とりあえずなんにでも感動したがる真夜中のわたしたち

ヘアースタイルをかえたのと、きみはいうけれど、わたしは、どこをかえたの、と思っていて、そういうときの、ぼんやりした感じは、浮遊感、というより、茫洋している、とたとえるのがただしいかもしれない。とはいえ、いつも、なにがただしいのかもわからないで、生きている。自然をまもるために、発達するコンピューター。機械化が進むことによって、うしなわれてゆくもの。べんりになることで、おとろえているきがする。にんげん。真夜中もやっている喫茶店に、わたしたちはいた。「ついさっき、そこの美容室で前髪を切ってきた」「なんセンチくらい?」「五ミリほど」なんだかからっぽだなぁなんて、傍から見たら思うような話を、きみはナポリタン、わたしはえびピラフをたべながら、していた。えびピラフのえびは、カタカナのエビより、ひらがなのえびの方がきもちがいいきがする、などと、わたしはひそかに思っていた。コーヒーのにおいが、つねにしていて、わたしたち以外には、真夜中のバケモノたちが、数人いた。わたしたち以外はみんなひとりで、本を読んだり、なにかを書いたり、スマートフォンをものすごいはやさでタップしたり、ミックスフライ定食をがつがつたべたり、忙しいような、のんびりしたような、そんな雰囲気だった。「失恋すると髪を切る女の子っているでしょ」「うん」「まねしてみた」「五ミリほど?」「五ミリだけ。だって、まねだもん」そういってきみが、オレンジジュースをのむ。わたしは、街のほとんどのひとが、ねむっている時間にたべるえびピラフは、なんておいしいのだろうとおおげさにかんがえている。

とりあえずなんにでも感動したがる真夜中のわたしたち

とりあえずなんにでも感動したがる真夜中のわたしたち

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-06-25

CC BY-NC-ND
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