平成ラストサマー

深山瀬怜/浅谷てるる

平成ラストサマー

 平成最後の夏だからなんなんだ。中学最後の夏も高校最後の夏も俺には何もなかった。終わってみれば夏はただの夏だ。そこに感傷なんてものは存在しない。
 そもそも俺は夏が嫌いだ。外に出れば汗が吹き出して、少し歩くだけでふらついてしまう。こうやってエアコンの効いた家の中から見る、目を刺す青すぎる空も、ひっきりなしの蝉時雨も、俺の命を削っているような気さえする。夏に削られて、今の俺はきっと一回り小さい。
 平成最後の夏なんてさっさと終わってしまえばいい。今年はやけに暑いし。夏は、日本人が平成と一緒に心中するのを望んでいるような気さえしてくる。
 カーテンを閉めて、読みかけの本を手に取ろうとしたとき、呼び鈴が鳴った。今日は荷物が届く予定なんかなかったはずだけれど。集金とか宗教とか新聞なら早々にお帰りいただこう。そう思いながら、玄関のドアを開けた。
「はろー、和樹(かずき)。相変わらず引きこもってるねぇ」
「熱中症の最大の予防はエアコンの効いた部屋から出ない、だ。それより瑞波(みずは)、なんだよその格好」
 宅配便でも集金でも宗教でも新聞でもなく、そこにいたのは隣の家に住む幼馴染の瑞波だった。瑞波は薄い水色の生地に赤や黒の金魚が描かれた浴衣を着ていた。日に焼けた肌に金に染めた髪、という今時珍しいくらいギャル然とした見た目をしている瑞波だが、意外に浴衣が似合っている。肌の色が濃いから、薄い色の浴衣が映えるのだろう。
「だって商店街のお祭りじゃん」
「あーそんなのもあったな。ていうか行くのかお前」
「そりゃあ平成最後の夏なんだから祭りには出来るだけ参加するでしょ」
 出た、平成最後の夏。瑞波は特にそういうことを気にするタイプだ。小学校最後の夏も、中学最後の夏も、高校最後の夏も、この調子だった。最後の夏の前では宿題など瑣末なことらしく、いつも遊び過ぎて宿題をやる時間がなくなっていた。
「で、和樹も一緒にどうかと思って」
「行かないぞ。なんでわざわざ死にに行かなきゃいけないんだ」
「ちゃんとポカリも持って来たし! あと夕方から行けばいいじゃん」
「いや、そんなん友達とか彼氏と行けよ。なんで俺……」
「だってみんな他のとこ遊びに行っちゃっていないんだもん」
 はいはい。俺は最後にどうしようもなくなったときに選択肢に挙がる男なわけね。でも瑞波の「最後の夏」に巻き込まれたらろくなことにならない。だいいち、外に出れば夏が命を削ってくる状況で、出かけたいと思うなんて正気の沙汰ではない。
「最後なんだからさ! 楽しまなきゃダメじゃん」
「最後も途中も変わんないだろ。だいいち商店街の祭りなんて毎年やってるしょぼいやつだし」
「祭りは祭りだよ。いいじゃん、和樹だって昔はよくわかんない光る剣とか買ってたじゃん」
 それは違う。俺の名誉にかけて断固否定する。
「あれは瑞波がかっこいいって言ったからだろ。なのに金がないってさ……散財しすぎなんだよ」
「いいじゃん。金は天下の回り物っておじいちゃんが言ってたし」
 世の中の人間がみんな瑞波のようになれば、経済問題は解決するかもしれない。欲しいものは買う。それが瑞波だ。
「……とにかく、俺はそういう平成最後の夏、とかそういうのに付き合う気はないから。読みかけの本もあるし」
 そう言って玄関のドアを閉めようと、ドアノブに手をかける。そろそろ部屋の中にも熱気が入って来てしまう。蝉の声は夏の命の短さをこれでもかと喧伝していた。
「じゃあ私にとって最後の夏でも、ダメ?」
 俺の手を押さえた瑞波の手。付け爪の上にも金魚が泳いでいる。屋台の金魚はすぐに死んでしまう。夏の命はとかく短いものなのだ。
 ――だから、俺は、その言葉を真に受けてしまった。
「まあそうだよね、和樹そういうキャラじゃないしね」
 瑞波はくるりと俺に背を向けて、高く昇った太陽に手をかざした。腕につけた飴玉のようなブレスレットが瑞波に色とりどりの光を落とす。
「いいや、一人で行くよ。荷物持ち欲しかったけど仕方ない」
 逆光で、瑞波の姿は影の中に沈んでいる。簪にも金魚の飾りがついていて、それが生きているみたいにゆらゆらと揺れた。
「――行くよ、瑞波」
「えっ?」
 狐につままれたような顔をして、瑞波が振り返る。誘って来たのはそっちだろ。
「今まで一度も付き合ってくれたことないじゃん。……えっ、もしかしてさっきの本気にしちゃった? うっわー純粋だね! 純粋さオリンピックがあったら金メダルだね!」
「別にそんなんじゃねぇし」
 真に受けたのは一瞬だけだ。瑞波は人類の半分が死んでもしぶとく生き残る女だ。向日葵のように生命力に溢れてる瑞波に、最後の夏なんて来ない。
「よく考えてみたら、元号が変わるって確定してるのなんて初めてだし、味わっといた方がいいのかなって」
「そっかーそっかー。和樹は私のことが好きかー」
「だからそんなんじゃねぇって。だいいちお前彼氏いるだろ」
「別れたよ、三日前に」
 あっさり告げられた事実に、空いた口が塞がらない。みんな他のところに遊びに行っちゃった、に彼氏は入っていなかったらしい。
「平成最後の夏だからスカイダイビングとバンジージャンプと富士急行こうって言ったら、付き合いきれないって」
「……それはまあ、お前が悪いかもな」
「だからせめてお祭りだけでも行きたかったんだよ。やっぱり持つべきものは幼馴染だね」
 その言葉に胸が痛むこともない。俺は別に瑞波に恋愛感情を抱いているわけではないのだ。でもこれが瑞波の最後の夏だとしたら、それは嫌だと思ってしまったのだ。
「じゃあ準備するから、お茶でも飲んで待ってろよ」
「うん。お邪魔します」
 考えてみれば、明日急に隕石が降って来て全員死ぬかもしれないし、いつが最後の夏かなんて本当はわからない。アイスとかないのー、と言う瑞波に、冷凍庫の中で一番安いアイスを出して、エアコンの効いた部屋に戻る。
 カーテンを開けると、目を刺すような青色が飛び込んでくる。どうか、夏よ。瑞波の命だけは削らないでいてほしい。

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