春粥

猫薔薇リスタ

 妻が寝込んだ。
 三寒四温に振り回された所為なのだが、当人は一日寝てれば治ると言う。
 出掛ける予定は延期にして、何か栄養のあるものをと冷蔵庫を開けてみたものの、途方に暮れてしまった。
 こういう日に限って、残り物の類がない。
 食材はある。調味料も揃っている。しかし、肝心の料理人が臥せっているのである。
 料理ってどうすればイイの?
 取敢えず、包丁は使わない方向で検討してみる。
 そうだ。病人といえば、お粥。
 卵雑炊くらいなら、作れるかもしれない。
 土鍋の在処が判らないので、普通の鍋を火に掛ける。
 冷や飯と水を適当に放り込む。
 煮立つのを待ちながらじっと眺めていると、不意に疑問が沸いた。
 ダシは、入れるんだっけ?
 入れた方がいいような気がする。
 確かスティック状で、何か粉末のが常備してあった筈。
 買い物に付合わされる度、呪文のように言っていた。
 緑のが昆布で、赤のが鰹なんだよな。青とか黄色もどうとか言ってたけど、病気なんだから昆布がいいかな。海藻って野菜っぽいし。
 緑、緑……、緑のスティック……。
 あった。
 ポットの横に、一本ころんと転がっていた。
 本来の入れ物は見付からなかったけど、これでいいや。
 もたもたしている間に、鍋は煮えくり返っている。
 適量が不明なのでとにかく全量入れてみる。
 緑色の粉が、ふわりと煙りながら不吉に水面に広がった。毒薬のように。
 ……まぁ、いいか。
 掻き混ぜてみると、緑に染まった湯の中で白い米粒が踊った。
 あまり見掛けない光景だ。
 水分量の割合としては、お茶漬け風。ただ、色が奇妙しい。かなり。
 入れ過ぎたのだろうか。
 若干の不安を覚えながら成り行きを見守っていると、嫌な事に気付いた。
 アレに似ている。
 燦々と降り注ぐ日差しに濃緑色のデロデロした物体が繁殖し捲った、アレ。
 沼。
 昆布も植物だからなぁ。
 駄目だ。こんな形容を食べ物に対して口にしてはいけない。
 しかし。
 眼前で闇雲に撹拌し続けているのは、ふつふつと沸き立つどんよりした緑色の粘液。
 物凄く前向きに善処して、魔法使いの釜。
 全然好意的じゃない。
 明らかに、自分の知っている「お粥」だの「雑炊」だのとは異なっている。
 これ、ホントに食えるんだろうか。
 よし。
 卵を入れよう。
 卵は総てをまろやかにしてくれる。筈。
 生卵投入。奇跡的に殻が入らなかったので大成功。
 黄身はそもそも崩れているので混ぜるのも楽だった。
 これで少しは穏やかな色彩に――。
 分離した。
 黄身は黄身、白身は白身。幾つもの小さな欠片が入り乱れ、幾つもの大きな泡が浮かんでは消える。どっから見たって呪われている。
 うん、諦めよう。
 いい加減、鍋も思考も煮詰まってるので、焦げる前に器によそる。ぽてっとした感触だけはリゾット風。
 そう、これはリゾットなのだ。何故こうなったかは不明だがこれはリゾットだ。
 卵も入って栄養満点。
 いざ。

「えー、作ってくれたのー? 嬉しー」
 苦し気な浅い息を抑え、満面の笑みを浮かべる姿に、かなり怯む。
「食べる食べる。食べたい。初料理でしょ? ありがとー」
 いや、沼ですから……。
 恐る恐る、披露する。
「わぁ」
 一瞬。妻の時が止まった。
 物体を凝視したまま、小首を傾げる。
「これは……」
 すいません。沼ですいません。
 くすっと笑い、楽しそうに、こちらを見上げる。
「よく思い付いたねぇ。これなら栄養摂れるもんね」
 卵なら、誤魔化せるかなと思っただけで。結局失敗だったんだけど。
「いただきまーす」
 躊躇なく口へ運ぶ彼女に、逆に焦った。
「ん。美味しー」
 はい?
 妻はにこにこと嬉しそうだった。
 昆布ダシって、大量に入れるとそんなに美味いものなのだろうか。
 そんな訳ないだろう。
 風邪で味覚が鈍ってるのと、気を遣ってくれてるんだろうな。
「食べる?」
 そういや味見もしなかった。
「はい、あーん」
 差し出された匙を拒む権利はない。

 どうか飲み込める味でありますように。 
 ……あれ?
 知っているような、いないような。不思議な風味の中で、時折やたらくっきりと黄身と白身が主張して。
 思ったより、悪くない。
「ね、大丈夫でしょ」
 大丈夫でした。けど何かが奇妙しい。 
「これってあれ思い出すよね」
 え。沼?
「草餅。色といい香りといい、うん、草餅。餡子入ってないの」
 ああ確かに緑の香りは豊富だよね。昆布ってこんな感じだっけ?
「凄いねぇ、結構合うんだね、卵と青汁」
 え?
「これって試供品のヤツ?」
 え?
「青汁。わざわざ買ってきてくれたの?」
 いや……、ポットの側にあったスティックを……。
「あ、出しっ放しだった? ごめんねぇ」
 色しか、見てなかった。
「変わってるけど、お粥でもそんなに変じゃないねぇ」
 だから青臭いのか!
 返す笑顔が引き攣ったのは認める。
 偶然の産物による結果オーライな訳だが、尊敬の念さえ滲ませた微笑みに、真実など言えよう筈もない。
 料理、覚えよう。

「ねえ」
 ゆっくりと粥を掬いながら、妻が呟く。
「今日、ごめんね」
 毎年この時期に、花畑を観に行く。お互い楽しみにしていた。
 いいよ。身体の方が大事。いいからゆっくり休みなよ。
「ん……」
 今日の所はさ、それで勘弁して。
「え?」
 その花畑も、結構綺麗だと思うんだ。
 きょとんと見開かれた眼が瞬き。示された先を追い。次いで、破顔する。
「ホントだ。春みたい」
 彼女の手の中で、緑の海を、黄色と白の花が咲き乱れる。
「春粥だね」

春粥

(初出・2014/03/21)

春粥

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-07-07

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