならそれでいいよね、と、まるで、だれかにいいわけしているみたいに、こころのなかで唱えている。コンビニエンスストアの、スイーツのコーナーで、じっと見つめている、ぼくと、しろくまの、あいだには、こぶしひとつほどのすきまが、あって、ぼくはいつも、それを、ひそかに、もどかしく思っている。わずかのすきまも、埋めたいくらい、ぼくは、しろくまのことが好きで、しろくまも、おそらく、ぼくのことが好きだ。ただ、しろくまは、ぼくがにんげんであって、しろくまがしろくまであることを、気にしすぎている系のしろくまなので、やさしいけれど、そういうところが、ちょっと、はがゆい。いまさら、種族とか、それこそ、性別もふくめて、恋や、愛に、隔たりなど、という時代に、しろくまは、しごくまじめで、そういうまじめなところもひっくるめて、愛しいのだけれど。杏仁豆腐と、マンゴープリンを、見比べているしろくまの横顔を、ぼくは盗み見ていて、夏の夜のコンビニエンスストアは、どやどやとにぎやかしい。若者たちの集団、酔っ払ったカップル、雑誌の立ち読みをしているひと、いま起きたばかりみたいな調子の、店員さん。ふいに、コンビニエンスストアの軒下にある、あの、青色の光、誘蛾灯、というなまえの、虫をおびきよせて殺すという、なかなかに残酷なあれの、ぱちぱち弾ける音のことを思い出す。しろくまとホテルに行きたいと思うほど、自然に。意味もなく。すこしでも手を揺らせば、触れられる距離にいて、けれど、見えない何かが、じゃまをする。ぼくは、きみだけに愛されたいのに。

夏を理由にしてもいい

夏を理由にしてもいい

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-23

CC BY-NC-ND
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