ララのほとんどはかわいいでできている

 ララ、わたしのからだに、とけた。
 錠剤みたい、と思ったので、ひそかに、ララが、ふいに、わたしというにんげんの、からだにはいりこんで、そのまま、わたしというにんげんの肉体と、精神に、同化した、とわかった瞬間、これは、きっと、はじめからきめられていたことなのだと、わたしはりかいしていた。わたしがいきつづけるかぎり、ララもいきつづけるのだ。もう、わたしは、じぶんの目で、ララのかおをみることはできない。わらったかおも。わたしがわらえば、ララもわらうし、わたしが泣けば、ララも泣く。わたしとララを、そういうふうにつくったひとのことを、でも、べつに、うらんでなどいないし、実際に、ララとふたりでひとつになったことで困ったことは、とくになかった。わたしは、わたしで、ララの要素は、あまり目立たないような感じだった。ララとくゆうの、おんなのこしている、かわいさ。わたしにはない、すなおさ。
 そういえば、町の南西に、やさしいひとだけがはいれる集会所なるものができた。それから、お金をもっているひとだけがはいれる病院も。つまり、町は南西から、腐っていっているのだが、だれもがその腐乱をとめることは、できそうもなかった。ならばいっそ、朽ちてしまえと思う。腐って、そのまま一度、消滅すればいいのだと云うと、ララはきまって、ほろびるのはいやよと、さめざめ泣いた。ララが泣くと、夜はふるえた。星がはげしくまたたき、月がぶれて、夜が、ララという存在に、おびえているようだった。
 いきものたちは、いずれみんな、かえる。
 土に。海に。森に。
 ララのかえるところは、わたしでよかったのか。わたし、が、ただしいのか。ララが以前、共有していたというひとは、肉体は失ったけれど、冷凍庫で眠っているという。ララは、わたしがさいごなのだといった。あなたは、わたしのさいごのうつわで、ひつぎなのだと、ララはかわいらしくほほえんでいた。いうなれば、心中みたいなもん。

ララのほとんどはかわいいでできている

ララのほとんどはかわいいでできている

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-07-03

CC BY-NC-ND
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