植物少女の標本

深山瀬怜/浅谷てるる

植物少女の標本

 先程、先生の作品を見させていただきました。とても素晴らしい作品たちでした。どの花も壜の中でとても美しく咲いていて。
 ええ、そうです。今日はお願いがあってここに来たのです。先生の噂を聞いてから、ずっとこの日を待っていました。先生はどこにいるかさえ教えてくださらないから、方々探したんですよ。そしてやっとここに来れたのです。
 今まで自分からここに来た人はいない? そうでしょうとも。私は少し変わり者なのです。
 興味があるのですか? 意外です。悪い意味ではなくて。先生は素材に対してそこまで感情移入をしない人だと勝手に予想していたので。……ああ、感情移入はなさらないのですね。では何故知りたいと思うのですか?
 ああ、なるほど。わかりました。そういうことなら構いません。ですが、決して他人には漏らさないでくださいね。先生はわかってくださるかもしれませんが、人によっては気持ち悪いとさえ思ってしまうような話なのです。
 漏らすような他人がいない? 先生もそんな自虐的なことをおっしゃることがあるのですね。
 わかりました。ではお話ししましょう。――これは私の、一番大切な秘密の話なのです。

 それは、中学の理科の時間のことでした。
 理科の先生が、植物の生態に関するビデオを流したのです。電気を消し、カーテンを閉めた暗い理科室で、私はスクリーンに映るその映像を眺めていました。
 ほとんどの内容は覚えていません。おそらくは維管束だとか、そういう話だったのでしょう。
 私の心を一番惹きつけたのは、被子植物の受粉のシーンでした。花粉が雌しべの柱頭に付着した後の話です。花粉はその後、胚珠に向かって花粉管を伸ばしていくのですが――ああ、先生にこんなことを説明する必要はありませんでしたね。とにかく、重要なのはその花粉管です。
 花粉管がするすると伸びる様子が、早回しでスクリーンに映し出されていました。そのとき、私は自分の奥から熱い液体がとろりと溢れ出るのを感じたのです。はじめは予定より早く生理が始まってしまったのだろうか、と思いました。けれどすぐに違うとわかりました。でもそれが何かはわからないまま、理科の授業が終わってしまいました。私はそのあとの休み時間にトイレに駆け込み、その正体を確認することにしました。
 それは、生理前に出るおりもののようでした。けれど私はそこまで量が出る方でもなく、下着を湿らせるくらいに溢れたそれのことはわかりませんでした。私は不思議に思いながら、その液体が出てくる場所に指でそっと触れました。
 思いの外大きな音が響いてしまいました。けれど休み時間の女子トイレはかしましいものです。きっと誰にも聞こえてはいなかったでしょう。
 当時の私はそれが何かまだわからずに、ただトイレットペーパーで拭って、そのまま授業が終わるまで普通に過ごしました。そのあとの数学の授業や社会の授業では何も起こらず、いつの間にか私は理科の授業でのことを忘れてしまったのです。
 家に帰った私は、宿題をやることにしました。両親は共働きで、家には私一人でした。その日宿題が出されたのは理科だけでした。理科の先生は宿題を多く出すので嫌われていましたが、その宿題は教科書を見れば誰でも解けるようなものだったので、私は好きでした。
 そう、そこで私は再び出会ったのです。イラストで描かれたその細い管。解答欄に文字を書きながら、私は私の奥の熱が甦るのを感じました。私は椅子に座ったまま、しっとりと濡れた場所に指を入れ、生まれて初めての、背筋が痺れるような感覚を味わったのです。
 その行為を何と呼ぶかは、そのあと暫くして知りました。そして、人間の行為は植物とは全く違うということも。
 人並みに恋人ができたこともありました。その人と行為に及ぶことともちろんありました。けれど私はその度に思ったのです。
 どうして人間の行為は、植物のように静かではないのでしょう。
 獣だから仕方ないのかもしれません。しかし性器を出し入れして、精液を吐き出し、その中にいる精子が泳いで子宮を目指す、というのはどうにも洗練されていないように感じます。滑稽ですらあります。どうしてもっと静謐ではいられないのでしょう。花粉管のようにするすると伸びて、子宮まで細胞を届けてくれるのだったらどんなにかいいでしょうに。人の行為はどこか野蛮で、おぞましいものに思われます。
 こんな私ですから、誰かとお付き合いしてもうまくいかないのです。仕方なく、夜中ひとりであの映像を思い出しながら自分を慰めています。私が植物だったらどんなにかいいでしょう。けれど私は人間の女なのです。それに本当のことを言いますと、私はこの人間の体のまま、静かに結ばれたいだけなのです。

 長々と話してしまってすみません。誰かにこのことを話すのは初めてなもので、つい喋り過ぎてしまいました。でもこれでわかっていただけだと思います。私が先生のところに来た理由が。
 これでも私の望みは叶えられない? いいえ、私はこれで充分なのです。先程、先生の作品を見させていただきました。どれも華やかでいながら、静かで、それでいて秘密めいていて。これは私の理想そのものです。私はここに来るために生まれてきた存在なのだと、心からそう思えます。
 最初の花ですか? 確かアブラナだったと思います。記憶は定かではありませんが、黄色い花だったのは覚えています。
 ああ、さすが先生です。私ではとても思いつきもしませんでした。どうぞ先生の思うままにしてください。私は先生を信じて、この身の全てを預けます。
 覚悟はとうに決まっております。さあ先生、どうか私を――花と交わらせてください。

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