ホットミルクと花
いきてるもののことを、いつまでも、やわらかなシーツで、たいせつに、くるんでいたい。
しろくまが、わたしのゆびに、花を咲かして、手品みたいだ、というと、おもしろおかしそうに、わらった。ホットケーキに、かんづめのももと、ホイップクリームをのせて、ゆっくりとたべたい、雨の降る夜だった。わたしは、左手の薬指の先に咲いた、白い花に、くちづけた。花びらは、七枚。立体の、ネイルアートみたいと思いながら、テレビの、天気予報をみはじめたしろくまの、おおきなせなかを、みつめた。
ときどき、声がきこえる。
それは、外からきこえてくるのだけれど、にんげんの、こどもの声のようで、ぜんぜん、まったく、ちがうものの声のようで、わらっているのか、ないているのか、判然としないものだった。しろくまは、あれは、氷河がくずれるときの音に似ている、というけれど、氷河なんて、はるかとおくの、しらない外国の海にあるもので、わたしたちがいま住んでいるところの海には、とうぜん、ないものだった。悲鳴や、奇声にもきこえるし、ふくすうにんの幼いこどもが、くすくすとわらっているそれにも思えた。
声がきこえる夜は、ぎゅうにゅうをあたためる。
たまに、砂糖をいれて。蜂蜜も。
あたたかいぎゅうにゅうをのみながら、スマートフォンのなかに棲まう、かわいらしいどうぶつのキャラクターたちを愛でて、ねむくなったら、本を読んでいるしろくまによりそって、目をとじる。
指の先に咲いた白い花は、一晩で枯れる。またきまぐれに、しろくまが花を咲かしたとき、摘んで、ドライフラワーにしたいと思うのに、いつも、摘み取る前に、ねむくなってしまうのだ。
花はみずみずしく、つめたくて、明確に、いきている。
ホットミルクと花