真夜中の刺繍

 りすもねむる頃の、星のうごきに、付随する音楽のようなものに、耳をかたむけていた。真夜中に、サイダーがはじけて、街でいちばんたかいたてもののてっぺんから、薄青に染まる。かなしみがひろがって、街が、かなしみにおかされてゆくのを、街も、ひとも、ねむっていて気づかないのだった。かなしみは、一日のあいだに蓄積された、いきもののかなしみで、かなしい、という感情をもちあわせているものの、それの集合体であることを、ノエルはおしえてくれた。電車で一時間ほどのところにある、大都市とはちがい、この街は、ねむった。夜になると、にんげんがねむるのとおなじく、ねむる街だった。ぼくは、おとうとにたのまれた、刺繍をしていて、パフェと、パンケーキと、パンという、声にすると、くちあたりがいいような、なんともいえない気持ちになりながら、パフェと、パンケーキと、パンの刺繍を、ちくちくしていて、ときどき、ノエルが、まどからみていた街の、かなしみのひろがり方を、まるで研究しているひとみたいに、かたった。かなしみは、物音ひとつ立てず、静かに、街に蔓延して、朝になると、きえうせた。浄化されるんだよと、ノエルはいって、浄化、という言葉の仰々しさを、すこしだけこわいと思った。星がうごくたびにきこえる、音楽のようなものは、細かな手作業をしているときの、耳ざわりではないバック・グラウンド・ミュージックに、ちょうどよかった。音楽、と呼べるほど、完成されたものではなく、雑音めいているけれど、複雑ではない、ほどよい単調さがあり、それは、たとえるならば、心臓の躍動、血液の流れ、骨の軋み、なんていう、にんげんのからだのなかでおこなわれている、あらゆる機能、循環から発せられる音、つまりは、いきているもののが、ちゃんといきている音、というのを想像させた。星がいきている証、ということ。鼓動。呼吸。ねむった街が目を覚まさないほど、控えめに、穏やかに、それでも確かに、いきている。
 パンケーキの刺繍がおわったとき、ノエルは、星の奏でる音にあわせて、からだをゆらしていた。

真夜中の刺繍

真夜中の刺繍

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-05

CC BY-NC-ND
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