海が見える
夏が、丸みを帯びた、ひとつのいきものとして、そこにいて、切っ先の鋭いもので、すこしでも傷をつければ、そこから、中身が、こぼれてくるので、どうか、そおっと扱ってくださいと、誰かが云って、踏切の、あちら側には、夜の色に染まったひとびとが、あてもなく歩いていた。プロペラの音がして、けれど、飛行機などは確認できず、空中には、つねに、星、それから、二酸化炭素の屑、あと、にんげんの、肉体から、自然と放出された、あらゆる感情が粒子となって、漂っている。のの、が、おそらく、壊した、春、というものの残骸が、電車に轢かれて、わたしは、それを、どうしようもないものとして、ぼんやりと見ていた。砕けて、散って、無となるものの、ことを、想うときの、ぎゅっ、とする感じは、テレビのニュースで、しらない誰かが、しんでしまったときのそれと、似ていて、ののが、いつのものだろう、桜の花を、押し花にして、春を愛しむ様子は、なんだか、ちょっと、狂っていると思う。壊したものを、愛でる、という行為の、真意、とは。
海のない街に、棲んでいて、時折、でも、海のにおいが、する。本屋さんの、写真集のコーナーで、いつも、ののが、海の写真集を、じっと眺めているせいか。波。水平線。月が道をつくる。
きれいだね、と呟く、のの、の、海面を、ぷかぷか浮いているような声が、わたしのからだに、浸透してゆく。
ここは、本屋さん。
でも、まわりの音が、水のなかにいるときみたいに、きこえた。
海が見える