好きなひとがわたしではない誰かのたいせつなひとになる現実について
サービスですといって、黒い服のひとが、わたしたちのテーブルにいちごのショートケーキをおいた。黒い服のひとは、バーのウエイターさんで、わたしたちはお酒をのんでいて、ケーキがでてくるなんて思わなかったし、でも、夏目さんは、サービスがケーキっておもしろいと微笑んでいるし、わたしは、べつに、ケーキもきらいではないし、とはいえ、わたしたちのほかにはお客さんがいなくて、これが、わたしと夏目さんだけに対する、とくべつなサービスなのか、それとも、このバーをおとずれたひとにはもれなくつくサービスなのか、はじめてのお店でわからないので、とりあえず、テーブルを離れてゆく黒い服のひとの背中に向かって、ありがとうございます、とお礼をいった。黒い服のひとは、わずかにふりかえりながら笑みを浮かべ、カウンターにいるマスター(と思われるけれど、ウエイターの黒い服のひとと然程変わらない、二十代そこそこにもみえる)と、会話をはじめた。夏目さんはさっそくいちごのショートケーキの、三角形の頂点あたりにフォークをいれて、スプーンのようにのせて、くちにはこんだ。頬をおおげさに膨らませながら咀嚼し、のみこんだのか、のみこんでいないのか、不明なタイミングでケーキが来るまえに注文したハイボールのグラスに、かたちのよいくちびるをつけた。それ、どうなの、と思いながら、わたしは、夏目さんのようすを観察し、やっぱり夏目さんが好きだなぁ、とも思った。おとなびているようで、かわいらしい。かわいらしいけれど、凛としている。どこか涼やかにみえて、小動物のあたたかさを想わせる。
でも、夏目さんは、秋になったら、わたしではないひとのものに、なってしまうので。
わたしは夏目さんの、左手の薬指で光っているそれを、ひそかにうらめしく、じっとにらみつけ、夏目さんが、わたしではないひとのたいせつなひとになってしまう現実を、もう、直視できそうになかった。なまえもしらない、ただ、なんだかおしゃれな感じのカクテルを、ひたすらにのんで、のんで、いっそのこと、酔っ払って、きょうは夏目さんに、めいわくをかけて、めいっぱい甘えてやろうとかんがえていたのに、のんでも、のんでも、わたしの意識はいたって正常で、明朗で、アルコールにつよいじぶんの体質を、しずかにのろった。夏目さんがはいている黄色いタイトスカートから、つるんとした膝頭がみえているのが、ちょっとえっちっぽくていい、なんて、俗っぽい思考をふりはらうように、あの、さっきの黒い服のウエイターさんと、白いシャツを着たマスター、どちらとならセックスできるかという妄想をしようとして、でも、うまくできなくって、やっぱりわたしには、夏目さんしかいないという事実に、かるく打ちのめされていた。ショートケーキのうえでかがやいていた真っ赤ないちごは、泣きたくなるくらい酸っぱかった。
好きなひとがわたしではない誰かのたいせつなひとになる現実について