題名のない手紙 第06話

 先生の写真を見た。
 小さな写真だったけど、はっきりと顔を見ることが出来た。
 いつも、あたしの思い出にある姿でしか、思い返せなかったけれど。
 ・・・・・嬉しかった。
 だけど、それ以上に悲しかった。
 あたしの唯一の希望が、もう消えてしまったんだということを、確認してしまったから。
 結局・・・・・・どこに逃げても、あたしは独りなのかもしれない。

 分かっていたこと。
 ここに来たらあなたがもういないことを再確認するだけだって。
 けど・・・・・・先生。もう一度、ちゃんと話したかった。
 あなたを・・・・・・として。
 それは、もう叶えることが出来ないから。
 だからこそ、先生のことが知りたい。
 あなたがどんな人だったのか。
 届かないからこそ、たくさんの先生を知りたい。
 その為に、ここまで来たんだから。



『坂上家』



 見上げた空はいつもと変わらず青く広がっている。雲ひとつない快晴。
 太陽は今日もいっそうと輝き、日差しを強めている。

「ふぅ・・・・・・」

 額ににじんでいる汗を腕で拭う。
 初夏にしては気温が上がっていて、少し動いただけでも身体は熱を帯びていた。
 今、僕はある場所へと向かっている。
 昔、一番世話になった人のところへ。

「ひさびさ、だな」

 目の前に白い大きな家が見えた。大きいと言っても横に長さのある平屋。
 ガラス引き戸の上には表札があり、立派な時で『坂上』と書かれている。
 僕の友人、坂上 浩司の実家だ。
 浩司の父親は穂波診療所の院長だった人。
 僕に初めて医師の仕事の辛さ、素晴らしさを教えてくれた人。
 僕と優日の仲をいつも心配してくれていた人。
 そして、僕がここから居なくなる時、優日の全てを押し付けてしまった人。
 なんて挨拶したらいいのだろう。
 目の前にチャイムの呼び出しボタン。
 指を伸ばす・・・・・・けど、どうしても押せなかった。

「・・・・・」

 僕はどうしてこう勇気が欲しい時に勇気が出ないのだろう。
 思い悩んでいる時、いきなり引き戸が横に流れた。

「あら?」
「・・・・・・ど、どうも。お久しぶりです」

 気まずい。
 見つかってしまった恥ずかしさと後ろめたさで顔を背ける。

「と、俊也くん!?」
「遅くなってすみません。帰ってきたので報告に参りました」

 驚き半分、喜び半分で僕を見つめてくる女性。
 この人が浩司の育ての親である坂上柚華(さかがみゆずか)さん。
 小さい頃から母親がいなかった僕にとっての親代わりでもある人。
 変わりのない姿を見て、安心できた。
 というよりも、この人はもう何年も変わりがないようにみえるけれど・・・・・・外見年齢だけで言えば30代前半と言われても信じてしまうレベルだろう。

「こ、こ、こ――」
「柚華さん・・・・・・?」

 鶏みたいに『こ』を連呼している。
 柚華さんは突然、家の中へ駆け出していった。

「浩介さーんっ!!」
「あ・・・・・・」

 ははは・・・・・・相変わらずだな。


◇◇◇


「おひさしぶりです」

 居間まで通してもらい、挨拶をする。
 目の前には坂上浩介(さかがみこうすけ)さん。浩司の父親であり、穂波診療所の元院長。
 浩介さんは、ソファに腰をかけ、ゆっくりと僕を見上げた。
 そして穏やかな声で。

「一年振りだね。帰ってきてくれて嬉しいよ。向こうはどうだった?」

 再会を祝ってくれた。

「すごく勉強になりました、いい出会いもありましたし」

 決して良い思い出だけではないけれど、その人たちに会えなかったら、僕は優日の後を追っていたかもしれない。
 ・・・・・・僕にそんな度胸があるのかは分からないけれど。

「そうか。それは良かった。浩司とはもう会ったんだったかい?」
「はい」
「変わってないだろう? あのバカ息子は」
「ははは。でも、それが彼のいい所だと思いますよ」

 浩司だけじゃない。浩介さんも、柚華さんも、変わってない。
 変わらず、暖かく僕を包んでくれる。

「彼女の一人も作らないであの年だ・・・・・・先が思いやられるよ」
「大丈夫ですよ、浩司なら。きちんと見つけることが出来ると思います」

 それが紗衣香ちゃんとは限らないけど。

「そうだといいんだがね・・・・・・親としては心配だ」
「あの・・・・・・」

 なんて切り出そう。
 謝らなければならない。
 そのためにここに来た。

「ん?」
「今まで・・・・・・すみませんでした」

 立ち上がり、頭を下げる。

「・・・・・・どうしたんだい?」
「僕は・・・・・・自分の患者である優日を、浩介さんに押し付けました」
「・・・・・・」
「そして・・・・・・そこまでしたのにも関わらず、何も出来ませんでした」

 何もすることが出来なかった。
 最後の足掻きでさえ・・・・・・時間が足りなかった。

「だから、『すみませんでした』と『ありがとうございました』の言葉を伝える為に、今日はここに来たんです」
「・・・・・・謝られても礼を伝えられても困るな。私はただ診ていただけ。何もすることが出来なかったのは、私も同じなのだから」

 浩介さんは困ったような表情で、僕を見て。

「君は私を信頼してくれて、優日さんを預けた。それなのに見送ることしかできなかった。謝るべきなのは私の方だ」
「そんなことありません。浩介さんはずっと傍に居てくれました。最期のその時まで、沙衣香ちゃんと一緒に優日の傍に居てくれました。僕がしなかったことをしてくれました」
「・・・・・・」
「優日にとって、それはきっと嬉しかったことだと思います。だって、独りではなかったのですから」

 優日の傍に誰かがいてくれた。
 それが一番安心できた。
 一緒にいることを放棄した僕が言えることじゃないけれど、彼女を独りにさせたくはなかった。
 
「これが、僕の自己満足だとは思います。けど、言っておきたかった」
「・・・・・・わかった」
「え・・・・・・?」

 ふっと表情を崩して、静かに笑みをこぼして。

「俊也くん。一つだけ聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか」
「君は今も、自分を責めているのか?」
「・・・・・・はい」

 優日は僕に自分を責めるなと言った。
 彼女の優しさが詰まった言葉。
 けど、彼女に許されるわけにはいかない。
 僕はきっと、自分の人生を終えるまで、自分を責め続けるだろう。

「けど、それは優日くんの願いではないだろう。一番してほしくないことだと彼女は思っているんじゃないかな」

 浩介さんも分かっているみたいだった。
 優しく諭すように僕に言い聞かせている。
 黙って聞いている。けど、目にはそれは分かっていますという意思を乗せて浩介さんの顔を見て。
 自分が育ててきた未熟な弟子に、仕方ないなと息をついて。

「気負いしすぎないようにするんだぞ。君はどうも自分一人で背負い込もうとする。優日さんと同じくね」
「・・・・・・すみません」

 ――コンコン。
 ドアをノックする音が聞こえた。
 それと同時にドアが開き、柚華さんが入ってきた。

「ごめんなさいね。少し手間取ってしまって」

 そう言って、おぼんの上にのっていたお茶と甘菓子をテーブルの上に置いた。

「あ、すみません。そんなに長居はできないんです」
「ん? 何かこれから用事があるのかい?」
「ええ。学校の方に行って健康診断しなくちゃいけないんですよ」
「そうなの・・・・・・でも少しくらいは時間あるでしょ?」

 残念そうに僕の顔を覗き込む柚華さん。

「そうですね。お茶を頂く時間ぐらいなら」
「良かった。それじゃ冷めないうちに頂いてくださいな」

 差し出されたお茶をすする。
 少しの渋みが口の中に広がる。

「じゃあ、私からも一言」

 突然、浩介さんは真剣な顔つきで僕の方を見て。

「君はこれからいろんな出会いがあるだろう。辛いものが多いかもしれない。けれど、自分も相手も良かったと思える出会いであってほしい」

 浩介さんはどうだったのだろう。
 いろんな出会いの中で何を感じてきたのだろう。

「私はね。俊也くんで良かったと思ってる。命の大切さを知っている君なら、あの場所を守れると思う」

 間違って、逃げ続けて、そして今もまだ探し続けている。答えを。
 見つけられるだろうか。

「上月俊也くん。君に穂波診療所を任せた。これでバトンタッチだ」

 ふっと表情を緩めて、優しい笑顔を、言葉を僕にかけてくれた。
 跳ね上がるように立ち上がり、浩介さんに深く、頭を下げる。

「僕は穂波診療所に、とても大切なものをたくさん教えてもらいました」

 たくさんの死を見てきた。
 たくさんの生を見てきた。
 たくさんの命を見てきた。
 たくさんの絆を見てきた。
 数え切れないほどの人の、人生という物語の最後をあの場所で見てきた。
 それはどれも辛いもので、悲しいもので、嬉しいもので、温かなもので・・・・・・。

「だから、守ります。守り通します」

 とても大切な場所。
 大切なものを教えられた場所。
 これからは、教えられたことを胸に、恩を返していく日々が始まる。

「良かったわね。浩介さん」

 じっと静観していた柚華さんが、穏やかな表情で浩介さんに語りかける。
 浩介さんは嬉しそうに目を細めて、同じように柚華さんに答える。

「ああ。良かった」

 言葉はそれだけ。
 診療所を守り続けた人のたった一言が本当に満足げに囁かれた。
 浩介さんが今まで歩んできた道。
 決して平坦ではなかっただろう道。
 大切な人を失い、他人の大切な人の笑顔を守ろうと、自ら選んできた道。
 そして行き着いた答えの中で、僕は優日と出会い、恋をした。
 きっと、すべては繋がっているんだろう。
 僕の道も、僕ではない誰かの道に。
 その誰かの道も、また他の誰かの道に。
 だからこそ、僕は自分の道を閉ざすわけにはいかない。
 僕の答えはまだ見つからないけれど、他の誰かの答えの為に、あの場所を守り続ける。
 そう、心に誓った。
 


◇◇◇


「ふぅ・・・・・・」

 健康診断は次で最後の生徒になった。
 人数自体が全校30人と少ないのでそんなに疲れはしないけど、けっこう気を使う。

「さて・・・・・・これで最後か」

 ドアが開く音がした。
 最後の子が入ってきたみたいだ。
 後ろを向いて、この前の健康診断の結果が書いてある紙を取る。
 椅子に座る音がしたので、とりあえず前を向きながら。

「それじゃ、上着をまくっ」
「えぇー、先生エッチですぅー。そんなに私の裸が見たいんですかぁー?」

 目の前には体をくねくねさせて、恥ずかしがってる浩司が。

「でもでぇもー、先生になら見せちゃってもいいかも・・・・・・なんて、きゃっ、恥ずかしいぃー」
「・・・・・・」
「いや、そんな冷たい目で俺を見るなって・・・・・・」
「・・・・・・」
「その、ひさびさにお前の突っ込みが聞きたくてさ・・・・・」
「・・・・・・」
「いや、その無言が果てしなく恐ろしいのだけど・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・すみませんでした」

 軽く殺意を覚えました。

「で? 最後の子はどうしたの?」
「風邪で休んでな。それを伝えようと思って来たんだ」

 普通に伝えてください。

「じゃあ、今日はもう終わりなんだ」
「俺はまだ授業がある。次は国語だな」

 浩司はこの学校で体育の教師をしている。
 子供達が少数人数なだけ教師も少数な訳で、他にも色々な教科を教えているらしい。
 こんな浩司が、まともな授業が出来ているのだろうか?

「へぇ。国語なんか教えれるんだ?」
「失礼なことさらっと言いやがったな。今日は漢字テストあるからな。今頃焦って勉強してんじゃねぇか?」
「漢字テストね。あんまり難しいの出したらダメだよ。こういうのって授業の確認程度でいいんだから」
「ほら。これ」

 そう言ってテスト用紙を僕に見せる。
 受け取って見てみると

【次の文の漢字を読みなさい】
1、あんまり穿鑿しないでくれ。
2、今日の鮟鱇は活きがいい。
3、饂飩を食べる時、すするのが重要だ。

 なんだこれ。
 さらに下を見てみる。

【次の文のひらがなを漢字に直しなさい】
1、神様に祈るようにのりとを述べる。
2、今日もたんぼを耕そうと、力を込めた。
3、あの人はらつわんの選手だ。


「絶対、小学校で習う漢字じゃないよね?」

 というか、大学でも習わないだろう。
 なんだこのクイズ番組でなきゃ出なそうな、マニアックな問題は。

「そうだろ、そうだろ。これを見たときのあいつらの顔と想像すると・・・・・・くっくっくっくっ」
「ただのいじめだろ。これ」
「将来役に立つって」

 絶対立たないと思う。

「そんじゃ、あいつらの嘆く顔を見るとするか・・・・・・」

 先生として失格なことを呟いている浩司にため息をついて。

「それじゃ、僕は帰るかな」
「あ、俊也。聞きたいことがあった」

 いきなり真剣な顔つきになって、浩司が僕を呼び止める。

「紗衣香ちゃんに、なにかあったのか?」
「何かって、どうして?」
「いや、紗衣香ちゃんが健康診断の準備をしに来た時に会ったんだけどな。いつもと雰囲気が違った感じがしてな」

 浩司が言うからには、本当のことだろう。
 憶測でものを言ったりしないし、第一、紗衣香ちゃんのことに関しては、浩司の方が僕なんかより早く気付く。
 それだけ、見続けてるってことなんだろうけど。

「そっか。ちょっと気にして見てみる」

 紗衣香ちゃんのことだから、上手く隠してしまうかもしれないけれど。
 昨日のこともあるし、少し気になる。

「まぁ、期待しないで待ってる。もしなにか分かったら教えてくれ。教えられる範囲内ならな」

 手を上げて、ドアを開けて出ていく。
 玄関に向けて続く、長い廊下が目の前に広がる。
 その中を静かに歩いていく。

「・・・・・・昨日、やっぱり何かあったんだろうか」

 霧宮さんの様子もおかしかった。
 二人の間に何かあったのかもしれない。
 なんとなく、一つの教室が目にとまる。
 何かのプリントを頭を抱えながら書いている生徒の姿があった。

「浩司の専門は国語だったっけ」

 そういえば、とふと思い出す。
 懐かしい記憶。
 なにも知らなかったからこそ、幸せだった日々。
 そういう穏やかな時間もあったんだ。
 真っ白な気持ちで相手を追っていた時が。



◇◇◇



 時刻は三時。
 診療所に着いた時はもうそんな時間になっていた。
 少しお腹が減り、なにか食べようと台所に向かう。
 ドアを開けると、そこには霧宮さんが居た。
 自分の部屋から出ているなんて珍しいな。
 手にはお茶を持って、じっとそれを見ていた。

「ただいま」

 僕が入ってきた事に気付いていなかったのか、少し驚いてこっちを見る。

「・・・・・・ああ」
「お茶入れ替えてあげようか?」

 そう言って手を差し出す。
 それに言葉もなく、湯のみを僕の方へとことっと置いた。
 受け取った湯飲みは、もう熱さがなかった。
 淹れてからどれだけ時間が経っていたのだろう。

「そういえば昨日、散歩に出かけたのかな?」

 それとなく聞いてみる。

「散歩? あぁ。行って来たけど」

 やっぱり行って来たのか。
 答える声は心ここにあらずで、何かを考えるような仕草をして。

「なぁ。優日さんってさ」
「え・・・・・・?」

 また、優日の話。
 やっぱり、霧宮さんは優日と知り合いなのか?

「霧宮さん。昨日もそうだけど、優日を知っているの?」

 しまった。思わず聞いていた。
 あまりにも無遠慮な言葉に自分で後悔して。

「ごめん。詮索する気は」
「知らない」
「あ・・・・・・」

 そう言って席を立つ。
 そして台所を出て、自分の部屋へと戻っていった。

 案の定、聞かれたくないことだったみたいだ。
 不用意に突っ込みすぎた。
 自分の行動に反省しながらまた後で謝ろうと思い、淹れる相手がいなくなった湯のみを台所にことっと置く。

 けど、霧宮さんに関しては不思議なことはいくらかあった。
 この診療所を選んだ理由。
 こんな辺ぴなところにある場所にわざわざ赴く理由が分からなかった。
 その理由が、もしかして優日なのだろうか。
 でも、繋がりが分からなかった。
 少なくとも、僕が優日と付き合いだしてから、あの子に会ったことはないと思う。

 考えていると診察室の方からきぃっと扉が開いて紗衣香ちゃんが顔を出した。

「先生。お帰りなさい。早かったですね。霧宮さんは?」
「ただいま。さっき自分の部屋に戻っていったよ」

 探すようにキョロキョロと顔を動かして探す紗衣香ちゃんに答える。

「こっちはどうだった?」
「診察を受けに来た方はいらっしゃいませんでした。ですが、診に来てほしいという電話は受けています」
「そっか。それならすぐに出ようかな」
「付き添いますか?」
「いや、大丈夫。こっちに付いていて」

 連絡を受けた患者のカルテを僕に手渡す。
 それを受け取りながら、紗衣香ちゃんの様子を伺う。
 けど、浩司が言うような雰囲気の違いは分からなかった。

「先生」
「ん?」

 これから外に出ようと準備をしていたところに後ろから声を掛けられる。
 振り向いて紗衣香ちゃんを見る。
 すると申し訳なさそうな顔をして

「霧宮さんのこと、なんですが。しばらく彼女のことをそっとしておいてくれませんか?」

 そう言い辛そうに言った。
 そして頭を下げて。

「すみません。私が口を出すことではないのは分かっているのですが」

 立場上での出すぎたお願いをしていることに対する謝罪。
 そういうことをされても困ってしまうのだけれど、と苦笑しながら。

「実は、さっき霧宮さんに優日のことを聞かれそうだった。昨日は優日の写真を見たがっていたから見せてあげた」
「・・・・・・そうなんですか」
「何か秘密があるのは分かってる。そして、霧宮さんはそれを僕に知られたくないのも」

 あからさまで隠しきれていない。
 それどころがこちらへ優日のことを聞いたりと抜けているのが目立つ。
 可愛らしいところと言ってしまえばそれまでだけれど。
 なんとなく、それだけで済ませてはいけない気がした。
 これは勘だし、当てにならないかもしれないけど。

「紗衣香ちゃんは霧宮さんの秘密を知ってるね?」
「・・・・・・はい」
「なら、ここは紗衣香ちゃんに任せることにするよ」
「え・・・・・・?」

 紗衣香ちゃんは困ったような顔から驚いた顔に変わった。
 こんなことを言われるとは思いもしなかったようだ。

「で、でも・・・・・・私なんかじゃ」
「全部を押し付けるわけではないよ。ただ、その秘密に関しては紗衣香ちゃんに任せることにする」

 知る必要がなければ知らなくていい。
 知る必要があったとしても、隠したがっているものを強引に知るわけにもいかない。
 霧宮さんが優日とのことがどれだけ大事に大切にしているのか。
 それは彼女の口から聞かなくてはいかないことだと思う。

「残念だけど、僕はあまり信用されていないみたいだからね」
「あ、いえ! そういうわけではありません」

 紗衣香ちゃんが声を荒げて、強くそれを否定する。

「私がたまたま知っていただけです。霧宮さんも私が知っていることを知らないでしょうし・・・・・・先生が信用されていないとかそういうことじゃなくて」
「・・・・・・ありがとう」

 気を遣わせてしまったみたいだ。
 腕時計を見るとずいぶん話し込んでしまったみたいでそろそろ出なくてはいけない時間になっていた。

「それじゃ、行ってくるね。この話はまた今度にしよう。霧宮さんからはあまり目を離さないようにしてほしい」

 変に律儀な部分があるから、黙って勝手に出るというようなことはしないと思うが念のために

「・・・・・・はい。お気をつけてください」

 紗衣香ちゃんに見送られながらドアを閉める。
 外はすでに日が傾きかけていた。けど、まだ暑さは残っていて熱気が体を纏うように絡みついた。額ににじんだ汗を腕で拭いながら呟いた。

「優日・・・・・・」

 君は霧宮さんに何を残したんだろう?
 まったく・・・・・・篠又優日は、昔も変わらずに篠又優日だったみたいだ。
 自分のことをないがしろにして、他人のために動いて。

「そして、僕や紗衣香ちゃんに心配かけて」

 本当に変わらない。
 苦笑しながら思う。
 でも、そんな優日が居たから、霧宮さんはここに来たのかもしれない。

 辺りを見回す。青々とした草の近くからは虫の鳴き声が回りに響いて反響していた。
 思い出したように腕時計を見ると、約束の時間に近くなっていた。走らないと間に合わないかもしれないなと、その中を駆け足気味に駆け抜けていった。

題名のない手紙 第06話

題名のない手紙 第06話

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-04-03

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著作権法内での利用のみを許可します。

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