朝をつれてくる

 くじらが、朝の空を、およいでいた日。
 よびだしは、いつもとうとつだし、きみは、どこにいても、なにをしていても、その、いまにもこぼれおちそうなほど、ゆらぐ、瞳で、ぼくをみつめて、花を摘んでくれ、という。夢のなかの、あやふやで、どちらかといえば、おんなのこみたいな嗜好で、いろどられた、世界観の、淡い紫色の空に似た、花に、きみは、埋もれて。朝は、だいたい、花の重みで目が覚める、きみが、ぼくをたよりにするのは、それは、でも、もしかしたら、なによりもしあわせなことなのだろうかと思いながら、くじらの残像を、みる。くじらは、東から、西へ、およいでゆく。朝を、つれてくる。たなびかせて、朝を、よこにのばしていく。次第に、朝は、たてにも膨張して、夜が、おしやられて、あかるくなった空には、もう、くじらのすがたは、ない。くじらが、きえる瞬間を、きみは、みたことがあるという。「ぜんぜんしらない、くじらなのに、いなくなった瞬間に、たいせつなひとをうしなったときのような、ぽっかりしたさみしさが、うまれる」のだと、きみはいって、ぼくは、きみの、からだじゅうに咲いた、パステルパープルのちいさな花を、ひとつ、またひとつと、摘み取る。花は、茎をとおして、きみの、養分で、生きているものだと想像すると、摘むのが少しばかり、憚れるので、なにも考えずに、無、になって摘み取るのが、いちばんであった。無心で、花を摘みまくり、きみが、まっさらになったからだを、蒸しタオルで拭い、さぁ、きょうもいちにちのはじまりだ、と、ふたりでインスタントコーヒーをのむ。それは、なんだか、いままで経験した、かぞえるほどしかないセックスの快感よりも、気持ちがいいもののような気がして、ぼくはひそかに、恍惚する。

朝をつれてくる

朝をつれてくる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-19

CC BY-NC-ND
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