シロヒメ、今日から学級委員長なんだしっ❤

「あんまりぷりゅぷりゅしないで~♪ シロヒメ、いつでもぷりゅぷりゅ~♪」
「確かにいつでもぷりゅぷりゅしてるもんね、白姫ちゃんは」
「そうなんだし。ぷりゅぷりゅしてるんだし」
「何ですか『ぷりゅぷりゅしてる』とは……」
 白馬の白姫(しろひめ)と青鹿毛馬の桐風(きりかぜ)の会話に、赤褐色馬の麓華(ろっか)があきれた声をもらす。
「ほら、マリエッタも一緒に歌うんだし」
「は、はいっ。あんまりぷりゅぷりゅ――」
「いいですから、マリエッタまで!」
 あわてて麓華が止める。
 マリエッタ――白姫と同じ白馬の彼女は〝騎士の学園〟のあるこのサン・ジェラール島で最近友だちの輪に加わったばかりの女の子だ。
「なんで止めるんだし」
 ぷりゅ。白姫が不機嫌そうに麓華をにらむ。
「シロヒメとマリエッタが仲良く歌おうとしてたのに。仲良しな白馬同士で」
「あなたの奇行に無理やり付き合わせるのはやめなさい。マリエッタは普通にいい子なんですから」
「シロヒメだっていい子なんだしーっ!」
 早くも怒りを爆発させる。そのまま麓華に跳びかかろうと――
「ぷりゅっ」
 止まる。
「もー、また白姫ちゃん、ケンカ――」
 なだめようとした桐風がはっとなる。
「ケンカ……しないの?」
「ぷりゅ」
 うなずく。
「マリエッタがイヤがるんだし」
 白姫が視線を向けると、確かにマリエッタは争いの気配におびえるように小さく身体をふるわせていた。
「大丈夫なんだし、マリエッタ」
 そんな彼女に微笑みかけると、軽く胸を張って、
「シロヒメ、友だちのイヤなことはしないし」
「白姫さん……」
 安堵の笑みをにじませるマリエッタに、頼もしくうなずいてみせる。
「ぷ、ぷりゅ……」
 迎え撃とうと身構えていた麓華が動揺の息をもらす。
「驚いてる、麓華ちゃん?」
 桐風にそう言われ、あたふたと、
「お、驚いてなど……。そもそも、あの駄馬をまともに相手したことなんてありませんから」
「ぷりゅ!」
 麓華の『駄馬』発言に白姫の耳がぴんと立つ。
 しかし、
「さー、学校行くし、マリエッタ。今日も仲良く勉強するし」
「はいっ」
 マリエッタと共にあっさり背を向けられ、またもや動揺を隠せない。
「ふふふー。麓華ちゃんの負けだねー」
「そんな……」
「この間のマリエッタちゃんの一蹴りが白姫ちゃんを真白馬にしたところはあったかなー」
 反論しようとするも、結局何も言えず麓華はただ口を開け閉めするばかりだった。


「作文。ハナブサシロヒメ」
 共に学ぶ馬たちに見つめられながら、白姫は堂々と課題の『作文』を語り出す。
「ヨウタローはとってもシロヒメのことをかわいがってくれます。シロヒメもヨウタローのことが大好きです。おわり」
 ぺこり。一礼してすぐに、
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 馬たちから賞賛のいななきがあがる。
「いいなー」
「白姫ちゃん、いいなー」
「いいでしょー」
 素直にうらやましがる馬たちに、白姫もおかしな謙遜をすることなくうなずいてみせる。ここで学んでいる馬の中にはまだ主人がいない者も多いのだ。
 と、そこへ、
「ぷりゅっ!?」
 ドン! 無理やりに押しのけられる。
「シルビア様はとてもわたしをかわいがってくれます」
「って、パクってんじゃねーしっ!」
 強引に自分の『作文』を読み始めた麓華に白姫のたてがみが逆立つ。
「パクりっていうか、まー、シルビアちゃんも麓華ちゃんのことかわいがってるしね」
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 桐風の言葉を受けても怒りが収まらないという白姫だったが、
「ぷりゅ」
 気づいたというように目を開き、
「シロヒメはシロヒメで、あの子はあの子だし。別にそれぞれかわいがられていいんだし」
「おー」
 感心したという息をもらす桐風。
「自分のほうがかわいがられてるって言いたいならそれでもいいし。シロヒメがかわいがられてないということにはならないんだし」
 冷静にそう言うと、発表の場を背にして自分の元いたところへ戻った。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 余裕とも取れるその態度に、またも麓華が動揺を見せる。
「麓華さん?」
「!」
 はっと身体をふるわせる。
 彼女に声をかけたのは、この場にいる者たちの〝先生〟である栗毛馬の女性――モーリィだった。
 先生――
〝騎士の学園〟サン・ジェラールには、騎士の馬たちにも学ぶ場が設けられていた。主人が学園にいる間、馬たちもまた彼らに負けず己に磨きをかけるのだ。
「あの……」
 馬にはめずらしく眼鏡をかけ、どこかおずおずとした印象のモーリィは、
「どうか……しました? 無理をされているようでしたら、いまは……」
「無理などしていませんっ!」
 ぶんぶんと首を横にふる。そして再び『作文』を読み始める。
「わたしには、その、シルビア様の他にもお父様が……あ、いえ、そんな『他』などというような言い方は間違いで、わたしの大切なお父様で」
「ろ、麓華さん……」
 言うたびにますますあわてふためいていく彼女を見て、モーリィも負けず劣らずあたふたとなってしまう。
 そこへ、
「しっかりすんだし!」
 励ましとも叱咤とも取れるような声を送ったのは白姫だ。
「情けないんだし。麓王(ろくおう)のおじちゃんだったら、そんなふうにあわてたりとかしないんだし」
「ぷりゅ……!」
 麓王――父馬の名を出されてふるえが走る。
「失礼しました」
 声に落ち着きが戻る。
 息を調え――
 麓華は打って変わって、終わりまで乱れることなく『作文』を読み終えた。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 またもあがる惜しみない歓声に、麓華ははにかむように目を伏せた。
 と――そんな光景を、
「………………」
 モーリィが何かの期待をにじませた表情で見つめていた。


「やっぱり仲良しなんですね」
 休み時間――
「ぷりゅ?」
 唐突なマリエッタの言葉に白姫の目が丸くなる。
「仲良し? あっ、シロヒメとマリエッタがだし?」
「それはその通りですけど」
 マリエッタは微笑し、
「白姫さんと麓華さんが」
「ぷりゅ!」
 白姫は眉をつりあげ、
「なに言ってんだし! あの子となんて仲良くないんだし!」
「でも、授業で」
「あれは違うんだし!」
 ぷりゅふん! と顔をそむけ、
「あの子があんまり情けないから見てられなかったんだし。それで助けたっていうか」
「助けた……」
「だ、だから、違うんだし!」
 またもあわてて首を横にふる。
 そんな白姫を見て、桐風がおかしそうに笑う。
「素直じゃないね、白姫ちゃんも」
「素直だし! シロヒメ、いつも素直ないい子なんだし!」
「ぷっりゅっりゅー」
「ぷりゅふんっ」
 笑い続ける桐風を前に、白姫はぷーっと頬をふくらませる。
 ――と、
「ショックだったみたいだよ」
「ぷりゅ?」
「麓華ちゃん」
 桐風が声を沈め、
「かばわれたこと、ものすごくショックだったみたい。駄馬な白姫ちゃんに」
「って、キリカゼまで『ダバ』とか言ってんじゃねーしっ!」
 さすがにそこには怒りを見せる。
「まーまー」
 慣れた調子であしらい、
「いまは麓華ちゃんのことでしょ」
「そ、そうですっ」
 マリエッタが声に力をこめる。
「麓華さんが落ちこんでるなんて……わたしたちで励まさないと!」
「別に励まさなくていーし」
「麓華さんは友だちです!」
 そこはゆずれないと声を張る。
「行きましょう!」
「あっ、マリエッタ」
 走り出した彼女を見て、白姫はあたふたと、
「ど、どーするし?」
「どうするも何も、白姫ちゃんがどうしたいかだけど」
「ぷりゅふんっ。しょーがないから励ましてあげるしっ。マリエッタがそうしたいって言ってるから」
「まー、白姫ちゃんに励まされたら、麓華ちゃん、もっと落ちこむよねー」
「ぷっりゅっりゅー、それも狙いなんだし。思いっきり上から目線でなぐさめてやんだし」
「そういうとこはやっぱり悪いねー、白姫ちゃんは」
 楽しそうに言い、桐風は白姫と共にマリエッタを追って走り出した。


「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 そこに来た一同が見たのは、
「麓華ちゃん」
「元気出して、麓華ちゃん」
「……ありがとう」
 学校の馬たちに囲まれた麓華が、弱々しいながらもお礼を言う。
「ぷりゅー」
 そんな様子を遠くから見た白姫は不満そうに鼻を鳴らし、
「なんだし、あれ。なんで、あんなに馬気者なんだし」
「うまきもの?」
「馬の人気者ってことだね」
 マリエッタの疑問の言葉に桐風が答える。
「あの子、とってもイヤな子なんだし。シロヒメにいじわるばっかりするし」
「まー、するのは白姫ちゃん限定だけど」
「ぷりゅー」
「他の子にはすごく優しいよ。麓華ちゃん、ほら、頼りがいあるし」
「シロヒメにだってあるし!」
「んー。白姫ちゃんは『頼りがい』ってタイプじゃないかなー」
「それは認めるし」
 ぷりゅ。あっさりうなずく。
「ほら、シロヒメって愛されるタイプだからー。シロかわいいからー」
「しろかわいい?」
「まー、こういう意味不明なセリフは聞き流して」
 またもマリエッタに桐風が言う。
「ほら、シロヒメってぷりゅみあふれる馬だからー」
「ぷりゅみ?」
「だから、聞き流してって」
「『ぷりゅみ』とは、シロヒメのかわいさの要素なんだし。『あまみ』『にがみ』『すっぱみ』『うまみ』『ぷりゅみ』なんだし」
「え、えーと」
「ほら、意味不明でしょ」
「とにかく!」
 ヒヅメを踏み鳴らし、
「ぷりゅみあふれるシロかわいいシロヒメが馬気で負けることは許されないんだし」
「あ、あの」
 不穏な空気にマリエッタがおろおろしだす。
「ケンカは……」
「ケンカはしないし」
 ぷりゅ。当然だというように鼻を鳴らし、
「正々堂々の勝負だし!」
「勝負も、あの、できれば……」
「シロヒメは――」
 力強く宣言する。
「頼りがいあふれるシロヒメになるんだし!」
 思わぬことを言われたというようにマリエッタが目を見張る。
「頼りがいあふれる?」
「そうだし」
 ぷりゅ。うなずき、
「シロヒメはかわいいし。そこにはなんの問題もないし」
「は、はい……」
「そのかわいいシロヒメに頼りがいが加わるし!」
 ビッ! 目に力をこめ、
「もう完全無敵なんだし。ぷりゅスペックなんだし」
「ぷりゅスペック?」
「フルスペック的なことかなー」
「ぷりゅーか!」
 ぷりゅぷん! 荒っぽい鼻息で、
「あの子に負けるのヤなんだし! どんなことでも!」
「まー、そっちが本音だよねー。授業の時は大人になったと思ったけど」
「でも勝負なんて」
「いいんじゃない、こういう勝負なら」
「はあ……」
「ぷりゅーわけで頼りがい鍛えんだし! マリエッタもキリカゼも協力するし!」
「協力ですか……」
「で、具体的に何するの?」
「偉くなればいーし」
 当然! と胸を張る。
「偉くなれば自然とそんけーされるし。みんなが頼りにするし」
「は、はあ……」
「相変わらず考え方がシンプルだね、白姫ちゃんは」
「そこがいいとこなんだし。素直なんだし」
「素直ってそういうことでしょうか……」
「そーゆーことなんだし」
 ぷりゅ。自信満々にうなずいてみせる。
「ぷりゅーわけで偉くなるし!」
「あの、でも……」
「だから具体的に何をして偉くなるの」
 そこに、
「ちょっといいですか、白姫さん」
「ぷりゅ?」
 ふり返ると、眼鏡の向こうに微笑みをたたえているモーリィの姿があった。
「なんだし、先生? もう休み時間、終わりだったし?」
「いえ、そうではなく」
 おどおどとした感じは見せつつも笑みを絶やさないまま、
「すこし白姫さんにお話が」
「シロヒメに?」
「はい」
 そして、モーリィは言った。
「シロヒメさんにお願いしたいことがあるんです」
「ぷりゅ!」
 白姫の耳がぴんと立つ。
「先生が? シロヒメにお願い?」
「はい」
「ぷりゅーっ!」
 よろこびのいななきと共に跳び上がる。
「聞いたし聞いたし!? シロヒメ、先生にお願いされてるし! これって頼りにされてるんだし!」
「そ、そうですね……」
「さっそく鍛えた成果が出たし」
「いやいや、まだ何もしてないから」
 そこへ、
「なんの騒ぎですか、あなたたち」
 馬たちをつれた麓華が近づいてくる。
「あ、あの、わたしたちも麓華さんをなぐさめようと……」
「マリエッタは優しいんだし。さすがシロヒメの友だちだし」
「わたし〝の〟友だちですが」
「まー、シロヒメもなぐさめてあげるしー。頼りがいあふれるシロヒメがー。どこかのかわいそうな子をー」
「くっ」
 言いたい放題に言われ、たちまち怒りをみなぎらせる。
「し、白姫さん……」
「麓華ちゃんにとっては、白姫ちゃんの相手をするのが一番元気になれるのかもね」
「そうなんでしょうか……」
 マリエッタが不安がり桐風がにこにこと見守る中、白姫はますます得意そうに、
「シロヒメ、先生に頼りにされてるんだしー。どこかの誰かよりぜんぜん頼りがいあるんだしー」
「ぷりゅ!」
 信じられないというように目を見開く。
「あり得ません! 先生がこのような駄馬を!」
「だから『ダバ』って言うんじゃねーしっ!」
「先生!」
 怒る白姫を無視し、
「嘘でしょう!? このような駄馬の言うことなど!」
「あ、あの、友だちをそういうふうに呼ぶのは」
「嘘じゃねーんだしーっ!」
 パカーーン!
「ぷりゅぐふっ!」
 動揺していたところに不意打ちに近いかたちで蹴りをくらう。
「し、白姫さんも暴力は」
「この子が悪いんだし。シロヒメのこと悪く言うから」
「それも悪いですけど……ええと……」
 おどおどするばかりで、モーリィは何も言えない。
「先生……」
「なんだか、昔のマリエッタちゃんみたいだね」
「は、はい……」
 桐風の言葉にマリエッタは恥ずかしそうに縮こまる。
「それで、先生」
 白姫は何事もなかったような顔で、
「シロヒメへのお願いってなんなんだし?」
「あっ、そ、そうですね」
 モーリィはあらためて白姫と向き合い、
「なってもらいたいんです」
「ぷりゅ?」
 首をひねる。
「なる? 何にだし?」
「白姫さんに……」
 モーリィは言った。
「学級委員長になってもらいたいんです」

「ぷりゅっふっふー」
 この上なく誇らしげに。白姫は静かな笑みをもらし続けていた。
「白姫ちゃん、ずーっと笑ってるね」
 学校からの帰り道。
 桐風の指摘に胸をそらし、
「ついにシロヒメの時代が来たんだし」
「ついに来たんだ」
「来たし! ようやくシロヒの真価が発揮されるんだし!」
「よかったですね、白姫さん」
「ぷりゅふふんっ❤」
 マリエッタにほめられ、ますますうれしそうに鼻を鳴らす。
 そこに、
「あり得ない……あり得ない……」
 ぶつぶつと。ひたすら暗いつぶやきが聞こえてくる。
「あーもー、うっとうしいしー」
 嫌そうにふり向いたそこには、青ざめた顔でふらふらと歩く麓華がいた。
「いーかげん認めるし。シロヒメのほうがゆーしゅーだって」
「あ……あり得ませんっ!」
 絶叫する。それだけは断固認められないと。
「先生の気の迷いです! でなければ、こんな駄馬が学級委員長になど」
「ぷりゅふふーん。負け馬の遠吠えだしー」
「ぷりゅ!」
 たちまち目をつりあげる麓華の前に、
「まーまー」
 桐風が割って入る。
「実際、マリエッタちゃんのことで白姫ちゃんはがんばってたでしょ」
「わ、わたしだって……」
 悔しそうに言うが、その声に力はない。麓華もそれについては認めざるを得ないと感じているのだ。
 白姫を学級委員長に――
 そう提案したモーリィのあげた理由が、入学したばかりのころ人見知りならぬ〝馬見知り〟だったマリエッタを周りにとけこませたことだった。
 その行動力を見こんで、馬の学校初の学級委員長にしたいというのだ。
 最近の白姫の人格――馬格的な成長ぶりも彼女の決断を後押ししたようだった。
「確かに……」
 マリエッタがしみじみと微笑む。
「あのときのことは本当に感謝しています。白姫さんだったら、きっとみんなを幸せにしてくれると思います」
「マ、マリエッタ……」
「ぷりゅー、いいこと言うしー。さすがシロヒメの友だちだし」
 うんうんとうなずき、
「ほら。ここまでマリエッタが言ってるのに、シロヒメが学級委員長にふさわしくないなんてことがあるんだし?」
「ぷっ……ぷぷぷ……」
 目に涙まで浮かべ、耐えきれないというように、
「ぷりゅーーーーーっ!」
 悲痛ないななきをあげ、麓華は駆け去っていった。
「やーい、逃げてったしー。シロヒメの勝ちだしー」
「白姫さん」
 そこへマリエッタがすこし厳しい表情で、
「白姫さんは学級委員長になるんですよ」
「そーだし」
「学級委員長はみんなの代表です。もちろん麓華さんに対しても責任があります」
「ぷりゅ!」
 はっとなった白姫はあたふたと、
「も、もちろんそーなんだし。シロヒメ、学級委員長なんだから」
「でしたら」
 心持ち声に力をこめ、
「優しくしてください。麓華さんにも」
「ぷりゅー……」
 複雑そうな顔をしていたものの、
「ま、まー、マリエッタがそこまで言うなら優しくしてあげるし。学級委員長として。シロヒメに負けちゃったかわいそうなあの子にも」
「はい、ぜひそうしてください」
 強がりの抜けない彼女に、にこやかながらも念を押す。
「ぷりゅー」
 不承不承ながら逆らえないという息がこぼれる。
 そんなやり取りに桐風が笑いつつ、
「ひょっとしたら、マリエッタちゃんが委員長でもよかったのかもねー」
「ぷりゅ! いきなりシロヒメの座を狙ってるし? そうなんだし、マリエッタ!」
「ええっ!? わたしはそんな……き、桐風さん!」
「ぷっりゅっりゅー」
 いっそうおかしそうに笑いながら、桐風は軽やかな足取りを見せた。


「シロヒメ、学級委員長なんだし!」
 突然の言葉に、
「えーと……」
 花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)は戸惑いを見せつつも、
「よ、よかったね」
「よかったんだし!」
 すりすり。愛する主人に鼻をすり寄せる。
「それで……どういうことなのかな」
「こういうことなんだし!」
 学級委員長になったいきさつを葉太郎に語る。
「そうなんだ」
 納得したという笑みが広がる。
「偉いね、白姫は」
「偉いんだし」
 ますますうれしそうに鼻を鳴らす。
「こんな偉いシロヒメがいてくれてうれしい?」
「うれしいよ」
「ぷりゅー」
 幸せの絶頂というように頬をゆるめる。
「あっ、そうだし」
 不意に思い出したというように、
「ヨウタロー、聞いてほしいんだし」
「えっ」
「シロヒメのしょしんひょーめー演説なんだし」
「所信表明……?」
 突然の言葉に首をかしげる。
 白姫は構わず、
「今度、シロヒメ、クラスの委員長になります。こんなふうに立派なシロヒメになれたのも、生まれたときからヨウタローがいっぱいかわいがってくれて、いっぱい愛情を注いでくれたからです」
「白姫……」
 笑みが浮かぶ。
 それは学校で彼女が発表したのと同じような〝作文〟だった。
「シロヒメもヨウタローみたいにクラスのみんなを愛せる馬になります。おわり」
 ぺこり。一礼する。
「よかったよ、白姫の所信表明」
「ぷりゅー」
 拍手を受け、照れながらも誇らしげに胸を張る。
「そうか……白姫が学級委員長か」
 しみじみとつぶやいたあと、はっと、
「冴さんに話を聞こうかな」
「ぷりゅ?」
 冴――共に屋敷で暮らしている五十嵐冴(いがらし・さえ)の名前を口にし、
「ほら、冴さんも学級委員をしてたから。何か参考になるような話が聞けると……」
 とたんに、
「ぷりゅー」
「し、白姫?」
 不機嫌そうな息をもらし始めた彼女にあたふたと、
「どうしたの」
「イヤなんだし」
「えっ」
「だから、イヤなんだし!」
 ぷりゅぷんと頬をふくらませ、
「シロヒメ、話とか聞きたくないし。嫌いなんだし。ヨウタローになれなれしくするから」
「なれなれしくって……いまは一緒に暮らしてるんだから」
「とにかくイヤなんだし!」
 こうなるとわがままな白姫は聞かない。
「けど、いきなり学級委員なんて……心配だよ」
「だいじょーぶだし」
 ますます胸を張って、
「シロヒメ、できる子だから。それで先生だって委員長にしてくれたんだし」
「でも……」
 不安は消えないようで、
「僕、やっぱり冴さんに……」
「聞かなくていいし!」
 ぷりゅふんっ、とそっぽを向く。
「ヨウタローはシロヒメのことしんよーしてないの?」
「そんなことないよ……」
「だったら、このままのシロヒメでいいし」
「白姫」
 両手で顔をはさみ、自分のほうを向かせる。
「学級委員長っていうのは責任のある立場なんだよ」
「そんなのわかってるし。マリエッタにも言われたし」
「大変だからって途中で投げ出したらだめなんだ。だから何があってもいいように、ちゃんと準備してほしいんだよ。白姫のためにも」
「葉太郎……」
 真剣な想いが伝わったのか、強気だった目を伏せる。
 そんな彼女を見るまなざしがやわらぎ、
「僕ね、初めての普通の学校でいろいろ慣れないことが多くて困ってたとき、何度も冴さんに助けてもらったんだ」
「ぷりゅ」
 たちまちまた白姫の表情が険しくなる。
 それでも、葉太郎は話を続け、
「冴さんがいてくれて本当によかった。冴さんっていう学級委員がいてくれて」
「ぷりゅぅ……」
「僕はね」
 どこまでも優しいまなざしのまま、
「白姫にもそういう学級委員になってほしいんだ」
「………………」
 白姫は、
「……わかったし」
「じゃあ、これから冴さんに」
「観察するし」
「えっ」
 戸惑う葉太郎の前でつんと鼻をそらし、
「シロヒメ、観察するんだし。どうすれば委員長っぽくなれるか。ヨウタローがよろこんでくれたみたいなことができるか」
「えーと……話を聞いたほうが早いんじゃ」
「そんなことないんだし。なんか、達人とかは目で盗むって聞いたことあるし」
「言うけど、別に盗まなくても」
「盗むんだし!」
 力強く言い切り、
「シロヒメ、完全無欠ないいんちょーになるんだしーっ!」
「ち、ちょっと……」
 葉太郎が止める間もなく、白姫はその場から駆け出していった。


「ぷりゅー」
「う……」
 注がれ続ける視線に、こめかみが引くつく。
「どうしたの、冴ちゃん」
「あっ、ユイファ先ぱ……」
「お姉ちゃん」
 にこやかに。かつ有無を言わさない顔で使用人服姿に眼鏡の劉羽花(リュウ・ユイファ)が言う。
「お……お姉ちゃん」
「じゃあ、あらためて。どうしたの、冴ちゃん」
「いえ、その……」
 ちらり。窓の向こうに、
「白姫ちゃん?」
「ぷりゅ!」
 ユイファが近づいていくと、白姫はすぐに窓から離れてどこかへ去っていった。
「どうかしたの、白姫ちゃん」
「それが……」
 首をひねりつつ、
「なんだか……見られてるみたいで」
「見られてる?」
「はい……」
 確信が持てなさそうながら、
「白姫ちゃんに……さっきからずっと」
「えっ、どうして」
「いや、だから、それがわからなくて」
「うーん……」
 考えこみ始めるユイファ。
 そして、
「人気だよ」
「は?」
「だからぁー」
 ぎゅっと抱きしめ、
「冴ちゃんが人気者になったの。白姫ちゃんが注目せずにはいられないくらい」
「そ、そんな!」
 あわてて、
「ないですよ、そんなの!」
「どうして?」
「だって、そんないきなり」
「わたしにとっては、冴ちゃんはずっと人気者な妹だったよ」
「なんですか『人気者な妹』って!」
 そこに、
「あの……」
「花房君」
 思わず助かったという顔で、
「あの、白姫ちゃんが」
「うん。そのことで僕も話をしに来たっていうか」
「えっ」
「実は……」
 葉太郎は白姫との間にあった会話を冴に語って聞かせた。
「見て盗むって……」
「ごめんね、白姫が」
「あっ、ううん、いやとかじゃないんだけど」
 さすがに戸惑いは隠せない。
「わたしなんか見ても勉強にならないんじゃ」
「冴ちゃん」
 ユイファが口を開く。
「違うよ」
「違う……?」
「そうだよ」
 ビッ! 親指をあげ、
「冴ちゃん、大丈夫だから!」
「あの、大丈夫って」
「ちゃんと〝妹〟だから!」
「いや、白姫ちゃんが求めてるのはそういうことじゃないと」
「姉のわたしの目から見て……」
 急に深刻そうな顔で、
「冴ちゃん、ちょっと学級委員っぽくないところはあるかも」
「えっ」
「かわいすぎるから」
「ええっ!?」
 不意の言葉に真っ赤になる。
「何を言ってるんですか、ユイファ先――」
「お姉ちゃん」
「お……お姉ちゃん」
「うふふー」
 何度聞いてもうれしいというように微笑み、
「冴ちゃんはかわいいねー」
「か、からかわないでください」
「からかってないよ。ね、葉太郎君」
「うん。冴さんはかわいいよ」
「――!」
 これまで以上に顔が赤く染まり、
「ヘ……ヘンタイ!」
「ええっ!?」
 突然の『変態』発言に悲鳴があがる。
「あっ……だ、だって、そういうことをさらっと言うから」
「そういうこと?」
「かわいい……とか」
「でも、冴さんがかわいいのは本当のことだし」
「だよねー」
「っ……ユイファ先――」
「お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃんもやめてくださーーーいっ!」
 ついには、涙目で声を張り上げてしまう。
 ユイファはいっそう愛らしいものを見る目で、
「ごめんね、冴ちゃん。でも、いいものあげるから」
「いいもの?」
「冴ちゃんが委員長っぽくなれるもの」
 そう言うと、
「はい」
「!」
 かけられた。
「な……」
「わー、いいよー。似合うー」
「って、これ、眼鏡じゃないですか!」
「わたしのだよ」
「いや、誰のかはいま問題じゃなくて」
「似合う似合うー。ねー、葉太郎君」
「うん。素敵だよ、冴さん」
「だから、そういうことをさらっと言わないの!」
「かわいさに知的さが加わって、まさに委員長な妹ってカンジ❤」
「妹の部分はいまは……」
 と、慣れない眼鏡をかけさせられた冴がふらつく。
「冴さん!」
「きゃっ」
 とっさに――というより当然のようにその身体を葉太郎が支える。
 腕の中に抱きとめる形で。
「は……花房君っ!」
「大丈夫? 怪我は……」
「ヘンタイっ!」
「えええ!?」
 またも思わぬ『変態』発言に、今度は葉太郎のほうが涙目になる。
 そんな屋敷の中でのやり取りを、
「ぷりゅー」
 いつの間にか戻ってきた白姫が、窓の向こうからじっと見つめ続けていた。

「ぷりゅーん」
「わー」
 得意顔で現れた白姫に、桐風が『驚いた』という声をあげる。
「それってどうしたの、白姫ちゃん」
「委員長なんだし」
 白姫は言う。
「眼鏡だし」
 得意満面で、
「委員長は眼鏡だったんだし。シロヒメ、ちゃんと目で盗んだんだし」
「眼鏡を盗んだの?」
「じゃなくて、目で盗んだんだし!」
 明らかにおもしろがっている桐風だが、白姫は本気で訂正する。
「先生も眼鏡だし。おそろいだし」
「まー、確かに、教師も眼鏡ってイメージあるよね」
「まさに知的なシロヒメにふさわしいんだし」
「知的で素敵?」
「ぷりゅ❤」
 まったく知的とは思えないそんなやりとりに、
「あ……あり得ない……」
「麓華さん」
 昨日のショックから立ち直れていない麓華にマリエッタが寄り添う。
「眼鏡で委員長……あんなことを平気で言う駄馬に」
「いえ、その、きっと気分の問題で」
「あり得ない……あり得ない……」
「ろ、麓華さん」
 ぶつぶつとつぶやきが続く中、
「いよいよ、シロヒメの学級委員長一日目だしーっ!」
 底抜けに明るい声が朝の空にこだました。


「はい!」
「では、白姫さん」
 元気に挙手――でなく挙ヒヅメした白姫をモーリィが指名する。
「騎士の馬は戦いの場で動揺しないこと。取り乱してしまうと、乗せている主人だけでなく仲間も傷つけてしまうかもしれないからです」
「はい、その通りです」
 うれしそうにモーリィがうなずく。
「わたしたち馬はとても繊細です。たとえば、馬車を引いたりレースに出たりするみなさんには、周りのことに気を取られないよう目や耳に覆いをつけられたりすることもあります」
「けど、騎士の馬はそういうことはできません」
 凛々しい口調のまま、白姫が言葉を続ける。
「戦いの場ではどんなことが起こるかわかりません。見ることや聞くことが制限されると、それだけ危険を感じることが難しくなってしまいます」
「でも、そこは騎士の方が指示を出してくれませんか?」
「いいえ。騎士の馬として、主人には戦いに集中してもらわなければなりません。馬のほうにばかり気を取られていては力を出し切ることができなくなってしまいます」
 声に力をこめ、
「騎士と騎士の馬は一つになって戦わないといけません。だから、戦うことの恐怖から目をそらしたり耳をふさいだりしたらだめなんです」
「その通りです、白姫さん」
「馬は騎士を支え、共に戦う同志です。騎士が馬を想ってくれるように、馬もまた騎士のために心を砕き、自分を磨かなくてはいけないのです」
「すばらしい答えです! 満点ですよ、白姫さん!」
 モーリィの惜しみない賛辞に、周りからも歓声があがる。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 白姫は昨日のように無邪気によろこぶことなく、きりっとした顔のまま一礼した。
 まさに優秀で頼もしい〝委員長〟の姿だった。
「うう……白姫さん」
 感動に胸打たれたのか、モーリィの眼鏡越しに涙がにじむ。
「突然、委員長なんて提案をしてしまってすこし不安だったんですが、ここまで期待に応えてくれるなんて」
「白姫ちゃん、すごーい」
「カッコいいー」
「委員長ー」
「白姫委員長ー」
 絶賛うずまく馬たちの中で、
「くっ……」
 麓華が唇をかむ。
「あのような……わざとらしい」
「嫉妬は醜いよー、麓華ちゃん」
「ぷりゅぅ!?」
 桐風の言葉にふるえがわななきとなる。
 そこへマリエッタも、
「いまの白姫さん、本当に立派でしたよ」
「『眼鏡で委員長』なんて言い出したときはどうなるかと思ったけどねー」
 桐風も満更ではないという顔で白姫を見る。
「立場が人を作る……じゃなくて馬を作るってこともあるのかな」
「ぷりゅ」
「目で盗んだっていうのも案外本当だったのかも」
「白姫さん、賢いですから」
「器用だしね」
 笑い合う桐風とマリエッタ。一方、白姫のことが認められない麓華は、悔しげな視線を送るばかりだ。
「では、みなさん」
 満足そうな笑みをたたえながらモーリィは、
「白姫さんが言ったように、今日も自分を磨くため……」
「先生」
 ぷりゅ。白姫が挙ヒヅメする。
「ちょっといいですか」
「はいどうぞ、白姫さん」
 信頼しきっているという顔で発言をうながす。
「シロヒメ、学級委員長としてクラスの力になりたいと思っています」
「ありがとう。やっぱり白姫さんを委員長にして正解でしたね」
「恐れ入ります」
 ぷりゅ。うやうやしく頭を垂れる。
「そこで」
 眼鏡の奥に静かな火が灯り、
「シロヒメに授業の手伝いをさせてください」
「授業の手伝い?」
「はい」
 力強くうなずく。
「シロヒメ、学級委員長としてこのクラスをもっといいクラスにしたいと思っています。そして、クラスだけでなく先生の力にもなりたいと思っています」
「白姫さん……」
 またもモーリィの目に涙が光る。
「ありがとう……本当にうれしいです」
「ぷりゅ」
「けど、いまはそこまでがんばらなくても……」
「ぷりゅーわけで」
 前に出た白姫が馬たちを見渡し、
「先生の許可はもらえたし」
「えっ? あの、いえ、わたしは」
「ここからは! シロヒメが授業を担当するんだし!」
 ぷりゅ!? 馬たちから驚きのいななきがあがる。
「うーん、やっぱり白姫ちゃんは期待を裏切らないねー」
「き、期待って」
 わくわくし始める桐風に、おろおろし出すマリエッタ。
「あの、白姫さん、授業は先生のわたしが……」
「先生」
「は、はい」
「シロヒメ、真面目なんだし」
「はい、それは十分……」
「先生と同じ眼鏡だし」
「それもわかってますけど……」
「だから、授業なんだし!」
 まったく理由になっていない理由を述べると、再び馬たちのほうを向き、
「みんな! 騎士の馬には強い心が大事なんだし!」
「はい、それはさっき白姫さんが言った通り……」
「だけど強い心っていうのはただ勇ましいだけじゃだめなんだし。そういう心は攻めてるときはいいけど逆境に弱いんだし。折れやすいんだし」
「それも……その通りですね」
 うろたえていたモーリィの声に安堵の響きが戻ってくる。
「白姫さん、やっぱりあなたは……」
「そこでシロヒメは考えたんだし」
 重々しく。言う。
「馬のあなたのぷりゅ遠く。ぷりゅぷりゅ住むと馬の言う」
「ええっ!?」
 突然、朗読を始められ、驚きの声をあげるモーリィ。
「な、なんですか、いきなり」
「詩だし」
「詩!?」
「ポエムだし」
「いえあの『詩』の意味が何かを知りたいわけではなくて」
「強い心は、豊かな心でもあるんだし」
 重々しい口調のまま、
「つまり、詩で豊かな心を養うんだし。豊かな感情と教養を養うんだし」
「あの、言っていることは、その、とても素晴らしいんですけど」
「ぷりゅがとうございます」
「ほめたわけでは……いえ、なくはないんですが」
 こうなるともう何も言えなくなってくる。
「ぷりゅーわけで、みんな。シロヒメの後に続いて言うんだし」
「あ、あの……」
「馬のあなたのぷりゅ遠く。ぷりゅぷりゅ住むと馬の言う」
「だ、だから、それはなんなんですか……」
「詩だし。シロヒメの自作の」
「自作の?」
「すばらしい詩だしー。心が洗わるし。磨かれるし」
「それは……えーと」
「こういうこともあろうかと思って作っておいたんだし。できるシロヒメだしー」
「うう……」
 やはり何も言えなくなる。
「馬のあなたのぷりゅ遠く。ぷりゅぷりゅ住むと馬の言う」
「馬のあなたのぷりゅ遠く。ぷりゅぷりゅ住むと馬の言う」
 白姫の後に続いて馬たちが『詩』を朗読し始める。
 と、突然、
「ほら、そこーっ!」
 パカーーーン!
「ぷりゅぐふっ」
 蹄鉄を投げつけられた麓華が苦痛のうめきと共にのけぞる。
「なっ、何を……」
「シロヒメの目はごまかせねーし」
 きりり、と眼鏡を上下させ、
「なんで一緒に言わねーし。あれだし。合唱のとき、歌うふりして口だけ動かしてる子とおんなじだし。口すら動かしてないからもっと悪いし」
「言えるわけがないでしょう!」
 白姫をにらみ、
「あなたのふざけた詩など! こんなものは授業でもなんでもありません!」
「反抗的な生徒だし。心が曲がっているし」
「曲がっていません!」
「曲がっているし。不良なんだし。ねー、先生」
「えっ」
 突然話をふられ、モーリィが目を丸くする。
 そこへ麓華も、
「こんな授業なんてあり得ないでしょう、先生!」
「え、えーと……」
「反抗的だし。やっぱり不良だし。怒ってやって、先生」
「あ……う……」
「先生!」
「先生!」
 板ばさみになったモーリィは、
「み……」
 顔を引きつらせながらも笑みを作り、
「みなさん、仲良く……」
「それじゃ甘いんだしーっ! ビシビシ行かないとダメなんだしーっ!」
「きゃあっ」
「先生を怒鳴りつけるなどと!」
「怒鳴ってないんだし。エールだし」
「そんなエールなどありませんーーーっ!」
 声を張り上げると共に、
「ぷりゅっ!?」
 投げ返された蹄鉄を白姫があわててかわす。
「信じられないし。校内暴力だし」
「先にしてきたのはそっちでしょう!」
「うるせーし!」
 ブンッ!
「きゃっ」
「まだまだ行くしーっ!」
 ブン、ブン、ブンッ!!!
「い、いくつ持っているのですか!」
「いくつでも持ってるし。委員長として当然だし」
「そんな当然などありませんーーーっ!」
 両者の間で蹄鉄が飛び交う中、
「ぷりゅぷりゅー」
「がんばれー」
「がんばれ、白姫ちゃーん」
「麓華ちゃんもがんばれー」
 まるで運動会のように盛り上がる一同に、マリエッタはあぜんとなる。
「ど、どうしましょう……」
「まー、どうにかするのは先生の仕事なんだけど」
 ちらり。桐風が視線を向けた先には、ただおろおろすることしかできないモーリィの姿があった。
「難しいよねー」
「先生、優しいですから……」
「優しいっていうより情けないよねー」
「き、桐風さんっ」
 あわてて声を張るマリエッタだったが、確かにモーリィに騒ぎを止められる気配はなく、蹄鉄の投げ合いはいつ終わるともなく続くのだった。


 翌日――
「今日は歌の授業なんだしー」
「あ、あの、勝手に授業の内容を決めるのは……」
「大丈夫だし。シロヒメ、わかってるから」
「ううう……」
 そう言われるともう何も返せないというようにモーリィは口ごもる。
「今日も楽しくなりそうだねー」
「はあ……」
 桐風の言葉に、当然のようにマリエッタは不安を隠せない。
「あり得ない……やっぱりあり得ない……」
 麓華は一日ごとにストレスを募らせているようだ。
「ほら、そこの反抗的な生徒」
「ぷりゅ!?」
「今日はちゃんと委員長の言うこと聞くんだし」
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
「なんだし、その目は。委員長は偉いんだし。偉いから眼鏡かけてんだし」
「眼鏡は関係ないでしょう!」
「先生も眼鏡かけてるし。なのに偉くないって言うし?」
「それとこれとは」
「シロヒメを委員長にしたのは先生だし。シロヒメに逆らうということは先生に逆らうということなんだし」
「く……」
「先生に逆らうなんて間違いなく不良だし。麓王のおじちゃんに言いつけるし」
「ぷりゅ!」
 父の名前にはやはり過剰に反応してしまう。
「お、お父様には」
「シルビアにも言いつけるし」
「ぷりゅぅ!」
「イヤだったらシロヒメの言うこと聞くし」
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 涙目でふるえる。もはや完全に反抗を封じられた状態だった。
「さー、昨日みたいにシロヒメに続いて歌うんだしー」
 打って変わって明るい声が馬たちに向けられる。
「これでいいんでしょうか……」
 マリエッタが桐風に言う。
「いいんじゃない? みんな、楽しそうだし」
「麓華さんは泣きそうですけど……」
「だねー」
 白姫が歌い始める。
「わかれたーうまにあーった~♪ わかれたぷりゅやであーった~♪」
「どこですか『ぷりゅや』とは!」
 たまらず麓華が歌を止める。
「『ぷりゅや』は『ぷりゅや』だし。逆らうし?」
「逆らうのと、これとは……」
「あの」
 モーリィもおそるおそる、
「授業でその歌はどうかと」
「なんでだし?」
「だって……」
 恥じらうように眼鏡の奥の目を伏せ、
「その……男女の恋愛の歌なんて」
「恋愛は大切だし」
 ぷりゅ。力をこめる。
「誰かを好きになることは心を強くするし。好きな相手のためにがんばりたいってなるし」
「それはそうですけど」
「恋愛をうたった歌が多いのは、みんなそれを大事だと思ってるしょーこなんだし。心の強い馬になるために歌で恋愛を学ぶんだし」
「は、はあ」
 こうなるとまた何も言えなくなってしまう。
「まー、間違ってないよね、白姫ちゃんの言ってること」
「そうですけど授業でなんて……は、恥ずかしいです」
「授業じゃなければいいの?」
「ええっ!」
 からかうような桐風の言葉に、マリエッタが悲鳴をあげる。
「ほら、そこ。私語はダメなんだし」
「あっ、ご、ごめんなさい」
「じゃあ、歌うし。せーの」
「ぷりゅぷりゅーぷりゅりゅぷーりゅりゅ~♪」
「ぷりゅぷりゅ……」
「ぷりゅりゅぷーりゅりゅーっ!」
 馬たちの歌声が響き、戸惑うマリエッタ、そしてもうどうにでもなれという麓華の歌声がそこに重なった。


 また翌日――
「今日はピクニックだしー」
「し、白姫さんっ」
 さすがにこれはとモーリィが声を張る。
「授業の時間を、こんな、遊びになんて」
「遊びではないんだし」
 びしりと言い返す。
「え? あっ、広い野外で訓練を」
「その通りだし」
 ぷりゅ。うなずき、
「歌の訓練だし!」
「う……歌?」
「そうだし」
 またもうなずき、
「広いところは声の伸びがいいんだし。気持ちよく歌えるんだし」
「いえ……あの……」
 早くも泣きそうな顔でモーリィがうろたえ始める。
「今日こそはあり得ません!」
 昨日に続き、麓華も前に出る。
「そうだし。あり得ないんだし」
「えっ」
「だから、歌わなくていいし」
「で、でも、いま歌の訓練だと」
「ぷりゅーかー」
 露骨にさげすむ目で、
「正直、昨日はがっかりだったんだしー」
「な、何が」
「はっきり言ってみんなのハーモニー乱してたんだしー。どこかの誰かさんがー」
「ぷりゅぅ!?」
 ショックに瞳がゆれる。
「あー、確かに、麓華ちゃん、歌は下手だもんねー」
「き、桐風さんっ」
 追い打ちをかける言葉に、
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 これまでと同じように悔し涙をにじませる。
「し、心配ないですよ」
「マリエッタ……」
「麓華さんには他にもいいところがたくさん……」
「つまり、あなたも下手だと思っているのですね」
「ぷ……!?」
「ずっと下手だと思いながら昨日もわたしの歌を……」
「そんなことは、いえ、あの……」
「なに、マリエッタを困らせてんだし」
 ぷりゅ。かばうように白姫が前に出る。
「シロヒメがはっきり言ってやんだし。下手なんだし」
「ぷぅっ……!」
「だから歌わなくていいんだし。みんなの迷惑になるから」
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅ……」
「白姫さん、そこまで言わなくても」
「マリエッタは優しいんだしー」
 うって変わって笑顔で鼻をすり寄せる。
「さ、マリエッタは向こうでみんなと歌うんだし」
「でも、麓華さんが……」
「だいじょーぶだし」
 そしてまた厳しい顔を麓華に向け、
「ほら、劣等生は向こうに立って見学してるんだし」
「劣等生!?」
「腐ったニンジンは飼い葉全体を腐らせてしまうんだし。いらないんだし」
「なんということを……」
「シロヒメ、こせーを大事にするんだし」
「こ、個性?」
「そーだし」
 ぷりゅ。うなずき、
「だから、歌の下手な子はあっち行ってるし」
「ぷりゅぅ!?」
「個性を大事にして、ちゃんと仲間外れにするんだし」
「だ、大事にしてないですよ、それじゃ!」
 たまらずというように抗議が出る。
「マリエッタは優しいしー」
「白姫さん!」
 すると、
「ぷりゅー」
「麓華ちゃん、かわいそう」
「かわいそー」
「ぷりゅ!?」
 次々上がり始めた同情の声に白姫の顔色が変わる。
「ぷりゅりゅりゅ……どういうことだし」
「えっ」
「いつの間にかシロヒメが悪者になってるし。こーかつなさくりゃくにハメられたし」
「こ、狡猾な策略?」
「じゃなかったら、悪者になるわけないし。みんなのことを考えてこの子を仲間外れにしようとした委員長のシロヒメが」
「だから、仲間外れはやめたほうが」
 精いっぱい言うマリエッタに、
「わかったし」
「白姫さん……!」
「でも」
 真剣な顔を麓華に向け、
「この子がどうしたいと思っているのかはわからないんだし」
「えっ……」
 そこへ、
「麓華ちゃん、がんばってー」
 馬たちが声援を送り始める。
「がんばれー」
「がんばって一緒にうたおー」
「ぷりゅぷりゅー」
 麓華の目に、
「みんな……」
 今度は感動の涙が光る。白姫ももらい涙で、
「やっぱり馬は優しいんだし」
「だから、白姫さんももうすこし麓華さんに優しく……」
「わかったし」
 うなずく。
「ぷりゅーわけで」
 優しく――なったと思いきや、やはり厳しい目で、
「シロヒメ、ダメな子を立ち直らせるんだし」
「た、立ち直らせる?」
「あなたにダメな子などと……」
「つべこべ言ってんじゃねーし!」
「ぷ……!?」
「みんなのこの声が聞こえないんだし?」
 麓華がはっとなる。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 送られ続ける声援に、あらためて瞳をふるわせる。
「こんなみんなの優しい想いに応えないんだし? 逃げるんだし?」
「にっ、逃げるなどと誰も」
「だったら!」
 パシィンッ!
「ぷりゅ!?」
 竹刀が鳴らされた――そう錯覚させるような気合で白姫がヒヅメを踏み鳴らす。いつの間にか頭には『ひっしょお』のハチマキが巻かれていた。
「やるし!」
「や、やるとは……」
「決まってるし!」
 パシィンッ! またもヒヅメを鳴らし、
「特訓だし!」
「えっ!」
「特訓するんだし。シロヒメと歌の特訓を」
「う、歌の特訓……」
 かすかに身体を後ろに引く。
「逃げるんだし?」
「……!」
 ぐっと踏みとどまり、
「逃げるはずなどありません! わたしは〝権騎士(プリンシパリティ)〟シルビア・マーロウの馬にして、偉大なる麓王の娘なのです!」
「それでいいし」
 ぷりゅ。うなずき、
「じゃあさっそくやるし」
「だから、やるとは具体的に何を」
「ここはどこだし?」
 周りを見渡し、
「ここは山のふもとだし」
「そのようなことは知っています。あなたがピクニックと言ってみんなをつれてきたのですから。……まあ、山というか丘くらいの高さですけど」
「丘でも山でも坂はあるし」
 またも当たり前のことを言い、
「ウサギ跳びだし!」
「ええっ!?」
「なんだし? ウサギを差別するし」
「ウサギを差別しているわけでは」
「愚弄するし?」
「愚弄もしていませんっ!」
「なら、やるし」
 当然だという顔で、
「ほら」
「『ほら』ではありません! なぜ、ウサギ跳びをしなければ」
「鍛えると言えば、ウサギ跳びなんだし」
 これまた当然と、
「スポーツものの特訓はウサギ跳びと決まってるし。ロープで結んだタイヤとか引っ張るんだし」
「いつの時代のスポーツものですか! だいたいウサギ跳びはひざを痛めると科学的に……」
「シロヒメの特訓に科学とかカンケーねーし! 根性あるのみだしーっ!」
「ぷりゅぅ!?」
「あ、あの、白姫さん」
 あわててマリエッタが割って入る。
「スポーツでなく歌の特訓では」
「歌もスポーツだし」
「ええっ!?」
「歌には体力が必要だし。はいかつりょーとかも大事なんだし。立派なスポーツだし」
「はあ……」
「ぷりゅーわけで、ウサギ跳び! 始め!」
「だから、ウサギ跳びはひざを……それに馬がどうやって」
「根性でやんだし! みんなの想いを無駄にすんじゃねーしっ!」
 パシィンッ!
「ぷ……ぷりゅぅ!」
 なかばヤケのようにウサギ跳び(?)で坂道を登り始める。
「麓華ちゃん、がんばれー」
「ぷりゅばれー」
 のんきな声援が送られる中、麓華はまさにスポーツ根性もののように歯を食いしばって跳び続けるのだった。


「おつかれ、麓華ちゃん」
「おつかれー」
 丘の頂上。
「ハァ……ハァ……」
 疲労困ぱいで身を投げ出している麓華をみんなが囲んでいた。
「よくやったし」
 ぷりゅ。白姫が偉そうにうなずき、
「こんじょー見せてもらったし。みんなと一緒に歌うことを認めるし」
「なぜ、あなたに認めてもらう必要など……」
 そう言いかけるも、
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 歓声と共に拍手のようにパカパカとヒヅメが鳴らされる。
「麓華ちゃん、おめでとー」
「よかったねー」
「みんな……」
 優しい言葉にまたも感動の涙をにじませる。
 白姫は満足そうにうなずき、
「ぷりゅたしぷりゅたし、だし」
「『めでたし』……ですよね?」
 マリエッタがおずおずと確認する。
 と――そんな様子を離れたところから、
「いい光景だねー、先生」
「はい……」
 桐風の言葉にモーリィがうなずく。
「白姫ちゃんが委員長って聞いたとき、もっとおもしろいこと……じゃなくて大変なことになると思ってたけど、案外、白姫ちゃんが引っ張ったほうがいいのかもねー」
「っ……」
「先生って、馬を見る目があるのかもね」
 モーリィは――答えなかった。
「ぷりゅ?」
 不審そうに顔を横に向ける。
「………………」
 沈黙していた。はかなげに目を伏せて。
「……だめですね」
「だめ? 白姫ちゃんが」
 ふるふると。首を横にふる。
「わたしがです」
「ぷりゅぅ?」
 ますます不審そうに首をひねる。
「わたしは……」
 モーリィが語り出す。
「白姫さんのようにはふるまえません」
「それはそうだよー。みんなが白姫ちゃんみたいだったら大変なことになっちゃうって」
「白姫さんは……」
 その目に憧れの念をにじませ、
「あんなにもみんなを笑顔にしている」
「……?」
 まだ言いたいことがわからないという顔の桐風。
 独白のような言葉は続き、
「わたしも白姫さんのようでありたい」
「それって……」
「わたしの授業では」
 さびしそうに微笑む。
「あんなにもみんな楽しそうではありませんから」
「あー」
 なんとなく納得できたという声がこぼれる。
「でも、そんな白姫ちゃんを委員長に選んだのは先生だよ」
「選んだだけです……」
「自信持っていいと思うけどなー。白姫ちゃんだって先生のことは立ててるし」
「そんな資格があるとは思えません」
 ネガティブな発言が続き、桐風は肩をすくめる。
「本格的に昔のマリエッタちゃんみたい」
「えっ」
「ううん、なんでも」
 首をふり、
「けど、白姫ちゃんがやりすぎちゃったら止めるのは先生しかいないでしょ」
「はあ……」
「まー、もうかなりやりすぎな気もするけど」
 戻した視線の先では、
「ほら、いつまでさぼってんだし。次の特訓行くし」
「いよいよ本格的に歌の特訓を……」
「なに言ってんだし。次は鬼ごっこに決まってるし」
「鬼ごっこ!?」
「き、決まっているんですか?」
「決まっているし。シロヒメたちはピクニックに来てるんだし」
「来てますけど……それは歌うために」
「歌もいいけど、遊びも大事だし」
「遊びって……」
「ま、待ちなさい!」
 疲れ切っていてもこれには黙っていられないと、
「遊びとはなんです、遊びとは! そもそもこれは授業だったはずでしょう!」
「授業で遊んじゃだめだし?」
「だめに決まっています!」
「わかってないんだしー」
 やれやれと馬鹿にするような目で、
「歌で大事なのはなんだし?」
「それは、だから、体力だとあなたが」
「ただの歌じゃないんだし」
 一緒にここまで登ってきた馬たちを見渡して、
「合唱だし!」
「!? そ、それがどうしたと」
「わからないんだしー?」
 ますます馬鹿にする顔で、
「合唱で大切なのはみんなが心を合わせることなんだし」
「それは……当然でしょう」
「だからだし」
 ぷりゅ。真剣な表情でうなずき、
「みんなで遊べば当然仲良くなれるんだし。心も合わせやすくなるんだし」
「あ……」
「ならないって言うし?」
「そ、そのようなことは」
「鬼ごっこはここにいるみんなで遊べるんだし。それともみんなとは遊びたくないんだし?」
「えっ……!」
 たちまち悲しそうな鳴き声が聞こえ始める。
「ぷりゅぅー」
「ぷりゅぷりゅー」
「麓華ちゃん、一緒に遊びたくないの?」
「みんなのこと、嫌いなの?」
「きっ、嫌いなどということは!」
「だったら、決まりだしー」
 ぷりゅぷりゅー。明るくいななきをあげ、
「さー、みんな、逃げるしー。鬼はこの子だしー」
「わーい」
「ぷりゅー」
「ちょっ……なぜわたしが鬼と決まっているのですか!」
「決まっているに決まってるし」
 ぷりゅり。みんなが逃げる中、自分だけ足を止めた白姫が悪い笑みを見せ、
「鬼ごっこの鬼ということで、ごーほー的に仲間外れにできるし。いっせきにちょーだし」
「それはいじめではないですか!」
「知ったこっちゃないんだしー。ほら、マリエッタも逃げるしー」
「え、えーと」
「わー、鬼が来るしー。こっち来んじゃねーしー」
「あなたという馬はーっ!」
 怒りの麓華は戸惑うマリエッタに目もくれず、まっしぐらに白姫を追いかけていく。
「白姫ちゃん、逃げてー」
「麓華ちゃんも負けるなー」
 またも楽しそうな歓声があがる中、白姫と麓華は歌もピクニックも忘れたように本気の追い合いを続けるのだった。


 夕暮れ間近――
「たのしかったねー」
「ぷりゅぷりゅー」
 ピクニックを終えた馬たちが、笑顔で学校に戻ってくる中、
「ぷりゅー……」
「はぁ……はぁ……」
 白姫と麓華は、共に息を乱しながらふらふらと歩いていた。
「まったく……とことんしつこい子だったんだしー」
「あなたこそ、未練がましく逃げ続けて……」
「『未練がましく』とか意味わかんねーし! 逃げない鬼ごっこがどこにあんだし!」
「結局、そのせいで歌も何もできなかったではないですか!」
 まだ元気が残っていたのか、お互い声を張り上げ始める。
 そこに、
「セスティ!」
 マリエッタの驚きの声が、はっと両者を止める。
「ぷりゅ?」
 白姫が目を向けた先にいたのは、学校の生徒たちに比べて明らかに身体の小さな馬だった。
 しかも、白姫やマリエッタと同じ白馬だ。
「どうして、ここに……」
 マリエッタが小馬に近づいていく。
 小さな身体に似合わず、その馬はフンと強気に鼻を鳴らし、
「マリエッタが帰ってこないから。だから迎えに来た」
「あの、今日は突然ピクニックになってしまって、それで……」
「ぷりゅー」
 前のたてがみをそらせたその馬は、不機嫌そうないななきをもらし、
「そうかよ。学校があればもうアタイなんていらないのかよ」
「そんな、セスティのことも大事で」
「どっちかに決めろよ。そういういい加減なとこ、ムカつくんだよ」
「でも……」
 困ったという息をもらすマリエッタ。
 そこに白姫が近づく。
「なに、マリエッタをいじめてんだし、チビッ子」
「ぷりゅ!」
 たてがみがそそり立ち、
「チビッ子って、アタイのことかよ!」
「他に誰がいるし」
「何ぃ!」
 と、怒りの目で白姫をにらんだ小馬がはっとなる。
 あらためて憎々しげに、
「そうかよ、おまえかよ」
「ぷりゅ?」
「そんなのかけてるなんて知らなかったけど」
「眼鏡のこと? 『そんなの』じゃないんだし。委員長の証だし」
「とにかく、おまえだろ! 白姫ってやつは!」
「シロヒメはシロヒメだし」
 ぷりゅ。だからどうしたというように胸を張る。
「マリエッタは……おまえなんかに」
「ぷりゅぅ?」
 敵意を向けられている理由がわからず、白姫は首をひねる。
「セスティ、それくらいで」
「マリエッタ!」
「……!」
「明日からアタイも学校に来る! それでいいな!」
「ええっ!?」
「おい!」
 再び白姫をにらみ、
「これからは好きなようにさせないからな!」
「ぷりゅ? ぷりゅりゅ?」
 わけのわからない状況に、白姫は眼鏡の奥でまばたきをくりかえすしかなかった。

「なんなんだし、昨日のチビッ子は」
 ぷりゅぷん。朝から不機嫌眼鏡な白姫に、桐風はまたおもしろいことになりそうだという笑みを見せつつ、
「マリエッタちゃんの知り合いみたいだったけど」
「おかしいんだし。マリエッタみたいないい子がなんであんな不良の子とつきあってんだし」
「けどほら、不良と委員長が恋人になるって昔の漫画とかでよくあるじゃない」
「委員長はシロヒメだし!」
 力いっぱいに言う。
「先生も先生だし。あんなチビッ子に押し切られちゃって」
「まー、白姫ちゃんにも押し切られてるけど」
「シロヒメとあのチビッ子は違うし!」
 ぷりゅ! ますます鼻息荒く、
「シロヒメは立派な騎士の馬だし! 委員長だし! だから押し切られていいんだし!」
「そうなんだー」
「そうなんだし! キリカゼはどっちの味方だし!」
 そこに、
「大人げない」
「ぷりゅ!」
 麓華のつぶやきにたちまち目をつり上げる。
「事実、大人げないでしょう。あのような小さい子を相手にムキになって」
「ムキになんてなってないし!」
「なってる、なってる」
「いま自分でも言いましたが、あなたは委員長でしょう」
「そうだし」
「委員長なら」
 立場が逆転したような余裕をかすかにその目ににじませ、
「どんな相手でも公平にあつかうべきでしょう」
「ぷ!?」
「違いますか?」
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 苦しそうないななきをもらした後、
「ち……違わないし」
 フン。勝ったというように麓華が鼻を鳴らす。
「で、でも、悪い子は許さないんだし! きっちり指導するし!」
「どのような指導を?」
「そんなのその場で決めるんだしーっ!」
 悔しまぎれないななきをあげ、白姫は駆け去っていった。
「ぷりゅふふっ」
 その後ろ姿を、桐風はやはり楽しむような目で見送る。
「委員長の試練だねー」
「すこしくらい苦労したほうがいいのです、あの駄馬は」
「ぷっりゅっりゅー」
 おかしそうに笑う桐風だった。


「ぷりゅ!」
 やはり――と言うべきか、マリエッタのそばに小さな白馬がいるのを見て、白姫は目を見張る。
「あ、あの、おはようございます、白姫さ――」
「おい」
 マリエッタの言葉をさえぎるように小馬――セスティが前に出る。
「近づくなよ」
「なんでだし! シロヒメとマリエッタは友だちだし!」
「マリエッタにはアタイがいればいいんだよ」
「ぷりゅぅー」
 さっそく鼻息が荒くなる中、
「し、白姫さん」
 モーリィがあたふたと割りこみ、
「仲良くしましょうね。同じ生徒同士なんですから」
「なんで、同じ生徒同士なんだし!」
「きゃっ」
 白姫の剣幕にモーリィが悲鳴をあげる。
「そもそも『この子が学校に来ていい』って言っちゃった先生が悪いんだし!」
「そ、そんな」
 眼鏡の向こうに涙を浮かべつつ、
「学びたいっていう子に『だめだ』なんて」
「違うんだし! この子はただマリエッタのそばにいたいだけなんだし!」
「し、白姫さん」
 そこにマリエッタも、
「どうかこの子のことは……。わたしが責任を持ちますから」
「ぷりゅー。いくらマリエッタの頼みでも」
「違うだろ。アタイがマリエッタの面倒見るんだろ」
「なんでマリエッタがチビッ子に面倒見てもらわなきゃなんねーし!」
「また『チビッ子』って言ったなー!」
 ドーンッ!
「ぷりゅ!」
 頭突きをまともに腹に受け、白姫がうめき声をあげる。
「い、いまの見たし、先生!? こーないぼーりょくだし! 動かぬしょーこだし!」
「けど、白姫さんも『チビッ子』なんて」
「『チビッ子』言うなーっ!」
「きゃっ」
「先生にまで! 本当に不良なんだし! 間違いないんだし!」
「セ、セスティ……」
 なだめようとするマリエッタだったが、彼女は「自分は悪くない」という顔で白姫をにらみ続けた。


 休み時間――
「ぷりゅー」
 怒りに満ち満ちた鼻息が噴き出す。
「信じられないんだし。なんであの子まで一緒に授業受けてんだし」
「だって、マリエッタちゃんのそばから離れないんだもん」
 白姫のつぶやきに桐風がさらりと答える。
「なんで離れないんだし! マリエッタが迷惑なんだし! ぷりゅーか、シロヒメにも迷惑だし! マリエッタのそばに近づけさせないんだし!」
「麓華ちゃん並に白姫ちゃんに敵意むき出しだからねー」
「どこかでいじめたりしたのではないですか、あの子のことを」
「なんてこと言ってるし!」
 麓華の言葉にますます憤り、
「あんなチビッ子をいじめるわけないし! シロヒメ、イジメなんてしたことないし!」
「じゃあ、昨日、わたしにしたことはなんですか!」
「あれは特訓だし」
「都合のいいことを……」
「白姫ちゃん、あの子のこと、本当に知らないの?」
「知らないし! 見たことないし! 同じ白馬なのに!」
 ぷりゅぷん、と鼻先をそらす。
「まったく。白馬同士なんだから、本当ならシロヒメのことを『お姉さま』って呼んでもいいんだし」
「お、お姉さま……」
「ちょーっと、シロヒメちゃんのキャラじゃないねー」
 そこに、
「あの……」
「ぷりゅ!」
「し、静かに」
 マリエッタがあわてて白姫の口を押さえる。
「みなさんにお話が」
 そっと目を向けた先には、クラスの馬たちに囲まれて戸惑っている小馬――セスティの姿があった。
「セスティちゃん、かわいいねー」
「かっ、かわいくなんかない!」
「マリエッタちゃんと仲良しなのー?」
「マリエッタのほうがアタイを好きなんだよ!」
 乱暴な言葉を使っているが馬たちを突き放すような気配はない。心から仲良くしようというみんなの想いが伝わっているのだ。
「ぷりゅー。みんな、いい子なんだし。あんな子と仲良くしようとするなんて」
「やめてくださいっ」
 思わぬ強い言葉に白姫が息を飲む。
「あの子は……」
 目が伏せられる。
「セスティは本当にわたしを支えてくれたいい子なんです」
「ぷりゅ?」
 怒気がわずかに静まり、
「どういうことだし? 聞かせて、マリエッタ」
「はい……」
 マリエッタは語り出す。
「セスティはルストラ家の馬で……わたしより前からこの島にいたんです」
 そして――
 彼女の言葉によれば、セスティは長くこの島にいた白馬の一族なのだという。
 そこへ、マリエッタがやってきた。
 彼女はいまの白姫に対する以上にマリエッタに反発したのだという。
「ほら、やっぱりだし! あの子はそーゆー子なんだし!」
「セスティの気持ちは仕方ありません……」
 さらに語る。
 マリエッタが島に呼ばれた理由――それは白姫と共に暮らす少女・鬼堂院真緒(きどういん・まきお)に反発心を持っていたルストラ家の娘シエラルーナ・ルストラが、彼女に対抗できる白馬を求めてのことだった。
 いつも自分の〝家族〟として白姫のことを語っていた真緒だったが、シエラはそれを自慢ととらえた。
 そして、一族の家から、白馬であるマリエッタを呼んだのだ。
 だが――
 すでにルストラ家には白馬がいた。
 それが、セスティだった。
「あの子は見ての通り幼くて、シエラ様としては不満だったのです」
 しかし、自分というれっきとした白馬がいながらマリエッタが呼ばれたことは、彼女にとってこの上なく屈辱だった。
 そのために最初はつらく当たってこられもしたが――
「あの子は……いい子なんです」
 セスティの態度は、それほど経たずに変わった。
 もともと馬見知りで、しかも知らない土地に連れてこられて不安のただなかにあったマリエッタを見て、徐々に優しく接してくれるようになったのだ。
 そして、自分が年上であるかのようにいろいろ面倒を見てくれるようになった。
 小さな身体でかばったりもしてくれた。
「わたしを心配して一緒に学校に来ようとしたことも、これまで何度もあったんですよ」
「知らなかったしー」
 素直な感嘆の息をもらす。そんな白姫の表情からすでに怒りは消え、
「マリエッタに優しくしてくれたのならいい子なんだし。やっぱり白馬にはいい子しかいないんだし」
「あなたが不良呼ばわりしていたのでしょう」
 麓華があきれる。
「でも」
 ぷん、とまた頬をふくらませ、
「どーして、シロヒメにはああいう態度をとるんだし。同じ白馬なのに」
「嫉妬でしょ」
 あっさりと。桐風が言う。
「ね、マリエッタちゃん」
「はい……」
「ぷりゅ? ぷりゅりゅ?」
 白姫がよくわからないというように首をひねる。
「もー、にぶいなー」
「にぶくないし!」
 ぷん! またもいきり立って、
「シロヒメが嫉妬されるのはわかるし。かわいいから。けどチビッ子はまだチビッ子だから将来はシロヒメみたいになれる可能性もあるんだし」
「そうじゃなくてー」
「ぷりゅ! シロヒメがかわいくないって言うし!?」
「そうでもなくてー」
 肩をすくめつつ、
「マリエッタちゃんと仲がいいことへの嫉妬」
「ぷりゅー?」
 やはりわからないと首をひねる。
「なんで、マリエッタと仲良くして嫉妬するし。みんなで仲良くすればいいし」
「でも、白姫ちゃん」
 若干疲れた表情を見せ、
「自分の立場で考えてみてよ」
「自分の立場?」
「たとえばね」
 教えさとすように、
「白姫ちゃんのご主人様が自分の知らないところで誰かと仲良くしてたら?」
「ぷりゅ!」
 すかさず、
「そんなのだめなんだし! シロヒメの知らないところでそんな……」
 そこではっとなる。
「………………」
 同じだった。
 白姫も自分のいないところ――学校で葉太郎と冴が仲良くしていたと聞いてとてもいやな気持ちになった。
「マ、マリエッタは」
 しかし、すぐにあたふたと、
「マリエッタはあの子のご主人様じゃないんだし!」
「けど、セスティちゃんにとって大切なことには変わりないでしょ」
「ぷ、ぷりゅ……」
「そんな相手が自分の知らないところで知らない誰かと仲良くしてるって知ったら……」
「それはイヤなんだし!」
 思わず言ってしまい、ますますあわてふためく。
「わたしが悪いんです」
 マリエッタがうなだれ、
「白姫さんのことをうれしそうにセスティに話したりしたから」
「う、うれしいことがあったら、シロヒメだってみんなに言うし。マリエッタは悪くないし」
「白姫さんのおうちにお世話になったときも、あの子にさびしい想いをさせて」
「あっ」
 思い出したという声を麓華があげる。
「そうです、あの子、わたしがマリエッタと交換でルストラ家にいたときに見かけました」
「なんでそういうことを早く言わねーんだし! 記憶力ないんだし! アホなんだし!」
「アホではありませんっ!」
 ぷりゅ! 鼻息荒く言い返し、
「あの子とはまったく口をきいたことがないから、それで失念していたのです! まるでわたしを避けるように……というか憎むように無視を続けて」
「それって嫌われ者だからじゃないのー」
「ぷりゅ! 麓王の娘として誰かに嫌われるようなふるまいをした覚えはありません! あなたと違って!」
「シロヒメがいつ嫌われたって言うんだし! 人気者で馬気者なシロヒメが!」
「もー、こっちでケンカ始めないでよー」
 桐風があきれたように言う。
「まー、麓華ちゃんが嫌われたのも、代わりにマリエッタちゃんがいなくなったのが理由だろうね」
「そうですね……あのときもセスティに何度も止められましたから」
 マリエッタがいっそうすまなそうにうつむく。
「わたし、自分のことで頭がいっぱいで」
「マリエッタは悪くないし」
「でも……」
「もちろん、あの子も悪くないし」
 はっと。顔が上がる。
「シロヒメ、決めたし」
 ビッ。凛々しく眼鏡をかけ直し、
「あの子と仲良くなるし。それが委員長としても当然なんだし」
「白姫さん!」
「あの子がいい子なのはわかったんだし。ちょっとしたすれ違いなんだし。シロヒメ、学校のだけじゃなくて馬生の先輩としてあの子と……」
「ぷりゅーっ」
 ドーンッ!
「ぷりゅぐふっ」
「セ、セスティ!」
 またも白姫のボディにするどい頭突きを決めたセスティは、
「ぷりゅー」
 敵意たっぷりに一同を見渡し、
「なに、マリエッタにからんでるんだよ。アタイが目を離してる隙に」
「からんでなんて……みなさんは友だちだって何度も言ってるでしょう」
「ぷりゅふんっ!」
 知ったことじゃないというように鼻先をそらし、
「行こうぜ、マリエッタ」
「で、でも」
「マリエッタは……」
 強気そうな目がかすかにうるみ、
「やっぱり、アタイよりそいつらと一緒にいたいのかよ」
「そんな……」
 これ以上は悲しませたくない。その想いをにじませながら、マリエッタは目ですまないと訴えつつ、セスティと共に去っていった。
「ぷりゅー……」
 よろよろと白姫が立ち上がる。
「い、いい頭突き、持ってんだしー」
「そんなことを言っている場合ですか。本当にあの乱暴な子とうまくやっていけるのですか」
「やっていけるし」
 胸を張って、
「シロヒメ、委員長だから」
「まったくあてにならない委員長ですが」
「ぷりゅ!」
 麓華の言葉に眉をつりあげるも、
「ぷりゅー」
 気を静めるように一呼吸する。あらためて、
「やるんだし」
 静かに宣言する。
「作文だし」
「えっ」
「作文でみんなに言った通りだし。シロヒメ、ヨウタローにものすごくかわいがられてるんだし。ちっちゃいころからずっとだし」
「それが、何か」
「かわいがられたらうれしいんだし。だから、シロヒメも小さい子をかわいがれるシロヒメになりたいんだし。ヨウタローみたいに」
「ぷりゅ……」
「おー」
 ゆるぎのない想いに麓華が言葉を飲み、桐風が感心の息をもらす。
「これなら任せていいんじゃないの? ねっ、先生」
 はっと近くで影がふるえる。
「先生」
 木陰からおずおずと現れたモーリィに白姫が目を見張る。
「ずっと、そこにいたんだし?」
「は、はい……」
「いてもおかしくありません。きっと、あなたがあの子をいじめたりしないか心配で見守っていたんです」
「そーなの?」
「う……」
 目をそらすモーリィ。しかし、そんな彼女を責めることなく、
「だいじょーぶだし」
「……!」
「シロヒメは先生の選んでくれた委員長なんだし。ちゃんと期待に応えるし」
「………………」
 目を合わせられないまま、モーリィは申しわけなさそうにうなだれた。


「フリーダ様」
「ん?」
 その夜――
 モーリィは主人である騎士フリーダ・バルバロッサに声をかけた。
「すこしよろしいでしょうか」
「んー?」
 フリーダがこちらを見る。
「なんかあったか」
「………………」
「あれか? 花房の馬がまた何かやったか」
 モーリィをいたわるように、しなやかながら騎士として確かな力強さを感じさせる指がたてがみを梳く。
「しかし、おもしろい馬だよなー。花房が甘やかしてたせいらしいけど」
「………………」
「歌にピクニックと続いて今度は何やったー? んー」
 沈黙を続けるモーリィ。
 そして、ようやくぽつりと、
「教師とは……なんなのでしょう」
「おっ」
 おもしろがるような笑みを見せ、
「おまえもそういうこと悩むようになったかー」
「教えてください。先生の先輩として」
「ははー。あたしだって、そんな人……じゃなくて馬に教えられるほど長く『センセイ』やっちゃいないって」
 現在〝騎士の学園〟で指導者の立場についているフリーダ。
 しかし、彼女はもともとそれを望んでいたわけでなく、友人の騎士ネクベ・ラジヤの代役としてその仕事を引き受けていた。
「まー、正直あたしが人を教えられるとは思わなかったけどさ。ネクベがかわいがってたやつらをほっとくわけにはいかないって気持ちはあった」
「フリーダ様はとても責任感が強くて……」
「そんなんじゃない、そんなんじゃない」
 ひらひらと手をふる。
「ネクベが言ったんだ。『すべてまかせる』って」
「えっ」
「あいつも馬鹿だよなー。大事な生徒をよりによってあたしに任せるかってカンジだろ」
 そう言いながらも彼女の目は〝友〟を想う目になり、
「けど、あいつ何も言わないんだよ」
「何も……」
「ああしろ、こうしろってさ。ただ『まかせる』だけだった」
「………………」
「そういうやつだからさ」
 いっそう優しいまなざしになって、
「あたしもさ……裏切れないだろ? それでいままでやってこれたわけさ」
「………………」
 モーリィは、
「まかせたからには……信じる」
 フリーダの目を見て、
「それでいいのですね」
「おう」
 ぱんぱん。励ますようにフリーダの手がモーリィの首すじをたたいた。

「ぷりゅーっす!」
 翌朝――
「………………」
 セスティがあぜんと目を丸くする。
「し……白姫さん?」
 そばにいるマリエッタも戸惑いを隠せない。
 白姫はそれでも構わず、
「ぷりゅーっす!」
「……ぷ?」
「『ぷ?』じゃねーんだしーっ!」
「白姫さん!」
 あわててマリエッタがかばいに入る。
「その、暴力は」
「ぼーりょくなんてふるわないし」
 ぷりゅ。不本意そうに鼻を鳴らし、
「この子に白馬道(はくばどう)を叩きこむんだし」
「白馬道!?」
「それにはまずあいさつだし」
「あいさつ……」
「そーだし」
 眼鏡をくいっと上げ、
「シロヒメ、委員長としてそっせんしてみんなにあいさつをするんだし」
「はあ……」
「朝一番のあいさつだし。元気が一番だし」
 言うと、再びセスティに、
「ぷりゅーっす!」
「っ……」
「元気がないし! もう一回! ぷりゅーっす!」
「………………」
「ぜんぜん聞こえないし! ぷりゅ――」
 ドーンッ!
「ぷりゅぐふっ」
 あいさつしようとしたところへカウンターで頭突きが入る。
「セスティ! どうして……」
「だって、なんかこいつが迫ってくるから……アタイは悪くないっ!」
 パカパカパカラッ! 小さいながらもヒヅメ音を高く立てて走り去っていく。
「あっ、セスティ! ご……ごめんなさい!」
 こちらに頭を下げると、マリエッタはあわてて彼女を追いかけていった。
「だ、大丈夫ですか」
 マリエッタと入れ替わるようにして、モーリィが白姫に近づく。
「また見守ってたんだし、先生」
「それは……」
「シロヒメ、へーきだし」
 にっこりと。笑顔を見せ、
「先生もシロヒメにドーンとぶつかってくるし!」
「ええっ!?」
 不自然なくらいにモーリィはあたふたとなり、
「そっ、そんな……生徒であるあなたにもしものことがあったら」
「おおげさだしー」
 ぷっりゅっりゅー。笑い声がこぼれる。
「シロヒメ、強い子なんだし。頼れるんだし。委員長だから」
「でも……」
 何か言おうとしたモーリィだったが、はっとしたように口を閉じる。
 そして小さな声で、
「信じる……信じる……」
「ぷりゅ?」
「!」
 モーリィはますますあわてふためいて、
「あの、その、が……がが……」
「?」
「……っ!」
 何か言おうとするも、結局何も言えないままにモーリィは立ち去っていった。
「なんだし? あの子だけじゃなくて先生まで逃げてったし」
 そんな光景をそばで見ていた桐風と麓華は、
「先生もいろいろ複雑みたいだねー」
「大丈夫なのでしょうか、このクラスは」
 笑顔とため息というそれぞれの反応を見せた。


「セスティ」
「………………」
 答えない。
「セスティ」
 もう一度。こころもち強めに名前を呼ぶ。
「……ぷりゅ……」
「!」
 はっとなる。うつむいたセスティの目に涙がにじんでいた。
「そんなにかよ……」
「えっ」
「だからよ、やっぱりあいつらのほうがいいんだろ」
 ぽつりと言い、涙がこぼれ落ちるのを懸命にこらえる。
「セスティ」
 そっと。その小さな身体に寄り添う。
「なんだよ……」
 不快ではないという想いをにじませつつ、それでもどこか悔しそうに、
「生意気だぞ。アタイがマリエッタを守るんだろ」
「ふふっ。そうだよね」
「……強くなったよ」
 つぶやきにかすかな涙声が混じる。
「母ちゃんみたいだ……」
「………………」
 聞いている。
 セスティの母はマリエッタが島に来る前に亡くなっていた。先頭に立ってルストラ家の馬を引っ張るそんなリーダーシップにあふれた馬だったそうだ。
 セスティはいまも母を心から尊敬している。
 だから、まだ幼いながらも、彼女を手本として気丈にふるまっている。
 島に来たばかりで心細かったマリエッタの面倒を見ようとしてくれたのも、その想いがあったからだ。
 一方で、セスティは〝母〟を重ねて見ているのかもしれない。
 年上かつ同じ白馬である――自分に。
「……決めた」
「えっ」
 不意の言葉に、マリエッタは我に返る。
「アタイ、あいつに挑戦する」
「ええっ!」
 あいつ――間違いなく白姫のことだ。
「だ、だめ、セスティ!」
「なんでだよ」
 ぷー。頬をふくらませ、
「アタイがちっちゃいからかよ」
「そういうことじゃなくて、ケンカは」
「ケンカじゃない」
 ぷいっ。そっぽを向き、
「アタイも委員長になる」
「え……えっ?」
 思わぬことを言われて目が点になる。
「委員長に……」
「ぷりゅ」
「セスティが?」
「ぷりゅ!」
 疑問まじりの問いかけに眉をつり上げ、
「なんだよ! アタイじゃ委員長になれないのか!」
「えっ、いや、ええと」
 マリエッタはあたふたと、
「ど……どうして?」
「言っただろ。勝負だよ」
 ぷりゅー。セスティは目に炎を燃え上がらせ、
「アタイ、あいつに挑戦する」
「あの、だからケンカは」
「ヒヅメずくでとか思ってないっ」
 ヒヅメずく――腕ずくのつもりはないとセスティは言い、
「あいつより頼りになるってところを見せられれば、アタイのほうが委員長にふさわしいことになるだろ」
「それは……」
 そんなに単純ではないと思わず言いそうになる。
「そうすればマリエッタだって」
「えっ」
「な、なんでもないっ」
 あわてたように首をふり、
「と、とにかくやるからな! 止めるなよ!」
「あっ、セスティ」
 走り去っていくその姿を見ながら、マリエッタはどうすべきかをとっさに決めることができなかった。


「というわけで……」
 この上なくすまなそうな顔で、
「あの子の挑戦を受けてあげてください。お願いします」
 白姫は、
「………………」
「あ、あのっ」
 マリエッタはあたふたと、
「ご迷惑だというのは十分に承知です。けど、このままというわけにもいきませんし。何かきっかけがあれば、あの子も言うことを聞てくれると思うんです。だから、その……お願いしますっ」
「………………」
 白姫は――
「!」
 はっとなる。
 ふるえていた。
 何も言わないまま、白姫は小刻みに身体をふるわせていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
 あわてて頭を下げる。
「怒るのも無理はありません。けど、あの子はあの子なりに真剣で」
「……ぷ……りゅ」
「っ」
 顔を上げる。もれ聞こえたそのいななきは怒りによるものではなく――
「ぷりゅっ……ぷりゅっ……」
「……!」
 白姫は――いまにも号泣しそうな顔でふるえていた。
「知らなかったんだし……」
 声もふるわせ、
「死んだママみたいになりたくて……それでがんばってたなんて」
「白姫さん……」
 セスティの気持ちをわかってほしいと、マリエッタは勝負についてお願いする前に彼女の母のことを打ち明けていた。
「立派な心がけです。尊敬する親の志を継ごうとは」
「麓華さん……」
 彼女もまた大きな身体をふるわせている。
 そして、白姫に、
「受けなさい」
「ぷりゅ?」
「彼女の勝負を受けなさい! そして正々堂々と負けておとなしく委員長の座をゆずりなさい!」
「なんで負ける前提で話してるし!」
 ぷりゅ! たてがみを逆立てる。
「あの、では、やはり勝負は」
「やるし」
 あっさりとうなずき、
「あの子の想いにかんどーしたんだし。シロヒメならいつでも胸を貸してあげるし」
「白姫さん……!」
 マリエッタが笑顔を見せる。
「ぷりゅっふっふー」
 白姫もまた笑みをもらし、
「いい機会なんだし。シロヒメのすごさを存分に見せつけるし。きっとあの子もシロヒメをそんけーするようになるんだし」
「なるのかなー」
 またまたおもしろくなりそうだと桐風も笑顔を見せた。


「じゃあ、挑戦を受けるんだな!」
「ぷりゅ」
 先輩の貫禄を見せようというのか、眼鏡を光らせつつ重々しくうなずく。
「で、何で勝負するし?」
「その前にはっきり約束しろ!」
 ビシッ! 白姫にヒヅメを突きつけ、
「アタイが勝ったら委員長の座をゆずるって!」
「いいし」
 またも重々しくうなずき、
「約束するし。馬に二言はないし」
「よし」
「あ、あの」
 モーリィがおろおろと、
「そんなふうに委員長を決めるのは」
「ダメなんだし?」
「それは……」
「生徒のじしゅせーにまかせるし。大丈夫だし」
 そう言われてしまうと、
「……はい」
 引き下がらざるを得ない。
「ぷりゅーわけで、あらためて」
 白姫がセスティを見て、
「どーゆーふうに勝負するし」
「決まってるだろ」
 セスティの口もとにきりっとした笑みが浮かぶ。
「とーひょーだ!」
「投票!?」
「そうだ!」
 周りにいるクラスの馬たちを見渡して、
「委員長はみんなの委員長だ! だったら、みんなが選ぶもんだろう!」
「ぷりゅ!」
 白姫がふるえる。
「その通りなんだし。シロヒメ、先生に選ばれたからってちょーしに乗ってたんだし」
 それを聞いて、
「ぷ……!」
 麓華の目が驚きに見開かれる。
「あの傲慢な駄馬が自分のあやまちを認めるとは」
「ぷっりゅっりゅー」
 隣の桐風が笑みをもらし、
「ちっちゃくてもがんばるセスティちゃんに影響されたのかもね」
「それは……いいことですが」
 まだ安心できないというように視線を戻す。
「わかったし!」
 バッ! 前に出て、
「シロヒメ、みんなの委員長になるんだし! みんなに選ばれる委員長に!」
 その瞬間、
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 馬たちみんなから応援の声があがる。
「白姫ちゃん、カッコいいー」
「がんばれー」
 満更でもなさそうに白姫の鼻が鳴る。
 セスティも負けじと、
「みんな!」
 周りに向かって声を張る。
「アタイは……アタイは……」
 その次の言葉が出てこない。
「アタイ……は……」
 うつむく。小さな肩がふるえ始める。
「セ、セスティ」
 驚き寄り添おうとするマリエッタを、ヒヅメがぐっと押し返す。
「……わかってるんだ」
「えっ」
「アタイは……子どもだ」
 思わぬ発言にその場にいた者たちが目を見張る。
「わかってる。あせってるだけだ。負けたくなくて……マリエッタを取られたくなくて」
「セスティ……」
 立ち尽くす。
 自分でわかっていたのか――そう言いたそうにマリエッタの目が泳ぐ。
「ごめんな」
「う……ううん」
 あたふたと首が横にふられる。
 それでもセスティはすまなそうに目を伏せたまま、
「大人になりたい」
「……!」
「マリエッタにちゃんと優しくできるような。みんなの優しさに……応えられるような」
 全員が息を飲み、動きを止める。
 ――と、
「ぷりゅ」
「っ」
 不意に前に出た白姫にセスティが身構える。
「ほら」
 それは、
「えっ……」
 ヒヅメでふれて確かめる。
 眼鏡だ。
「え……え?」
 度のないレンズの向こうを見ようと目が細められる。
 かけられていなかった。
 白姫の顔に。
 委員長の象徴としていた――その眼鏡が。
「これって……」
 つまり、いまセスティがかけているのは――
「あげるし」
 笑顔で。白姫が言う。
「今日からセスティが委員長だし」
「えっ!」
「みんなもそれでいいしー?」
 白姫の呼びかけに、
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 すかさずあたたかな歓声が返ってくる。
「ば……馬鹿にするな!」
 セスティは驚きあわてて、
「なんでだよ! まだ勝負も始めてないだろ!」
「勝負はついたし」
 静かなまなざしで、
「セスティの勝ちだし」
「なんで……」
 戸惑いの表情が怒りへと変わる。
「馬鹿にするな」
 くり返す。
「情けをかけたつもりかよ! 勝ちをゆずってやったとか思ってるのかよ!」
「そんなんじゃないし」
 ふるふる。真剣な顔で首を横にふる。
「本当にシロヒメ、負けだと思ったんだし」
「だから、なんでなんだよ!」
「セスティはいい子だし」
「っ」
 唐突な言葉にセスティの顔が赤くなる。
「いい子なんだし。だから、シロヒメの負けだし」
「り……理由になってないだろ!」
「なってるし」
 引くことなく、
「シロヒメはそこまで真剣じゃなかったし」
「えっ」
「先生に言われたから……」
 ちらり。はらはらとこちらを見守っているモーリィに目をやり、
「それでやる気になったんだし。セスティみたいに真剣に委員長になりたいと思ってなかったんだし」
「ア、アタイだって」
 セスティがおろおろと下を向く。
「みんなのためにじゃなくて……本当は自分のために」
「それでいいんだし」
 ぷりゅ。年上らしく優しく諭す。
「セスティはママみたいになりたいと思ってるんだし」
「! なんで……」
「ご、ごめんなさい、わたしが」
「隠すような悪いことじゃないんだし。立派なママがいるのは誇らしいことなんだし」
「それは……あ、当たり前だろ!」
「当たり前なんだし」
 うなずき、
「みんなが頼りにしていた立派なママみたいになりたい。それは、つまりみんなのためにもなることなんだし」
「それは……」
 否定する言葉は出てこない。
「ほらね」
 白姫は微笑み、
「みんなー! あらためてセスティが委員長でいいと思うしー?」
 返ってきたのはやはり歓声だった。
「おまえら……」
 あらたな涙がセスティの瞳を濡らした。
「セスティ」
 マリエッタが優しく寄り添う。
「よかったね」
「ぷりゅ……」
「わたし、セスティが学校に来るって言い出してから本当に心配だった。でも、そんな必要なかった」
 心からの。笑顔で、
「だって、学校には白姫さんがいるから」
「……!」
「よかったね」
 くり返し。言ってマリエッタは鼻先をすり寄せた。
 セスティは――
「………………」
 無言だった。


「ぷりゅーわけで」
 その夜。
 白姫はさっぱりとした顔で、
「シロヒメ、委員長やめたんだし」
「そうなんだ」
 笑顔で葉太郎がそれに応える。
「よかったね」
「よかったんだし」
 真逆のことを言っているようだが、彼らにはそれで通じ合っていた。
「セスティ、きっとよろこんでるんだし」
「僕もうれしいよ」
「ぷりゅ?」
「白姫が」
 たてがみをなで、
「うちの馬が優しくてとてもいい子で」
「ぷりゅー」
 すりすり。こちらも愛情を示すように鼻先をすり寄せる。
「シロヒメがヨウタローの馬でうれしい?」
「うん、うれしい」
「ぷりゅー❤」
 ますます甘えるように鼻を鳴らす。
「シロヒメは甘えん坊なんだし」
「ふふっ、そうだね」
「そうなんだし」
 それがまったく恥ずかしくないというように笑い、
「甘えん坊でよかったし」
「えっ?」
「こうやってヨウタローに甘えられるんだし」
「ふふっ」
 お互いにあらたな笑みがこぼれる。
「シロヒメ、頼られるより甘えたいほうなんだし」
「そうだね」
「そうだし。だから委員長はもうちょっとあとでもいいんだし」
 ――と、
「………………」
「ぷりゅ?」
 何か気づいたという顔になった葉太郎に、白姫が首をかしげる。
「どうしたの?」
「あっ、ううん。ちょっと心配しすぎっていうか」
 何でもないと笑みを作り、信頼を示すように再びたてがみをなでる。
「大丈夫だよね」
「大丈夫だし」
 ぷりゅー。たっぷり甘やかされて白姫はごきげんの鳴き声をあげた。

「休み?」
 久しぶりに眼鏡のない白姫。
 その目が丸くなる。
「なんでだし? 今日はセスティの委員長一日目だし」
「はい……」
 マリエッタは自分が悪いかのように縮こまり、
「その……行きたくないと言って」
「ぷりゅ!」
 丸くなっていた目がさらに見開かれ、
「どうしてだし!? 委員長になったのに! 好きほーだいできるのに!」
「好き放題するのはあなただけです」
 麓華が冷たい眼差しで言う。
 と、一転、心配そうな顔になり、
「どうしたのですか? 何か体調を崩したというような」
「体調というか……元気がないのは確かで」
「ぷりゅ!」
 たちまち白姫の耳がぴんと立ち、
「行くし!」
「えっ」
「お見舞いに! セスティのところに!」
「あの、ちょっ……」
「先生!」
「は、はいっ」
 授業を始めようとしていたモーリィが、突然呼ばれてびくっとなる。
「シロヒメ、行くんだし!」
「え……あ、あの」
「そーたいするし! セスティのことが心配だから!」
「早退!?」
「白姫さん!」
 マリエッタがあわてて、
「そんな、病気になったと決まったわけでは」
「決まってからじゃ遅いんだし! その前にお見舞いに行くし!」
「普通は病気になってからお見舞いなんだけどねー」
「シロヒメ、そーゆーの先取るんだし! 未来を生きる白馬なんだし!」
 桐風のツッコミに声を張り、
「ぷりゅーーっ!」
 まっしぐらに駆け出していく。
「あっ、し、白姫さん」
 あたふたとモーリィが止めようとするも、すでにその姿は遠く小さくなっていた。
「ど、どうしましょう」
 おろおろとうろたえるモーリィに、
「先生」
「マリエッタさん、どうしたら……」
「わたしも」
 ためらいなく。
「わたしも今日は早退します」
「えっ!」
「白姫さんは」
 迷いのない顔で、
「いつもわたしにいま何が正しいかを教えてくれます」
「マリエッタさん……」
「残るべきでした」
 目を伏せる。
「セスティのそばに。そうです、あの子を心配する白姫さんの想いのほうが正しいんです」
 そう言うと、
「失礼します」
 一礼し、返事を待つことなく白姫の後を追って駆け出した。
「ど……ど……」
 どうしよう。その言葉さえ出なくなるモーリィに、
「マリエッタちゃんも熱い子になったねー」
「……っ」
 桐風、そして麓華が前に出る。
「先生」
 真剣な目で、
「このままでは心配です」
「あ、あなたたちまで……」
「マリエッタはともかく、あの駄馬が何をするかわかりません」
 それで理由は十分だというように麓華もまた一礼して身をひるがえす。そこには当然のように桐風が従っていた。
「こんな……こんな……」
 モーリィは動揺するばかりだった。


「……!」
 ルストラ家にたどりついたマリエッタが見たのは、わなわなと身をふるわせている白姫の後ろ姿だった。
「白姫さん……」
 何があったのか――そう聞こうとしたとき、
「!」
 彼女もまた声を失った。その視線の先にいたのは、
「セ……セスティ!?」
 鳴き声が驚愕にふるえる。
 セスティ――のはずだ。ルストラ家にマリエッタ以外の白馬はセスティしかいない。
 しかし、
「い、一体……」
 なぜ――
 どうしてセスティはサングラスをつけたりしているのだ!?
「不良になってしまったんだし……」
「えっ!」
 わななく白姫の言葉にマリエッタは跳び上がる。
「ふ、不良に……」
 あらためて。セスティを見る。
「ぷりゅふんっ」
 目をそらされる。
 あまり似合っていない大き目サイズのサングラスがずれ、慣れないヒヅメつきでそれがかけ直される。
「セスティ……本当に」
 否定も肯定もない。マリエッタはますます困惑し、
「だって、セスティは委員長に……」
 と、そこではっとなる。
「白姫さん……」
 ふるえ続けていた。そこからマリエッタは再びあの感情をくみ取る。
 怒り――
 今度こそ間違いない。
 白姫はセスティにならと委員長の座をゆずったのだ。それが一日も経たずにこのようなことになってしまった。
 怒って当前だ。
「し、白姫さん!」
 あわててセスティをかばうように間に入る。
「これは、その……違うんです!」
「何が違うんだし」
 たんたんとしたその口調にますますあせり、
「セスティは……いい子なんです!」
「違うし」
「!」
 本当に怒っている。確信する。
「どきなよ」
 セスティがマリエッタを押しのけて前に出る。
「あ、あなた……」
 マリエッタが言葉を詰まらせる中、黒いグラス越しに白姫をにらみ、
「あんたの言う通りだ」
「………………」
 静かにその言葉を受け止める白姫。
 とたんにセスティは激高し、
「何か言えよ!」
 白姫は、
「何を言われたいんだし?」
「っ……」
 冷静すぎるほど冷静に言い返され、逆にセスティのほうがひるむ。
「くっ」
 それでも負けじと白姫をにらみ、
「わかっただろ。アタイがどういう馬か」
「わかったし」
 うなずく。
 それを見たセスティは再び爆発し、
「何がわかったって言うんだよ! 言ってみろよ!」
「セスティは……」
 あらためて。白姫が言う。
「不良だったんだし」
「白姫さん!」
 たまらずというようにマリエッタは声を張り上げる。
「そんな、ち、違います!」
「違わないんだし」
「……!」
 断定され、マリエッタは凍りつく。
「そんな……」
 目に涙が浮かぶ。
「セスティは……いい子です」
「っ……」
 かすかに動揺するような息がセスティからもれる。
 しかし、白姫の表情は動かない。
「わかってもらえたと思っていました……」
「わかってないのはマリエッタなんだし」
「そんな……!」
「ううん」
 首が横にふられ、
「シロヒメもわかってなかったんだし」
「えっ」
「セスティは……」
 真剣な顔で――白姫はセスティをヒヅメ差し、
「正義の不良だったんだし!」
「っ……」
 マリエッタは息を飲み――
「……え?」
「シロヒメ、カン違いしてたし。セスティは委員長なんてキャラじゃなかったんだし」
「あ、あの」
 突然言われたことにまったくついていけないまま、
「正義の……不良?」
「そーだし」
 ぷりゅ。うなずき、
「よくあるんだし。周りにはつっぱって悪ぶってるけど、実は心優しい正義の味方だったというのが。それなんだし」
「はあ……」
「違う!」
 あわてふためき否定するセスティだったが、
「いいんだし」
 よくわかっているという顔で、
「確かに、正義の不良は自分で自分がいい子だなんて言ったりしないんだし」
「そういうことじゃなくて……」
「いーんだし、いーんだし」
 笑顔でそう言ったあと、ぷりゅー、と反省するようにうつむき、
「シロヒメ、わかってなかったんだし。委員長だったら真逆のポジションなんだし」
「ま……真逆?」
「そーだし」
 わけ知り顔でしみじみと、
「ほら、委員長って表向きはいい子だけど、裏では学園を支配する悪のボスってパターンがよくあるんだし」
「いえ、そういうことは現実にはあまり……」
「その点、セスティは偉いんだし。表向きは悪い子って思われても実際は……」
「いい子なんかじゃない!」
 耐えられないというように声を張り上げる。
 と、その肩が落ち、
「やめろよ……そういうの」
「ぷりゅ?」
「だから……っ!」
 もどかしさをにじませ、
「アタイに……アタイなんかに」
「『なんか』なんて言っちゃダメだし」
「……!」
「セスティは」
 にっこり。昨日と変わらないあたたかな笑顔で、
「ちゃんといい子なセスティだし」
「………………」
 言葉を失うセスティ。
「……う……」
 ふるえ始める。その様子がおかしいことにマリエッタ、そして白姫もはっとなる。
「どうしたの、セスティ」
「どうしたんだし?」
「違うんだ……」
 ふるえながら言う。
「違う……ぜんぜん違う……」
「な、何がだし?」
 思わぬことになったというように白姫もあわて始め、
「あっ、ごめんだし。そうだし、いい子って言っちゃいけないんだし。ホントはいい子だけどいい子だってわからないようにいい子でいるのが」
「違う、違う、違う!」
 強く頭をふる。元々サイズの合っていなかったサングラスが勢いよく飛んでいく。
「あっ、眼鏡……」
「じゃなくて、サングラスだし」
「どっちでもいい!」
 声を張る。
「わかってない! わかってないんだよ!」
 そう叫ぶ彼女の目は昨日と同じように濡れていた。しかし、それは明らかに違う感情によるものだった。
「セ、セスティ……」
 白姫はますます困惑した顔で、
「なんでだし? シロヒメ、間違ってないんだし」
「間違ってるよ! ぜんぜん違うよ!」
 激しくいななく。
「アタイは」
 しかし、そこから先が言葉にならないというように、うつむき肩をふるわせる。
「白姫さん……」
 どうするべきかというように白姫を見るマリエッタだったが、
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 目を泳がせるばかりで白姫は何も言えない。
 そこに、
「何をしているのですか!」
 駆け寄ってきたのは桐風をつれた麓華だ。
「――!」
 涙を流すセスティを見て顔色が変わる。
「……本性を現しましたね」
「ぷりゅ!?」
「こんな小さな子をいじめるなんて」
「な、なんてこと言ってんだし! シロヒメがいじめなんてするわけないし!」
「いいえ、信じられません! 現にアリス様やユイフォン様をいつもいじめているではないですか!」
「あれはいいんだし。どうせアリスとユイフォンだから」
「そのように言ってセスティも……」
「だから、いじめてないって言ってるし!」
 懸命に言い張るそこに、
「うわーーーん!」
「!」
 年相応と言うべき鳴き声――でなく泣き声をあげるセスティに白姫も麓華もあぜんとなる。
「これでもまだ罪を認めないと」
「認めるも認めないもいじめてないんだしーっ!」
 そのときだった。
「あなたたち」
「……!」
 その場にいた全員がはっと身体をこわばらせる。泣いていたセスティもだ。
「あ……」
 我に返った白姫が、
「せ、先生っ!」
 助けを求めるように彼女――モーリィに駆け寄る。
「先生、聞いて! シロヒメ、ひどい誤解を受けてるんだし!」
「なにが誤解ですか!」
 麓華もモーリィに近づき、
「聞いてください、先生!」
「聞かなくていいし!」
「やはり、自分の罪を隠蔽しようと」
「いんぺーじゃなくて、それ以前に罪も……」
 直後――
「黙れ」
 場が凍った。
「……え?」
 白姫があぜんとした目をモーリィに向ける。
「いま言ったの……先生だし?」
 答えない。
 固まっている白姫たちの脇を過ぎ、セスティへと近づいていく。
「ぷ……ぷりゅ……」
 彼女もまた動揺に瞳をふるわせる。
「!」
 抱きしめられた。
 小さな身体が。モーリィの胸の中に。
 もちろん、馬であるため正面から寄り添うような形ではあったが、傍目にそれは抱きしめられているのと同じに見えた。
「ぷりゅ……」
 セスティもそれを感じ取ったのだろう。こわばっていた身体から力が抜けていく。
「もう突っ張らんでええ」
「……!」
「ようがんばったのう。まだこげぇ小さいんに」
 あたたかく。そして力強い言葉を受け、
「ぷりゅぅ……」
 セスティはそのままモーリィに身をゆだねた。
「ぷる」
「!」
 一転、厳しい目が向けられ、白姫たちが息をのむ。
「せ、先生……」
 白姫はあたふたと、
「えっと……ど、どうしたんだし? いつもの先生らしくないんだし」
「………………」
 モーリィは、
「ぷりゅ!?」
 眼鏡を――外した。
「え? え? なんでだし? なんで外しちゃうんだし? つけてたほうがいいと思うし、先生っぽいから」
 そこに、
「はいこれ、白姫ちゃん」
「あっ、ありがとうだし、キリカゼ。ほら、先生、この眼鏡を」
 と、かけられたのは、
「ぷりゅ!」
 それは――セスティが頭をふったときに落ちたサングラスだった。
「違うし、キリカゼ! シロヒメはふつーの眼鏡を」
「おい」
「!」
 いっそう重くなったモーリィの声に白姫が跳び上がる。
「モ、モーリィ先生……」
「違うわ」
「ぷりゅ!?」
「ワシゃあ過去を捨てた。けど、捨てきれんもんがあったっちゅうことじゃのう」
「モーリィ先生じゃなかったら……だ、誰なんだし?」
「――モリガン」
「!」
「数えきれねえほど血煙を浴びて敵からも味方からも後ろヒヅメをさされた暴れ馬……」
 眼光のようにサングラスが太陽を照り返し、
「夜叉馬(やしゃうま)モリガンたぁ、ワシのことじゃぁぁぁっ!」

「や、夜叉馬……」
「モリガン……」
 夜叉――まさに鬼のような威圧感。
 同じサングラスをかけていながらセスティのときとは比べ物にならないその迫力に、白姫だけでなくそばにいた麓華も声をふるわせる。
「! そういえば……」
 麓華がはっと息を飲み、
「お父様から聞いたことがあります。その血みどろの戦い方から狂馬とまで呼ばれた騎士の馬がいたと」
「きょーば!?」
 悲鳴まじりの絶叫があがる。
「だ、だから、なんでそーゆーことを早く言わねーし!」
「まさか、モーリィ先生がそのような馬だとは」
「『そのような馬』で悪かったのう」
「!」
 麓華が凍りつく。
「そのようなつもりでわたしは」
「『そのような』『そのような』じゃかましいんじゃーーーーーっ!」
「ぷっりゅーっ!」
 腹の底までふるわせる怒号に麓華が跳ね上がる。
「ぷ、ぷりゅしてください……わたしにはまだお父様が」
 土下座するような体勢で完全にすくみあがる。それをからかうような余裕は、しかし、白姫にも、マリエッタやセスティにも当然のようになかった。
 そして、モーリィ――モリガンは言った。
「おい、シロ公」
「シロ公!?」
 白姫の身体も跳ねる。
「そんな呼ばれ方、生まれて初めてなんだし……」
「ワレぇ」
「!」
「ワシがなんでワレを委員長にしたか……」
 たてがみがそそり立ち、
「ワレはちっともわかっとらんのじゃぁーーーっ!」
「ぷっりゅーっ!」
 麓華に劣らない悲鳴が上がる。
「わ、わかってるし……シロヒメがゆーしゅーだから」
「シロ公よぉ」
「はい……」
「ワレは底抜けに能天気じゃ」
「ぷりゅ!」
 前の『シロ公』発言に続く容赦ない言葉に目を見開く。
「じゃからのぅ、こっちの期待にも応えてくれると思うとった」
「ほ、ほら、やっぱり期待してて……」
「ワシが期待しとったのはのう」
 がしっ! たてがみをつかむかのような勢いで白姫に顔を近づけ、
「ワレが調子に乗るタイプっちゅうとこじゃ」
「ち、ちょーしに……?」
「そうじゃ。それは悪いこととは限らん。調子に乗るやつはこっちの期待を素直に受け取る。ほっといてもおのれからがんばってくれよる」
「そ、そうだし。シロヒメ、がんばり屋なんだし」
「じゃけんのう!」
 サングラス越しにいっそうの圧がこめられ、
「みんながワレと同じのわけがないじゃろうが」
「ぷ……!?」
 白姫の瞳がおろおろとゆれる。
「ど……どーゆーこと?」
「シロ公」
「!」
 ドスのきいたその呼び方に何度でもふるえあがる。
「ワレぇ」
「ぷ、ぷりゅ……」
「ワシのこと、なめとるじゃろう」
「!?」
 青ざめた白姫は全力で首を横にふり、
「な、なめてなんかないし! ぜんぜんなめてないし!」
「いや、なめとる」
 ぐいっ。白姫がそり返りそうになるほどの圧力でさらに前に出る。
「本当に……なめてなんか……」
「だったら、どうしてじゃ」
「ぷ……?」
「どうして……」
 怒声がはじける。
「なんで、ワシの許しもなく委員長を他の馬にゆずったりしたんじゃーーーっ!」
「ぷっりゅーっ!」
 恐怖が失禁となってほとばしる。
「だ、だって、セスティがいい子だから」
「いい子だから?」
「いい子だから……だから」
「シロ公」
 ぐいっと。息がかかるどころではない近さにまで顔が近づけられ、
「いい子だから、つらかったんじゃ」
「……!」
「こいつはいい子じゃからのう。それで苦しんだんじゃ」
 モリガンがそう言った瞬間、
「ぷりゅーっ」
 離れていたセスティが再びモリガンの胸に顔をうずめる。
「なんで……」
 ますますわからないというように、
「なんで苦しむんだし? よろこぶならわかるけど」
 ギン!
「ぷりゅ!」
 するどい眼光に一瞬で縮こまる。
「能天気なワレにはわからんのじゃ」
「本当にわかんないんだし……」
 モリガンは言う。
「プレッシャーじゃ」
「ぷ……ぷりゅッシャー?」
「普通ならのう、誰かの上に立つことになって、いつもと変わらずにおれるっちゅうことはない。多少なりとも不安をおぼえるはずじゃ」
 ぴくっ。モリガンの胸の中で小さな身体がふるえる。
「それに加えて、こいつはクラスで一番のチビじゃ。周りには自分より年上で大きな馬たちしかおらん」
 再びの眼光を白姫にあびせ、
「そんなところで、いきなり委員長にさせられて何も感じんわけがないじゃろう」
「えっ……」
 思わずというようにセスティを見る。
「そうだったの?」
「………………」
 何も答えない彼女にあせり、
「だって委員長になりたいって言ったの、セスティなんだし。それでシロヒメ……」
「だから、ワレは能天気いうんじゃ」
 モリガンにいら立ちがにじむ。
「そもそもなんでこの子は委員長になりたいなんて言い出したんじゃ。ワレへの対抗意識からじゃろうに」
「あっ」
「それがあっさり認められてしまってのう。戸惑うのは当然じゃ」
「ぷ……ぷりゅ……」
「じゃが、いまさらやりたくないとも言えん。それで……」
「どうしようもなくなって……学校へ行きたくないなんて言ったんですね」
 言葉を継いだのはマリエッタだ。
「そして、遅かれ早かれ事情を聞かれるのもわかっとった」
 モリガンは顔のサングラスにふれ、
「それでこんな似合わんもんをつけて、自分は委員長にふさわしくないと思わせようとしたんじゃろうな」
「いまの先生にはすっごい似合ってるけどねー」
 唯一、態度の変わらない桐風をモリガンがぎろりとにらむ。
「……知っとったな」
「んふふー」
「えっ、キ、キリカゼ、何を知ってたの?」
 白姫があわてて聞くと、
「このガキゃ、ワシがこういう馬だと知っとったのよ」
「ぷりゅ!」
 もはや何度目かという驚きに白姫がふるえる。
「ワレぇ、誰にワシのこと聞いた」
「心配しないで、フリーダ先生にじゃないよ? 自分の馬の秘密をペラペラしゃべったりするような人じゃないし」
「ンなこたぁ言われんでもわかっとる!」
 怒号がぶつけられるも、桐風はすずしい顔のまま、
「まー、忍馬だからということで」
 そんな説明になっていない説明で言葉を締めくくる。
 モリガンは、早くも追究はあきらめたという顔で嘆息する。
「つかみどころのないやつじゃのう」
 と、その目が再び白姫に向けられる。
「いまはワレじゃ」
「!」
「おい、シロ公」
 ぐぐっ。またも威圧感たっぷりに詰め寄り、
「この落とし前、どうつけてくれんのじゃ」
「お……落とし前?」
「そうじゃ」
 息もつまるようなガンをつけ、
「いままでのあれこれ。どう落とし前つけてくれるのかと聞いとんのじゃ」
「ぷ……ぷりゅ……」
 涙目になって何も答えられない白姫。
 直後、モリガンの怒りが爆発する。
「ワレはそれでも騎士の馬かぁぁーーーーーーーっ!」
「ぷっりゅーっ!」
 さらなる失禁。それでも一切容赦はしないというように、
「一日だけ待ったる」
「ぷ……!?」
「ワシが一度は委員長にと見こんだ馬じゃろう」
 ガッ。白姫の頭の上にヒヅメを乗せ、
「いいか? 逃げたりしたら」
 ぎろり。
「ぷ……ぷ……」
 もはや息も絶え絶えというように、白姫は鳴き声をふるわせるばかりだった。


「よーう、モリガン」
「!」
 背を向けていたその身体が強張る。
「……聞かれたのですね」
 ふり向いた彼女の顔には、サングラスでなくいつもの眼鏡がかけられていた。
「まー、ちょっと小耳にはさんだっていうかさ」
 悪びれずにフリーダが言う。
「桐風さんですか」
「おもしろい馬だよな。花房の馬とはまた違ったタイプで」
 白姫と同じく桐風の主人・鏑木錦(かぶらぎ・にしき)もフリーダの教え子であった。
「……消えてしまいたいです」
 心の内の正直な想いを口にする――モーリィ。
「ヒヅメを洗った自分が……もう二度と悪の道に戻らないと誓った自分が生徒たちの前であんな姿を」
「確かに初めてだよな」
 しみじみと。つぶやく。
「ていうか、逆にすげえよな。おまえをそこまでキレさせた花房の馬がさ」
「………………」
 モーリィは、
「白姫さんは悪くありません」
「おっ」
 興味津々という顔で、
「カッコつけんなよぉー。ムカついたからキレたんだろー」
「ムカついたのとは……すこし違います」
「違う?」
「この気持ちは」
 自分の胸にヒヅメを当て、
「――嫉妬」
 言う。
「ずっと嫉妬していたのです。白姫さんに」
「おいおいおいー」
 冗談だと笑い飛ばそうとするフリーダだったが、モーリィは首をふり、
「白姫さんは自分を隠そうとしたことがありませんでした。取りつくろおうとしたことがありませんでした」
「それは能天気だからだろー」
「かもしれません」
 モーリィは唇をかみ、
「……偽りばかりでした」
「ん?」
「わたしがです」
 先日悩みを打ち明けたとき以上に沈んだ目になり、
「わたしはずっと自分を隠そうとしてきました。周りに自分を偽ってきました」
「別に偽ったとかじゃないだろ。おまえは変わろうとしてたんだから」
「ですが、わたしの中にはまったく変わらないわたしがいました。そう……」
 かけている眼鏡にふれ、
「ただ眼鏡という仮面をつけただけ。教師という仮面をつけただけ。夜叉馬のころと何も変わらなかった」
「………………」
 フリーダが真剣な面持ちになる。
「それでさ」
 正面からモーリィの目をのぞきこみ、
「おまえはどうしたいんだ」
「わたしは……」
 それだけ言って、言葉につまる。
「教師はもういやか」
「………………」
「子どもたちにものを教えるのはもういやか」
「………………」
 長い沈黙の後――モーリィは、
「教師はとても意義のある仕事です」
「だったら……」
「だからこそ」
 主の言葉をさえぎるようにして言う。
「それを汚すわけにはいきません」


「白姫」
「ぷりゅ……?」
 明らかに元気のないその姿に、葉太郎は優しい笑顔を見せながら近づく。
「聞いたよ。先生にすごく叱られたんだって」
「ぷりゅ……」
 座りこんだまま、弱々しくうつむく。
「ヨウタローは……」
「ん?」
「セスティのこと……気づいてたんだし?」
 かすかに言葉につまる。が、すぐに、
「なんとなくね」
「なんとなく……」
「ほら、僕もそういうプレッシャーを感じてたことがあったから」
 白姫の隣に座る。
「伝説の騎士の息子とか将来立派な騎士になるだろうとか……そういうの」
「ヨウタローは」
 弱々しく目を向け、
「そういうふうに期待されるのはイヤなの?」
「イヤっていうか……」
 頭をかきつつ、
「苦しいっていう感じかな」
「………………」
「本当の自分とは違う自分を期待されてるっていうか、そのためにがんばらなくちゃいけないみたいなことが……重く感じられることはあったよ」
「重く……」
「白姫はね」
 そっと頭に手を置き、
「とってもいい子だから。ちゃんと期待に応えられる子だから」
「………………」
「セスティも同じようにいい子なんだよ。白姫が認めた子だもん」
「ぷりゅ……」
「けどね」
 教えさとすように、
「本当にいい子なことと自分がいい子だって自信を持てることは……ちょっと違うことだったりするんだ」
「そうなの?」
 優しく微笑みながら葉太郎はうなずき、
「白姫のことは、周りのみんながかわいがってほめてくれたでしょ」
「そうだし。ヨウタローはいつもかわいがってくれたし」
「僕だけじゃなく……白椿(しろつばき)も」
「……!」
 白椿――母の名を耳にして白姫がはっとなる。
「セスティには、ママ、いないんだし」
 静かな笑みがそれに応える。
「自信がつくにはね、きっと時間が必要なんだよ」
 限りない慈しみのこもった手が白姫のたてがみをなでる。
「大事にしてくれる相手と過ごす時間が」
「………………」
 白姫は、
「……ぷりゅ」
 一度だけ肯定の鳴き声をもらし、そのまま沈黙を続けた。

 翌朝――
「あっ」
 セスティと学校へ向かっていたマリエッタは、不意に現れた白姫を前に驚きの声をあげた。
「………………」
「っ」
 無言のまま見つめられたセスティがおびえるようにマリエッタの後ろに隠れる。
「白姫さん……」
 マリエッタも思わず警戒してしまう。
 万が一のことがあるとは思えない。白姫は自分の友だちだ。
 それでも――セスティの不安な気持ちはよくわかった。
「その……」
 そんな彼女を擁護するように、
「わたしからは……無理はしなくていいと」
 事実、マリエッタはそう言った。
 昨日のことは、セスティにとっても大きなショックだったはずだ。それを引きずって学校に行くのは酷だと思ったのだ。
 しかし返ってきたのは「行く」という言葉だった。
 そこには、おびえゆえの仕方なさではないはっきりとした〝意志〟が感じ取れた。
 ゆえに、不安でありながらも、マリエッタはこうしてセスティを伴い学校へ向かっていたのだ。
 そこに現れたのが白姫だった。
「セスティ」
 ぴくっ。マリエッタの後ろで小さな身体がふるえる。
「こわがらなくていいんだし」
 大丈夫だと言いたそうに白姫が頭をふる。
「シロヒメ、話があるんだし」
「話……?」
 おそるおそる。セスティが顔を出す。
「そうだし」
 ぷりゅ。うなずき、
「決めたんだし」
 そして彼女は――言った。
「シロヒメ……」


 モーリィはすでに心を決めていた。
「ぷりゅー、せんせー」
「先生、おはようございます」
「おはようございまーす」
 次々とあいさつしてくる生徒たちに、
「………………」
 しかし、いつものように応える余裕はいまの彼女にはなかった。
「ぷりゅ?」
 首をかしげる馬たち。
 しかし、すぐに気にしていないというように周りの友だちと話し始める。
(ああ……)
 胸が熱くなる。
 楽しそうな笑顔を見せている生徒たち。
 馬の学校をこのような場にできたことが心から誇らしかった。
(……いえ)
〝できた〟というのはあやまりだ。
 自然と――
 心優しい馬たちの想いがそのままここには現れていた。
 それは、一つの奇跡と言えた。
 ここで過ごせたことに、モーリィは感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ぷ……」
 だめだ。油断すると泣きそうになってしまう。
 情けない。
 やはり、このような自分にそもそも教師になる資格などなかったのだ。
(それでも……)
 愛していた。
 自分の中にそんな感情があるなどと思いもしなかった。
 最初はつぐないの気持ちだった。しかし、いつしかそれを超えて子どもたちのことを――
(ぷる……)
 だめだ。感情が高ぶるたび、涙をこらえるので精いっぱいになる。
 せめて今日だけは情けない姿を見せられない。
 今日は……最後の――
「あっ、白姫ちゃん、おはよー」
「白姫ちゃーん」
「……!」
 聞こえてきた馬たちの声に、モーリィの身体がふるえる。
「ぷる……」
 そうだ――白姫のこと。
 それだけはきちんと決着をつけなければならない。
 まさに自分への〝けじめ〟なのだ。
「………………」
 自然と表情が引き締まる。
 無言のまま、モーリィは白姫の前に歩いていった。
「ぷ……?」
 後ろにセスティがいることに気づき、軽く目を見張る。
 しかし、彼女のことも自分には責任があると思い出し、モーリィはあらためて気持ちを締め直す。
「ぷりゅ?」
「ぷりゅぷりゅ?」
 こちらの硬い空気を察したのだろう。何事かと生徒たちが集まり始める。
 その中には、麓華と桐風の姿もあった。
「………………」
 注がれる視線を感じながら――モーリィは、
「白姫さん」
 言った。
「昨日のことは……忘れてください」
「っ」
 白姫が息を飲むのがわかった。
 モーリィはでき得る限りの真摯さをこめ、
「わたしのあの醜態を忘れてほしいということではありません」
 ますますけげんそうな馬たちの空気が伝わってくる。
「ぷりゅりゅ?」
「しゅーたい?」
 胸に針を刺されるような痛みを感じつつ、
「落とし前などと言った……あの言葉をです」
「どーゆーことだし?」
 白姫が初めて口を開く。モーリィは、
「そのままの意味です」
「………………」
「わたしは」
 言った。
「……辞めます」
 瞬間、貫く。
 自分の口にした言葉が自分の胸を。
「わたし……は……」
 つらい。
 痛い。
 息をするのさえ苦しい。
 それでもモーリィは声をしぼり出す。
「教師を辞めます」
 再び。情けない姿を見せまいと胸を張って口にする。
「ぷりゅ?」
「先生、やめちゃうの?」
「なんで? なんで?」
 あたふたと馬たちが問いかけてくる。
 それに答えることなく、モーリィは白姫を見つめ続ける。
「………………」
 白姫は、
「わかったし」
「!」
 白姫たちのそばにいたマリエッタが驚きに身をふるわせる。
「そんな……ほ、本当にいいんですか」
「先生の決めたことなんだし」
 ぷりゅ。わかっていたというようにうなずく。
 当然だろう。そもそもあんな言動を取る馬が教師にふさわしいわけがなく、すこしでも恥を知っているなら自ら辞意を口にするのが当たり前だ。
「ごめんなさい」
 いまさらではあるが、謝罪以外の言葉をいまの自分には見つけられなかった。
「ぷりゅーっ!」
 事を見守っていた馬たちが騒ぎだす。
「なんで!? なんでやめちゃうの!」
「先生、本当にやめちゃうの!?」
「ぷりゅー! せんせー!」
 どう説明すべきか迷っていると、
「静かにするし!」
 白姫が馬たちを一喝する。
「……って」
 すぐさま場をやわらげるように舌を出し、
「こんなふうにみんなに言えるのも今日が最後なんだし」
「ぷりゅ?」
「ぷりゅりゅ?」
 首をかしげる一同。白姫は静かな表情で、
「シロヒメからもみんなに言いたいことがあるんだし」
 視線が集まる中、
「シロヒメ、学級委員長に戻るし」
「ぷりゅ!」
 馬たちから驚きの声があがる。
「でも、委員長はセスティちゃんが」
「セスティとも話したし」
 こくこく。後ろでセスティがうなずく。
「ぷりゅーわけで、シロヒメ、委員長に戻るんだし」
「ぷりゅ……」
 釈然としない空気が流れる。白姫は平静な顔で、
「それと、もう一つあるんだし」
「ぷりゅ?」
 またも馬たちが首をかしげる中、
「シロヒメ、学級委員長をやめるんだし」
「ぷりゅ!」
 前のときに負けない驚愕のいななきがこだまする。
「戻ったのにやめちゃうの!?」
「ぷりゅ? ぷりゅりゅ?」
 ますますわけがわからないと騒ぎ出す。
「あ、ちょっと違うんだし」
 その言葉に再び注目される白姫。
「やめるっていうか……必要がなくなるんだし」
 そう言った白姫の目がこちらを見る。
「だよね、先生」
「……!」
 モーリィは息を飲んだ。
「まさか……」
 白姫が『委員長が必要なくなる』と言ったことの意味は――
「シロヒメ、ちょーしに乗ってたんだし」
 またも舌を出して、
「このクラスはモーリィ先生のクラスなんだし。シロヒメがあれこれする必要なんてなかったんだし」
「そっ、そんなことは」
 身を乗り出しかけたモーリィに、
「先生」
 ぷりゅり。白姫が頭を下げる。
「これからもぷりゅしくお願いします」
「――!」
 やはり――
 白姫は自分に教師を続けさせようとしている。
 辞めると言ったとき『わかった』と口にしたのはこちらの考えを尊重する――つまり教師の立場を重んじるという意思の表れなのだ。
 その上で、白姫は委員長をやめると言った。
 その存在が必要なくなると言った。
 つまり――
 教師以外に生徒たちを引っ張っていける者はいないと言っているのだ。
 ここで教師がいなくなれば、すなわちクラスそのものが存在できなくなってしまう。
 自分の愛したこのクラスがだ。
「っ……」
 とっさに、主人・フリーダのことが思い浮かぶ。
 フリーダは親友の代理として教師になった。同じような誰かを自分も見つけて――
「このクラスはモーリィ先生のクラスだし」
 こちらの考えを呼んだようにその言葉がくり返される。
「白姫さん……」
 完全に途方に暮れてしまう。
 ――と、
「っ」
 見ていた。
 ひたむきなその心を表すようにまっすぐな白姫の瞳が。
「あ……」
 白姫だけではなかった。
 生徒たちが。
 その場にいるすべての馬たちがこちらを見つめていた。
「みんな、同じ気持ちなんだし」
「……っ」
 三たび。言う。
「このクラスは先生のクラスなんだし」
 モーリィは、
「……ぷ……」
 抑えきれなかった。
 あふれる感情が止まらない。
「ぷ……うう……」
「先生に涙は似合わないんだし」
 そっと。白姫が寄り添う。
 そのとたんに、
「せんせー!」
「モーリィ先生ぇー!」
「ぷりゅー!」
 生徒たちが次々と飛びこんでくる。
「先生、やめないよね!」
「ずっと、みんなの先生だよね!」
「せんせー!」
 モーリィは、
「みなさん……」
 思ってもいなかった。
 自分がこのように生徒たちに慕われていたとは。
 情けない教師だと思っていた。白姫に軽く見られても仕方ないと思っていた。
 そもそも、彼女に委員長を任せたのも、生徒たちを指導する力に自分が欠けているという思いがあったからなのだ。
 逃げだった。
 そして、またも自分は逃げようとしていた。
「わたしは……」
 言う。
「みなさんの……先生でありたい」
「ぷりゅーっ!」
 たちまちわき起こる歓喜のいななき。
 それに背を押されるようにして、
「ここに誓います。わたしはみなさんの先生であり続けると。もう決して……逃げるようなことはしないと」
 ぷりゅー! さらに大きな歓声があがる。
 そこへ、
「だめだし」
 不意の一言。
「……え?」
 まじまじと。白姫のことを見てしまう。
「あの……」
 何を言われたのかと思った。
「だめ……って」
 ぷりゅぷりゅぷりゅ。白姫が首を横にふる。
「先生、言ったし。先生を辞めるって」
「言いましたけど……」
「だったら、辞めないとだめだし」
「ぷる!?」
 白姫はこちらを辞めさせないようにしていたのではなかったのか――
「あ、あのっ」
 自分でもどうしようもないくらいあたふたとなり、
「どういうことですか? このクラスはわたしのクラスだと」
「あっ、間違えたし」
「間違えた!?」
「正確には――」
 白姫は言った。
「組だし」
「は?」
 いや『クラス』は『組』には違いないのだが。
「『クラス』だとカッコつかないし」
「はぁ……」
「カッコがつくクラスは――」
 何かを取り出す。
「!」
 顔にかけられたそれは、
「サ……サングラス!?」
「カッコがつくクラスはこっちだし」
「いえ、それは、サン〝グラス〟でしょう!」
 思わず大きな声をあげてしまう。
「だから、ちゃんと言ったほうがいいんだし」
「『ちゃんと』って何を」
「クラスじゃなくって」
 言う。
「『モーリィ組』なんだし」
「なっ……!」
 衝撃に固まる。
「く、組って……そちらの」
「もちろんだし」
 ぷりゅ。うなずく。
「先生はこれからモーリィ組の組長として……」
「ま、待ってください!」
 あわてて声を張り上げるも、
「ぷりゅ?」
「くみちょー?」
 馬たちが次々と首をかしげる。そんな中、
「そうだし」
 白姫がうなずき、
「これから、みんなはモーリィ組の組員になるんだし。そして、シロヒメは委員長じゃなくて若頭として組長のサポートを」
 そういうことだったのか! モーリィはがく然となる。
「何をおかしなことを言っているのですか、あなたは!」
 生徒たちをかきわけ麓華が前に出る。
「なにが、モーリィ組ですか!」
「なんだし? 組と組長を否定するんだし?」
「否定というわけではなく、あなたの言っていることが……」
「組長」
 白姫がこちらを向き、
「どうします? ぷりゅしちゃいますか」
「そ、その、殺(ぷりゅ)すというようなことは……」
「わかってます」
 ぷりゅ。うなずいて、
「もちろん、組長には疑いがかからないようにします。ここには鉄砲玉のセスティもいますので」
「ぷりゅ!」
「鉄砲玉なんですか、セスティさんは!?」
 見ると、いつの間にか彼女もサングラスをかけていめ。
「よく聞くし、セスティ。ここで無事につとめあげたら幹部昇格なんだし」
「ぷりゅ。アネゴ」
「姐御!?」
 またも驚きの声をあげてしまう。
「そうです。セスティはシロヒメの舎妹(しゃまい)です」
「ぷりゅ」
 うなずくセスティ。
「こ、これは……」
 思わずマリエッタのほうを見てしまう。彼女はすまなそうに、
「今朝、白姫さんが来て、なぜかそういう話に」
「う……」
 わかっている。昨日自分が見せてしまったあの姿が原因なのだ。
「でも、その、わたしは組なんていうものは」
「わかってます」
 ぷりゅ。うなずかれ、
「表向きはそういうことにすると」
「いえ、表も裏もなくて」
「シロヒメを信頼してください。組長の舎妹で若頭なシロヒメを」
「舎妹にも若頭にもしたつもりは」
「わかってます」
 ぷりゅ。くり返しうなずき、
「なんの手柄もないのに舎妹にするつもりはないと」
「そういうことではなくて……」
「まずはシロヒメ」
 ぎろり。麓華をサングラス越しににらみ、
「この生意気な子をシメて、モーリィ組に逆らう馬がどういう目にあうか見せしめに」
「だからワレにそんなことせいなんて言うとらんじゃろうが、オラぁぁっ!」
 たまらず素に戻って声を張り上げた瞬間、
「――!」
 我に返るもすでに遅く、
「ぷ、ぷりゅ……」
「せんせー……」
 あぜんとなった馬たちの視線が突き刺さる。
「『ワレ』って言った……」
「先生、こわい……」
 全身から血の気が引いていく。さらに、
「ぷ、ぷりゅしてください……」
 見れば、麓華がふるえながら昨日のように土下座をしていた。
「わたしにはお父様が……ぷりゅさないでください……」
 さらなる動揺が広がる。
「麓華ちゃんがおびえてる……」
「やっぱりこわい……」
 力が抜けていく。
 終わりだ。
 どうこう言うまでもなく、これで教師としての自分は終わったのだ。
「大丈夫だし」
 白姫が生徒たちに向かって言う。
「組長は正義の任侠なんだし。悪い子しかシメないんだし」
「ぷりゅっ!」
 セスティもそれにうなずく。
「く……」
 任侠じゃない! すくなくともヒヅメは洗ったつもりだ!
 と言い返したかったが、またも感情が止められず素を出してしまいそうな予感にそれを口にすることができない。
 そんな中、白姫はますます、
「みんな。これからは組員としてモーリィ組のシマを広げていくんだし」
「シマ?」
「ここは島だよ」
「サン・ジェラール島だよ」
「その『島』じゃないんだし。ナワバリだし」
「縄張り?」
「犬のみんなみたいな?」
「馬なのに?」
「馬なのにだし」
 ぷりゅ。わけ知り顔でうなずいてみせる。
「まずは他の組をシメるし。全部の組をモーリィ組傘下に収めるんだし」
「シメるの?」
「何するの?」
「ヒヅメづくでも言うことを聞かせて……」
「いいかげんにせんかい、ワレぇ!」
 本当にそんなことをされたら大問題になってしまう。
「わかってるし」
 何が――というより早く、
「モーリィ組は正義の任侠だし。悪い組しかシメないんだし」
「悪いのはおのれの頭じゃあ!」
「ぷりゅ!」
 たちまち白姫はかしこまり、
「組長を差し置いてよけいなことを言いました。また先走っちまいました」
「くっ……」
 先走っていることは間違いない。いや、先走るという以前の問題で、もはやどこから訂正すればいいのかすらわからない。
 そうして何を言おうか迷っている間に、
「みんなもちゃんとシロヒメみたいに組長に従うんだし」
「従う?」
「言うこと聞くんだし」
「言うこと聞くの?」
「わかったー」
 ぷりゅぷりゅー、とわかっているのかいないのか無邪気な鳴き声が次々とあがる。
「くぅっ……」
 だめだ。
 やはりこんなクラスを放ってはおけない。
 自分がどう思われるか見られるかなどささいなことだ!
(ワシは……)
 自分は――
「ふぅ」
 あらためて。力が抜ける。
「どっちでもええ」
「ぷりゅ?」
 こちらのつぶやきに白姫が首をかしげる。
「シロ公!」
「ぷりゅ!」
「おまえらもよぉく聞けや!」
 完全に素に戻ってモーリィ――モリガンは声を張り上げる。
「おまえら、みんな、ワシの組の一員じゃ!」
 もう迷いもためらいもなかった。
「一生面倒見たるけぇの! 覚悟せぇや、おまえら!」
 ぷりゅー! こちらに影響されたように先ほどより勇ましい鳴き声があがる。
「……ふっ」
 これでよかった。
 子どもたちが強い騎士の馬となる。そのためにすべてを投げ出していいと思えた。
 いま、自分は初めて『教師』になれたと感じた。
「とても自慢はできねえセンセェじゃがな」
 自嘲のつぶやきは、しかし、馬たちには届かず、
「みんなー! 組長に従って立派な組員になるんだし!」
「ぷりゅー!」
「ぷりゅぷりゅー!」
「これからは気合入れて行くし! 夜露死苦! なんだし!」
「それは、ちょーっと任侠から外れちゃってるけどねー」
 桐風が相変わらず成り行きを楽しむ顔で言う中、
「ぷりゅー!」
「ぷりゅりゅー!」
 まさに〝気合〟の入ったいななきが空の下の教室にこだまする。
(シロ公……)
 不思議な馬だ。心からそう思った。
 こちらの予想もつかない騒ぎをくり広げ、しかし、結果としてそれが周りをより良い方向へと導いていく。
 おそらく本人――本馬にも自覚はない。
 それでも自分は、確かに白姫のおかげで変われた。
 素直な自分をさらけ出し、そして受け入れてもらうことができた。
(結果としてじゃが……)
 やはり白姫を委員長に選んだ自分の目は正しかった。教師として、それだけは間違いなく誇りとしていいことだった。

 そこは――文字通り戦場だった。
「!」
 ドーーーン!
 矢のように飛び出した小さな影が、いまにも馬たちに槍をふり下ろそうとしていた人影に突き刺さった。
 人影がゆらぐ。
 その隙に、小さな影は馬たちをかばうように間に入った。
「セ、セスティちゃん……」
「セスティちゃん!」
 絶望していた馬たちからあがる歓喜のいななき。それを背に受けつつ、セスティは油断なく目の前の人影をにらみつけた。
「逃げて、みんな」
「……!」
「ここはアタイがなんとかする」
 できるとは思えなかった。
 人造騎士――
 いま島中で破壊をくり広げているおそるべき〝敵〟だ。
 馬に乗ることはないながら、その身に獣の力を具え、愛馬と一体になった騎士たちと互角以上の力を有する戦鬼。
 その破壊の矛先は、騎士だけでなく島に暮らすすべての者たちに向けられた。
 馬たちも例外ではなかった。
 例外どころか、騎士に不可欠である馬を減らせば、それは戦力を大きく削ることとなる。優先的に狙われるのは当然だった。
 主の騎士がいるならともかく、そうでない若い馬たちにできるのは逃げることだけだ。
 当初、戦えない馬たちは後方で守られていた。
 しかし、戦況の悪化がそのままでいることを許さなかった。
 人手の不足が各所で見られるようになり、主人のいない馬もまた、負傷した者たちを運ぶために駆り出されることになった。
 その途上、人造騎士の襲撃を受けたのだ。
「逃げて! 早く!」
 セスティが声を張る。しかし、
「……!?」
 動かなかった。その気配にますますあせるも、
「逃げないよ」
 後ろにかばった馬たちが次々と隣に並ぶ。
「な……なめるなよ!」
 モーリィ〝組〟で鍛えられ、身体はともかくそれだけは確実に大きくなった声を彼女たちにぶつける。
「アタイはアネゴに認められた馬なんだ! いくらチビだってみんなを守るくらい……」
「守るよ」
 言われた。
「みんなで」
「みんなのことを」
「守る」
 それは――
「……!」
 衝撃だった。と同時に、
「ぷりゅ……」
 涙がにじんだ。
 共に戦おうとしてくれる――仲間が自分にはいる。
 それは、独りで先頭に立つよりずっとうれしいことだった。
(母ちゃん……)
 ずっと誤解していたのかもしれない。
 頼りがいがあって、周りのことを引っ張ってくれる。
 そんな母親のようになりたかった。
 だから、周りに頼らず、何でも先頭に立ってやろうとがんばってきた。
 しかし――
 それは本当の母親の姿ではない。
 思い出す。母はいつも仲間と一緒だった。みんなの先頭に立ちつつ、同時に後ろからみんなに支えられていた。
 そして、もう一つの影が脳裏をよぎる。
(アネゴ……)
 白姫もまたそうだ。
 わがままで無茶苦茶ばかりするが、決して友だちを傷つけるようなことはしなかった。
 周りもそんな白姫のことを慕っていた。
 彼女が委員長に――リーダーになれたのは当前だった。
 マリエッタのことも同じだ。
 自分は彼女をかばうポーズを取ることで、上に立ったようなつもりになっていた。
 しかし、白姫は彼女の馬見知りそのものと向き合った。
 それを克服する力となった。
 同じ目線で向かい合う――友だちとして。
(アタイ……アネゴと会えてよかった)
 心から思った。
(そして、みんなとも……)
 学校に通うことができてよかった。こんなにも大切に思える友だちを作ることができたのだから。
(ほめてくれるよね……母ちゃん)
 かすかな涙をにじませつつ、セスティは覚悟を決めた。
 戦う。
 命をかけて。
 友だちの誰一人としてやらせはしない。
 それが自分にできるせめてものお礼だと思った。
「あっ!」
「セスティちゃん!」
 飛び出した。みんなの驚く声が聞こえたが、セスティは止まらなかった。
 まっしぐらに。
 自分たちを消し去ろうとする敵に向かってすべてをこめた突進を――
「!」
 撃音が鳴り響いた。
 セスティではなかった。
「あ……」
 ふるえた。
 恐怖――
 怒りをたてがみのようにまとったその赤き旋風は、一切の容赦なく蹄鉄の一撃を人造騎士に叩きこんだ。
 ふらついたところへ、さらに叩きこむ。
 叩きこむ。
「………………」
 言葉もない。
 ぴくりとも動かなくなるまで影は蹄鉄を見舞うことをやめなかった。
「っ!」
 見た。赤き影がこちらを。
「チビ助」
 一瞬で我に返る。
「ワシは何度も言ったな。自分だけでなんでもできると思うなと」
「アタイは……」
「じゃかあしぃや!」
 落雷のごとき怒声にたちまちすくみ上がる。
 ――と、
「あ」
 抱きしめられた。
 あたたかな胸の中に。
 それは、真に自分が望み憧れてきた〝母〟のものだと思えた。
「許さんぞ」
「っ……」
「ワシは許さん」
 くり返し。モーリィが言う。
「おまえら……絶対……」
 細かくふるえ出す。そこにセスティははっきりと感じ取る。
 恐怖。
 敵に対してのものではない。
 それは……自分たち生徒を失うことへの――
「くみちょー!」
「ぷりゅー、くみちょー!」
 緊張の糸がほどけたのか、涙まじりのいななきと共に他の馬たちもすがりついてくる。
「気ぃ抜くな、おまえら!」
 ビシッ! 夜叉の顔に戻ったモーリィの一喝にたちまち背筋を伸ばす。
「おまえら……」
 しかし、セスティは気づいていた。
 鬼のように荒々しいながら、確かすぎるほど確かな自分たちへの愛情がその目にこめられていることに。
「ここを一気に抜ける! モーリィ組、カチこむぞ!」
 一斉にいななきが上がる。
 駆け出す。
 先頭を行くモーリィに従って。
 跳ねる。
 大地を。
 何が待ち受けているかも知れない戦場を。
 迷いはなかった。
 見えていた。
 自分がこれからも追い続けていくもの――
 その背中が、はっきりと。

シロヒメ、今日から学級委員長なんだしっ❤

シロヒメ、今日から学級委員長なんだしっ❤

  • 小説
  • 中編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-13

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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