千年の営み
都会でうまれて、森、というものに憧れた、きみが、だれかのさみしさにくるまれて、すこしだけ憂鬱に苛まれるとき、ぼくは、インターネットのなかに、無情、なんてものを感じて、そんな、いまさら、と思いながら、SNSをおこなうためにつくったにせもののなまえのじぶんを、嘲笑った。
海には、むかしにしずんだ町があって、それはもう、千年前くらいの、この星がいちばん栄えていた頃といわれている、にんげんもうじゃうじゃ住んでいて、ときどき、おおかみがあらわれて、にんげんと交尾して、まだ、朝のバケモノと、夜のバケモノと、真夜中のバケモノが、ひとりのバケモノだったという、なんだか想像しがたい、光景を、ぼくは思い浮かべて、途方もなくて、ベッドのなかで、うとうとしているあいだにも、にんげんと、おおかみと、ひとりのバケモノが、共存する世界、というものの幸福と、混沌について、しんけんに考える日もあった。きみが憧れた、森、という場所も、とっくになくなっており、本のなかでは現存する、森の、豊かさと、厳しさと、美しさと、儚さに、きみは、想いを募らせていたし、おおかみと、にんげんが、交わることでうまれるもののことを、ぼくが、ぼんやりと、うっとりと想い描くのと、それは似ていたような気がする。千年前から現代まで、失われたものは数知れず、同時に、生まれ出たものも数えきれないくらいあるのだと思うと、妙な安心感があった。
海にしずんでいる町は、眠らなかったそうだ。
一日中、にんげんは動きまわり、おおかみは徘徊し、バケモノは平等に、朝と、夜と、真夜中を、厳かに見守っていたという。
千年の営み