斜陽

 けんちゃんが、空をみているあいだに、わずかばかり、海は、かたむいた。水平線が、斜める。こいびとが、ピアノを弾くために、遠い国に行ってしまったことを、致し方のないこと、などという、けんちゃんが、わたしはなんだか、ちょっと、きらいだ、と思っている。公園の、あの、犬とか、うさぎとか、パンダとかの、前後に揺れる、おおきなバネのついた、遊具、あれには、ふつう、ちいさなこどもしか、のらないのではなかったか、けんちゃんは、ちいさなこどものような、無邪気で、屈託ない、素直な笑みなんか、まるで浮かべずに、どこか、陰鬱そうな表情で、パンダのそれを、ゆっくり揺らしている。まえに、うしろにと。けんちゃんのこいびとは、やさしいひとだった。むかつくくらいに。ピアノがうまい、という表現は、きっと、ピアノのピの字もわかっていないわたしが言い表すには、しつれい、なのかもしれないけれど、ピアノがうまいがために、けんちゃんのこいびとは、遠く、海の向こうの、芸術の盛んな国へと旅立ってしまったのだから、やっぱり、うまいのだ。長い指をしていた。ついでに、ピアノを弾いているときの横顔がうつくしくて、学校では、とても人気があった。そんなひとと、けんちゃんが、つきあっているのだから、やっぱり、世の中って、よくわからない。そりゃあ海も、かたむくさ。わたしの、幼なじみのけんちゃんは、勉強は苦手だし、スポーツも得意ではないし、びびりで、声もちいさくて、なんだか、いつも、よわよわしいけれど、絵のコンクールで何度も賞をとったことがあるのだから、あれ、やっぱり、つりあっているのかな。わたしはといえば、勉強はそこそこ、スポーツもそこそこで、芸術方面で突出しているものもなく、ああ、唯一、だれかにじまんできることといえば、みじかい時間で、かんぺきなお化粧ができること。それくらい。
 斜めになった水平線に、たいようがしずんでゆく。
 致し方ないこと、なんて強がって、ほんとうはすごくさびしいくせに、さびしいといわないけんちゃんが、わたしは、好きだった。

斜陽

斜陽

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-20

CC BY-NC-ND
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