こどもだけのくに
こどもだけのくにで、一時的に、いのちをともしたことがある。とはいえ、なにを成し遂げたわけでもなく、ただ、息をしていただけ。それだけでも、じゅうぶんなんだよ、という、きみの、それは、なぐさめなのか、それとも、いやみなのか、わからないけれど、ぼくは、こどもだけのくにで、わずかな時間をすごし、息をするほかに、していたことといえば、もとのくに、つまりは、ぼくが、うまれたくにのようすを、こどもだけのくにのみずうみから、ながめていたくらい。こどもだけのくにの、みずうみは、えいぞうをうつす、おおきなスクリーンとなっていたので。けれども、もとのくに、つまり、本来の、ぼくのうまれたくには、こどもだけのくにと、たいした差もなく、まちの規模も、くにの機能も、かまえているおみせも、慣習なんかも、似たり寄ったりであり、唯一、異なることといえば、こどもいがいに、おとなもいる、というところなのだが、こどもだけのくにのこどもたちは、おとな、というものに、まるで興味がないようだった。みずうみを、いつも、じっとみていたのは、ぼくだけで、こどもだけのくにの、こどもたちは、まいにち、じゆうに、こどもらしく、暮らしていた。こどもだけのくにでの、ぼくは、ようは、分身、などというもので、からだは、でも、こどものような肉づきで、成長とともに失われた弾力が、あった。もとのくにでの、きみは、もうすこしごはんをたべたほうがいいのにって心配になるほど、なのにね。そういって、きみが、おもむろに、ぼくのわきばらを、なでる。服の上からではなく、皮膚の上から。肉と、骨を、たしかめるみたいに。こどもだけのくには、ぼくのうまれたくによりも、あたたかかった。こどもと、おとなの、体温のちがい?思いながら、ぼくは、ぼくの皮膚の上を、ひだりへ、みぎへ、うえへ、したへとうごきまわる、きみの指の熱さに、しだいに、ぼんやりとしてきて、潔く、とけそうだった。
こどもだけのくに