夏はしろよりもあおになればいいエヌはえいえん

はありが、しんでゆくのを、かわいそう、と思いながら、でも、しかたない、という理由で、傍観していた。それは、なまえもしらない惑星が、夢のなかで消滅してゆくのを、静かにみている気分と、すこしだけにていて、夏の誘蛾灯に、あたりまえだけれど、慈悲はなかった。わたしは、しにたいものではなかったけれど、恋人だったエヌには、ちょっとそういうけいこうがあって、学校のおくじょうや、歩道橋のうえや、電車のふみきりを、うっとりながめているエヌのよこがおが、いやにきれいなのが、わたしはいやだった。秋のおまつりよりも、夏のおまつりを好んだのは、たんじゅんに、花火がすきだからで、コンビニのあかりは、秋の夜にみるほうが、なんだかあたたかくかんじた。夏は、とにかくしろい。ひかりのしろさに、目がいたむ。つきん、と。つきつきん、と。あしたになったら、映画を観に行こう。おもしろいやつ、なんでもいいから、かんたんにわらえちゃうやつ。エヌが、どうしようもなくなって、にんげんそのものをやめた日に、わたしは、でも、いつかもどりたいと思うし、もう、いっしょう、ああいうのはみたくないなぁとも思う。夏は、しろよりも、あおが、きわだってほしい。うみのあお。そらのあお。その方がまだ、目にやさしいから。

夏はしろよりもあおになればいいエヌはえいえん

夏はしろよりもあおになればいいエヌはえいえん

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-06-22

CC BY-NC-ND
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