あいうえおエッセイ

また、唐突に企画を始めましたよ。

あいうえお 順 で エッセイ を 書いてみよう。

なんとなく、やりたくなりました。

最初は 《 あ 》

《愛》にしましょうかね。


愛ってなんだろう。

無償である事?

とも思いますが、人間関係を築いた時点で『無償』って無い気がする。

無償はあくまで経済用語なんだろうな、と思っています。
人間関係に使用するには不向きな言葉。

母親の愛は無償なんて言いますけどね。

有償でもいいから、愛してくれよ、なんて母子関係もあるわけで。

「お前の母親、変だな。」

そう言った旦那君の母親に会った時に、同じ事を思った私。

旦那君に向かって「要らない」と平気で言うお義母様。

大丈夫だよ、アタシがもらったから。

2度と返さないので、そのつもりで。

旦那君は女嫌いで女性不信でした。

まぁ『同じ』なんですね。

コレは傷の舐め合いだろうか。と思う事もあります。

けど、それが愛なんじゃないかなぁ。

相手の傷を舐めて、同情して、庇護欲をそそられて、穴を埋めることで、ここに『ハマれる』のは自分だけだ、と感じられる優越感と特別意識。

そういう、ドロドロで汚い感情の集合が『愛』

そんな気がする。

「自由で居たい」とか「縛られたくない」とかいう台詞は『愛』の対極にあるんじゃないかな、と。

「縛り合ってるのが気持ちイイ」「相手に不自由にされる事が快感」

いや、SMの話では無いですよ?

実際、子育て中のお母さんとか、とことん子どもに拘束されますものね。

不自由この上ない。

その『不自由』を「我が子の為だ。仕方がない。」と思う気持ちが『愛』でしょう。

【母親から愛されなかった子どもは誰の事も愛せない、自分の事さえ】

私が10代の頃に、ほとんどの書物はそう語ってた。

そんな時です。

「コインロッカーベイビーズ」村上龍 著

に出会えたのは。

あとがきやエッセイや他の作品で村上龍さんが語った言葉たち。


"人は母性が無くても父性だけで生きていける"

"過去のトラウマが、その個人の後の人生を全て左右するなんてあり得ない。人間性は一瞬一瞬の積み重ねで刻々と変化する"

どれほど救われたかわからない。

私は、小説から不自由になった。

その不自由が快感だ。

だから、小説を『愛している』


(2011.11.7)



あいうえお順で、自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

という企画。

企画もの好きだな(あっちな意味で)


さて、コレは以前からガッツリ書きたかった《怒り》について。


まず、怒りにはエネルギーが要ります。

怒ると疲れちゃうしね。

怒るの嫌だなぁって人はけっこう多い。

けど、人間は怒るべきだ。

怒りは【目的】と【指針】を産み出します。

何かに対して許せないと考え、怒る。

どうすればそれを消せるか考える【指針】

具体的にどう行動するか考える【目的】

この繰り返しで、自分の将来や、国家を象っていく。

もうね、一生懸命はダサいとかさ。
政治の話すんの疲れるから嫌だとかさ。
無知を自慢したりさ。

「知らなくていいし! アタシの人生に必要無いし!」

とか偉そうに言う奴な。

ふざけんな。と。

日本人ってコミュニティを形成してて、警察に守ってもらったり自衛隊に助けてもらったり、怪我したら救急車に乗るんだったらな。

政治くらい、ちょっとは知っとけと。

ものすごく詳しくなくたっていいけど興味は持てや。

知らない事を自慢気に言うな。と。

私は、コレを普及させたいわけです。

その為には【怒り】が必要なんだけど、なかなか持てない。

生活に追われていたり、周囲の人間に気分を害したりして、個人への【イライラ】=【怒り】になってしまってる。

システムに怒らないとダメなんですよ。

【風潮】とかね。

どうやったら叩き壊せるか。それを冷静に考える。

【怒り】はクールじゃないとならないんです。

『考えろ』

って言葉が好き。

伊坂幸太郎さんの「魔王」に出てきます。


「砂漠」「魔王」「ゴールデンスランバー」「モダンタイムス」


全部システムと対決して闘う話です。

『考えろ』
『怒れ』
『闘え』


闘志が湧きます。

クールな【怒り】は人生を熱くしますよ。

それはめちゃくちゃ楽しい。

だから、みんな、もっと怒ろう。


(2011.11.8)



今日は《 う 》で書きます。

テーマは《嘘》について


ぷらこは良く嘘をつきますよ。

「実は宇宙人です。」とか。
「野球部に入りたかったから丸坊主にしてました。」
とかね。

だって、事実ばかり話されたらしんどいでしょう。

「女性不信がピークになった時期に気が狂いそうになって坊主にしました。」
とか言われたってリアクションに困るでしょう。

良く【ありのままを見せる】とか。

【好きな人には嘘をつきたくない】とか。

【全部を見せて欲しい】なんて事が言われてて。

それが『一番良いコト』みたいになってるんですけどね。

信頼出来るから全てを見せる?

それ、本当か?

相手が、どう思うかを省みずに、ただ、丸投げしてるだけなんでないの?

自分のイライラや憤りを、隠そうともせずに、周囲を傷つけて

「自分、嘘つけないんで。」

とか言う奴は何であんなに態度が偉そうなんだろう。

正直であることが、いつも善なことあるか。

私の父親は良く嘘をついていました。

私と弟が、父がマニュアル車の1速にシフトを入れると信号が青に変わるのを、父が信号を操作している!

「パパ、スゲー!」

と勘違いしていたのを否定せずに、ずっと信じ込ませていたり。

霧を「雲の中に居る」と言ったり。

西部警察の渡哲也の姿格好が当時の父のファッションに似ていた為に、テレビを観て、

「あ! パパだ!」

と勘違いする私と弟にずっと「自分は刑事なんだ」と言い張ったり。

少し大きくなると疑いだして

「また嘘ついてる!」

と弟と文句を言うのですけど。

今度は

「嘘だって証明出来るか?」

とニヤニヤされて、禅問答のような屁理屈合戦になった。

私は、それに夢中になって。

落語とか、言葉遊びとか、大喜利にハマっていくのですけど。

漫画も小説もゲームもお笑いも。

ファンタジーもSFもコメディーも。

【事実】ではない【創りもの】の世界。

人を楽しませる嘘は、真実より優しい。

「優しい嘘なら要らない」?

もらっとけよ。

笑えるなら、騙された方が楽しいだろう。


(2011.11.13)



【企画】あいうえお順でテーマを自分で決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 え 》です。

まぁ、当然のごとく《エロス》について語ります。

ぷらこは【期待に応えられる人間】を人生目標に設置していますからね。

性欲=エロス
と考える人が多いでしょうけど違います。

だって、女性も女性にエロスを感じるでしょう?
綺麗な脚とか、柔らかそうな胸とか、形の良い尻なんかに。

性欲は低くてもエロい事は好きという男性も居ます。
こういうタイプは恋人が出来にくいです。
つまり、処理欲求が低いので決まったパートナーが必要無いからです。

逆に性欲は強いけどエロくない男性も居ます。出したら終わりタイプ。
サービスとかしません、自分が楽しくないから。むしろ性欲すら邪魔だと思っていて処理後にいつも虚しくなるタイプ。
こういう人は早く目覚めるべきです。【マグロが良い】と。
楽しむ気がないなら風俗の性マで済ませればよいのに。
パートナーに選ばれてしまった女性が可哀想です。

エロスはあった方が良いんですよ。

修飾語みたいなものです。

オレ出すー!
出たー!

で終わりとかつまらなさすぎるでしょう。

なにソレ排便?

ってなる。

それにエロスレベルが高い人は浮気をしません。

え、逆じゃないの?

エロい人が浮気するんじゃないの?

違います。

浮気で得られる快感なんぞ、たかが知れてるでしょうよ。

背徳感と秘匿感くらい。

浮気をパートナーにバレたくは無いわけだから、パートナーへのサディスティック要素を求めて浮気をしてるわけじゃない。

そんな少ないメリットで浮気に走る人は妄想力が足りないか、パートナーによほど不満があって、実は裏切りたい、もしくは関係を破綻させたいっていうエロスとはまた別の暗い欲求があるだけです。

エロスを追求するなら決まった相手との信頼度を徹底的に上げて、お互いの秘密は墓場まで持って行くから、もっと凄いことしてみようって挑戦し続けた方が遥かに高いレベルの快感を得られますよ。

妄想のエロスには勝てませんけどね。未だに挑戦中。

「あ、この男の人、私を使ってエロい事考えたな。」って解る瞬間の男性の目がエロい。

男の人って何であんなに目に出るんだろう、ちょっと可哀想。

すぐにバレちゃうよね。


(2011.11.14)


あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 お 》です。

《男》について語ります。


最初に言ってしまうと、私は、アンチフェミニストです。

【男女平等】って訴えながら、男差別をしているようにしか見えないからです。

女性専用列車とか。

「痴漢とレイプ犯と幼女暴行実行犯は死ね。」と思っていますが、思っているからこそ、痴漢冤罪だけはあってはならない、とも思っています。

セクハラにおいてもそう。

男女平等を訴えるなら「ハゲ」「キモい」「臭い」って平気な顔で言う女もバッシングしろ。何が平等だ、どこが平等だ。

別に私は、ハゲとか言うな。って言いたいわけじゃあ無いんですよ。

それが笑いに変換出来る事もあるし、自虐芸ってありますからね。

ただ、それを言うなら「ブスを笑う」も許容する、のが、真の男女平等じゃないか?

ブスを笑うのはヒステリックに絶対ダメ!って主張するならば、ハゲって言ってる同性にもそのヒステリックを向けろよ。

って事です。

さて、前置き終わり。

コメントとか記事にちょこっととか時々書いてるのですが。


男とは後天的に造られるものだ。

というのが私の考えです。

人間は生物学的に【女性体】が基本構造です。

だから、男性器は女性器が肥大した形だし、男性にも乳首があります。

あれは性感帯の為にあるわけではないです。

責めるけどな。

たまに母乳が出る男性も居ます。ホルモンバランスが崩れたのでしょうね。

そんな女性体から男性体になった男性は、人類の種の保存本能では、種付けの役割しかないわけですよ。

だから、早死になんです。ストレスに弱いのです。なのに生殖能力は死ぬ間際まで続くのです。

女性体は早めに閉経して、育てる方に特化していく。たくましく、図太く、長生き。


男は泣かない!
とか
男なら逃げない!
とか
男なら戦うべきだ!
とかは

全部【社会】が創ったんですよ。

だから、男はカッコいいんです。

人間の【思考】と【理性】が産み出した【文化】だから。

本能とは違う高みにある。

男であろうとする男の人が大好きです。

(2011.11.16)



あいうえお順で自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 か 》です。

《過去》について語ります。

私にとっては長年の悩みでした。

【虐待は連鎖する】

本当に多くの心理学者が唱えていた説です。

人間の質は幼少の環境で決まるのだと。

自分の中の暴力性が怖くてたまらなかった。

救ってくれたのは読書です。

たとえば伊坂さんの言葉。
『小説は人の体に染み込んで内側から世界を変える』

たとえば金城さんの言葉。
『1冊の本を読むと100人と話したことになるんだ』


過去は、一瞬じゃないんですよね。

一部分じゃない。

ある時期の記憶の一部分は、ただの記憶であって、それは過去じゃない。

過去は、生まれてから1秒前までの積み重ねを差す。

10年前も昨日も1秒前も過去を構成している一部分。

人間の質は幼少の環境で決まるというのは。
味覚とか、音感とか、運動神経とかであって。

性格は違う。

自分が【どんな人間になりたいか】考えて【その為に何をしたか】で決まる。

もちろん、価値観とかは左右されますけどね。

日本に生まれて日本で育ったら日本人っぽくなるでしょう、やっぱり。

けど、過去を構成する一瞬の記憶やトラウマになんか人格は左右されない。

されてたまるか。

これは本当によく言われることなんですが。
「解ってあげられない。ごめん。」

とか。

「そういうの過去に無い私は、人間として薄いのかな。」

とか。

そういう事を言う人が居るんですけど。

逆だ、と言いたい。

そんな体験はしないにこしたことはないし。

しないで、幸せに育った人間の方が、ずっとずっと色々な目に見えないものを持ってるんですよ。

人間の厚みが足りない?

全然、そんな事はない。

むしろ虐げられた人間の方が、色々なものが【足りない】んです、薄いんですよ。

何も言えなくてごめん。とか言わなくていい。

ただ、居てくれたらいい。

笑ってくれるだけで十分なんだ。

同情が欲しかったり、困らせたくて話してるんじゃないんだ。

試してるんだ。

卑屈で暗い部分を見せても離れないで傍に居てくれるかどうか。

そんな事をしないと安心出来ない。

今は、強くなりたいなぁ。目指してた【笑わせる人】には近づけたから、次は【強い人】になりたい。


(2011.11.20)


あいうえお順で自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 き 》です。

《犠牲》について語ります。

コレは日本人の最大の弱点ですね。

外交が弱腰なのも、政策が決まるのが遅いのも、何かが起こってからじゃないと動き出せない腰の重さも。

突き詰めたら此処にたどりつきます。

日本人は自らを犠牲にする事は出来ても、他人を犠牲にする事が出来ない。

政策も外交もコレが一番のネックになっています。
悪いのは政府だけじゃないんですよ。
国策は国民全員に責任がある。だって日本は民主主義なんだから。
独裁政治じゃない。


日本人は10人の死と1000人の死、どちらを選びますか?

という質問に『誰も死なないのがいい』と言い出す。

いや、それはそうだけど。それが理想だけど。現時点でその2択しか無いのに迷ってたらダメだろ。

っていう状況で、ぐだぐだと悩み、結局対策が間に合わずに1000人が死ぬ。

そんな事を繰り返しているんです。

TPPだってそうだよね。

反対派の意見聞きましたか?

「農業従事者に死ねって言ってるんですか?」

いや『転職』って発想はないの?

世の中、自分がやりたい仕事だけをしている人なんて一握りなのに。

農業従事者が農業だけをやりたいからってそれに税金使うの?

安全性が確保出来るなら食材輸入だっていいじゃない。

むしろ工業技術使って海底天然ガス開発して新しいエネルギー資源を手に入れて景気回復した方が良くないか?

採算の合わない部門をそこで働く人の願望だけで続ける意味が判らないよ。

と、そういう主張をするとね。

今度は「被災者の気持ちを考えろ」ですよ。

むしろ風評被害で売れない作物を作り続けなきゃならない方が不幸だ。

転職費用を税金で捻出するとか。住宅建設と復興工事に人手が足りないなら、そういう時こそ「公共事業」で雇用すればいい。

TPPで一番恐いのは農地解体で、外資が安く買い占める可能性です。

日本の『水』が世界中から狙われているから。

小さな犠牲をためらって『水』を取られていいの?

メディアはそっちを大きく報道するべきだ。


(2011.11.22)



あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 く 》です。

《軍》について語ります。


私は自衛隊を軍にするべきだ。

という考えを持っています。

コレは絶対反対派があまりにも多い。

そのあたりを語ろうかと。

前回の《 き 》で、日本の『水』が狙われていると書きました。

実はもう取られてるって知ってるかたは日本人に何人いるんだろう。

中華系企業に日本の山にある土地を買われています。

所有していた個人は「山菜取りにじいちゃんが持ってただけだし、今は、使ってないから」と二束三文で手放す。

地下水を根こそぎ汲み上げられて、海外に水を販売という事例が、もう既にあるんですよ。

漁場が狙われているのはもう有名ですよね。

不法入国し放題なんです、日本って。

海上保安庁には威嚇射撃と追い出す権利しかない。撃たれようが、追突されようが、証拠隠滅の為に船ごと自爆されようが。

敗戦国だから?

違います。

『武力放棄で、絶対に反撃しませんよ。』って高らかに宣言してるからですよ。

だから、なめられまくる。

たとえば日本が軍を独自に持つと、アメリカに支払う金よりも遥かに防衛費がかさむと主張する人が居ます。

うん、それ『戦争する為の武力補強』を前提に話してるよね?

そんな武力不要です。

自衛隊の現在の装備で十分。

ただ、法律を変えて、彼等の権利を強くすればいい。

攻め落とす訓練を彼等はしてません。

けど、自陣防衛、籠城ならお手のものだ。
持っている武器群もそれ用ばかりですよ。
殺傷能力が低く、ただ広範囲に当てて、行動を奪う系を揃えてる。

あとは外交努力で戦争を仕掛けない、仕掛けられない、混ざらないを選択すりゃいい。

ただ、お金の事じゃなく、精神論を言う人には反論出来ません。

つまり『武器を抱えて武器を棄てろは通じない』系。

自らの『犠牲』を賭して『全ての国の武力放棄が真の平和に繋がる。まずは我が国から』

という主張をする人。

反論出来ません。真理だから。

けれど、我慢がならない。

そんな志の高さ、日本人にしか通じてないじゃないか。

逆手に取られてあなたが殺されるのを黙って見てろって?

長い目でなんて見てられない。現時点で死ぬ人が少ない方がいい。

だから、どうか、自衛隊を軍に。


(2011.11.23)


あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 け 》です。

《警察》について語ります。

警察の仕事。

それは治安維持と捜査と逮捕です。

アメリカがね、言うじゃない。

『我々は世界の警察だ』と。

どこがだ。

捜査してるか?
諜報と情報操作は捜査じゃないんだが。

治安維持してるか?
壊滅させて放置したら治安は悪くなるんだが。

逮捕もしないよな。
殺すか、拐って閉じ込める、司法に引き渡さない。

そんなんで『警察』を騙るな。

警察は自分達で裁かない、処刑しない。そういう存在でなけりゃならない。

理性で我が身を律し、感情を殺し、組織の歯車になる。

そういう志の高さが必要なんだ。だからカッコイイんだよ。

私が自衛隊に軍になってもらいたい理由のもうひとつ。

『世界の警察』は日本が担うべきだと思うから。

こんな国は地球上の何処にもない。それを誇り、責任を果たすべきだ。

強い力を持つ者は弱者を救う義務がある。

日本人はキリスト教信者ともイスラム教信者とも、対話して『こいつ良い奴だな』と思ったら友達になれる。

コレは本当にスゴい事なんですよ。

自分達で自分達の凄さを全く解ってない人が多すぎる。

日本の利点は工業? 経済?

そんなん一部分だし、一時的なものだし、他の国でも出来る。

最大の美点は『自分達とは価値観の違う人種を理解しようと努力し折り合いをつけながら受け入れる寛容さ』だ。

それに『武器』

殺傷能力が高く他者をなぶり、最悪な後遺症を100年先まで遺す武器を作る国より。

絶対に日本の職人が作った方がいい。

死傷者は減る。後々話し合いだって出来る。

壊滅させるんじゃなく治安維持に向かう。虐げられてる民間人を助ける。きっちり捜査し、逮捕だけをして、国際司法に引き渡す。

踏み入った国に対話を申し込みながら、完璧なライフラインを作る。

水を汲み上げ、畑を開墾し、100年壊れない橋を作る。

地震が来ても倒れない家を作る。

日本人はこれが出来る。なのに、やらない。
『世界の戦争に対して何も出来ない。』って泣き続けるのはもうやめるべきだ。

まず、意識を変える。周囲を変える。政治を変える。外交を変える。法律を変える。自衛隊を変える。

それが出来るのは日本に住む日本人だけだ。

(2011.11.24)


あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《 こ 》です。

《個人》について語ります。

さて。個人とはなんぞや。

全体に置ける、そのカテゴリーに属する個体の生命体かな。言い表すとすれば。

全体って概念無しには個体は存在出来ません。

"酸素"は個体ではないですよね。

"動物"も。

"犬"はどうですか。"田中さん家のポチ"なら個体になります。

だから、"犬"には両方の意味があるわけです。全体と個体。

全体の場合は多くは"概念"になるんですね。

個人は、概念であり全体をしめす"人間"のなかの個体を差します。

個体の集まりが全体になり"人間"は、ただの概念であり、個体の集まりをしめす言葉なのであって"人間"という存在はない。

これが唯名論。

私はそっち派です。だから、無神論者です。
反して"人間"は概念ではなく存在する。

神様が人間を造ったのだから、人間に与えられた役割、使命、運命、原罪があると考える。

これが普遍論。

つまり、唯名論が普遍論を否定してしまうと、神様は居ないことになってしまうんですね。

個体は何故、死ぬのか。

科学技術が発展し、世界の理が少しずつ解明されてきた今の私たちには説明できる。

新陳代謝の為だと。

死は能力なんだと。

死が無ければ、際限ない生は無い。

生が繰り返さなければ、病原菌で遺伝子に著しく損傷を受けたり、自然災害で壊滅したりした場合、全滅します。

だから、死はある。

けれど昔は神様が人間を造ったのにどうして死があるのかという疑問に。

死こそが完全体であり肉塊にあるうちは堕落だとしたんです。

それが宗教。

このあたりは《 し 》宗教でまた語ります。

ただ、世界の理が解明されればされるほど。

今度は別の疑問が沸く。

どうして万物は全体を繁栄し繋げていく事に忠実なのか?


種の保存がありとあらゆる生命体で最重要されるのは何故なんだろう?


そこに意思を感じると。


昔のように人間を造った唯一無二の神様が居るとは思わないけど。

宇宙を造った存在はあるのかな?


なんて考えるのです。

個人はホントに個体?

もしかすると全体とリンクしている宇宙意思の一部分に過ぎないんじゃないか?


なんてね。


(2011.12.14)



あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《さ》です。


《差別》について語ります。

「差別はしたらいけない!」

大概はこう言いますね。

いや、差別はしてもいいんでないの?

ってのが私の考え。

教育機関が無く、自国の利益を自国の生産で補えず、他国から搾取をする、武器を売る、戦争を仕掛けて戦争経済を展開する、

刑法もまともに機能せず、警察は犯罪者と癒着していて、宿泊しているホテルに警察官が来たので招き入れたら拉致され犯され殺された。

そんな国を【差別】せずに、【日本人】と同等に扱えますか。

差別意識そのものを否定する人が居ます。

それは無法地帯を生むのに。

人種差別から起きた【迫害】に考えを奪われ過ぎて思考停止してはいけない。

迫害はあってはなりません。

そして迫害をダメ!許さない!と考えるのもまた差別意識。

元々【差別意識】というのは劣っているもの、汚いもの、許せないものへの蔑視であり、
その根幹にある感覚は美醜の区別です。

壮大な景色、素晴らしい芸術、神がかりなアスリートへの羨望と憧れ。

美しいものを美しいと思う心や、素晴らしい人を尊敬する気持ち。

その対極にあるのが、醜いものを否定する気持ちでしょう。

そこを否定したら成り立たない。

世の中のほとんどの価値観は表裏一体です。

【右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい】

この価値観は【死が終わりではない、死は救いだ】という考えから生まれています。

言葉の上っ面だけで判断したらダメ。

思想は、その時代の背景を鑑みて判断しなければならない。

死はただの死だ。

そこに意味を見出すのはいつだって残された生者だろう。

「そんな事は無い!私の死で動く人は居る、誰かが叫び続けなければいつまでたっても理想郷は実現しないし、平和も実現しない!」

と主張する人に言いたい。怒鳴りたい。

ふざけんな、と。

貴方の死で人が動くのは貴方の人格と生きざまに惚れた生者が居るからだ。

何故、貴方が生きながらえ、共に過ごし、語り合った方が、もっと大勢の人間が動くとは考えないのか!?

私は差別をする。

志の高い貴方が死んで野蛮人を生かす無法地帯になんか絶対にしない。

して、たまるか。

たとえその行為を貴方に差別されたとしても。

(2011.12.16)



あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《し》宗教について語ります。

人間は何故、宗教にハマるのでしょうか。

昔のように死が身近で不条理であるならば、その不条理を受け入れられなくて、死後の世界に望みを繋ぎ、輪廻を夢想したくなる気持ちは理解出来ます。

というか宗教ってそういうものだろう、と。ずっと、考えていました。死への恐怖を和らげる存在。

だから、日本人は無宗教派が多いのかなぁと。

けれど、文明が発展し、死は遠い存在になったにも関わらず、むしろ新興宗教にハマる人間が増えました。

そして、不思議な事に学歴の高い人がハマるのです。

無知では無い人が偶像信仰にハマる。

死は恐怖の対象から、むしろ【救い】になってしまった。

古来からある宗派が自殺=悪としているのは、死への恐怖から生まれた宗教だからで。

新興宗教は自殺が英雄化されたりしてる。

なので気づく。

あぁ、そうか。

【考えたくないから】か。

だから、学歴の高い人が簡単にハマるのか。

日本人は無宗教派だと思うけれど、信仰心が無いわけではない。

「お天道様に顔向け出来ない」

「バチが当たる」

とか。けっこう自然に超越した存在を心の中で信じている。

【やおよろず】って考えですね。万物に神が宿るという。

私はこの考え方が好き。

【神様】は人間とは違う強くて不思議な力を持った【何者か】であり、人間の味方ではなく、指針でもない。

だから、人間は自分がどう生きるか、どう死ぬかを、独りで考えなきゃならない。

コレが【疲れる】

あらゆる存在は不変ではなく、絶えず変化していく。

だから、考えて対応しなきゃならない。

あらゆる存在は自己を裏切る。

自分でさえ、自己を裏切る。

個人は全体に含まれながら、永久に全体にはなれない。

ずっと、独りだ。

だから、人間は仮初めでも全体になりたがる。

徒党を組む。
恋愛に宗教的にハマる。
宗教にハマる。


個人で居る事は永久に考え続ける事。

それを放棄したら。

その人はもう自分をコントロール出来なくなる。

憧れの【全体】に見えた、単なる【組織】を動かしている【個人】に使われるようになるのでしょう。


(2011.12.19)



あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《す》です。

《好き》について語ります。


コレはホントに良く言われますね。

「あなた、ストレートに【好き】って言い過ぎなのよ!」

なんで怒られるんだろーなー。

好きなら好きって言ったらダメなのか?

あと男性にもよくたしなめられますよ。

「誤解されるよ?」

と。

どうも、周囲は女が男に【好き】って言ったら全部肉体関係に結びつけるんですよね。

いや、その場合アタシはもっとストレートに言うが。

「触りたい」とか。
(攻撃的だなww)

ただ、まぁ不安はあります。

誤解は解けばいいから良いんだけど。

不快感与えてたら嫌だなぁと。

「おばさんに好きとか言われると寒気する」的な。

若い女のコがおっさんを嫌う性的嫌悪を、自分が振り撒いてるとしたら問題だよね。

だから、女性相手は楽だなぁ。

好き、好き言い合うもんね(笑)

で、まぁ対応策として。

【好き】以外の言葉で相手に伝えようと努力していた時期があったんです、過去に。

「あ~。面白い。あなたとなら、ずっと、喋れる。」

「あなたの考え方はいつも自分には無い発想で、だけど面白くて、もっともっと聞きたくなるよ。」

「解析力すごいね。うらやましい、尊敬する。」

「なんでそんなに解りやすく説明できるの? 言葉のプロ?」


……。

もっと誤解する、と言われました。

なんなんだ。

男性は誉められたくないのか?

誉められたらすぐに「この女、俺が欲しいんだな。」に直結するのかな?

それとも、アタシの友愛の伝え方が下手すぎるだけか。

(たぶん、それだ)


人間として、友達として、男性に「大好きだ」と伝えられる便利な言葉は無いかなぁ。


「おぉ。心の友よ!」は下僕扱いしたいの? とか誤解されそうだし。

朋友(ポンヨウ)! と言いながら涙を流すしかないのか。

(実行が難しい)


その点、男言葉使ってた時は楽だったなぁ。

誤解されないし。

たぶん、ストレートに好き言い過ぎる癖はそっから来てる気がする。

(2011.12.20)


あいうえお順に自分でテーマを決めてエッセイを書いてみよう。

今日は《せ》です。正義について語ります。

コレは《き》犠牲とセットの記事になりそうです。

このエッセイを書き始めた時の気持ちが『人が"面倒くさいから話さない"って避けるものを敢えて語ろう』というもの。

考え方がかなり近いけど、ちょっと方向が違うのでいつも興味深く読んでるいちりづかさんに同じテーマ"正義"について書いてくれません?とリクエストしました。

是非読み比べて欲しいです。


さて【正義】って何でしょう?

極論になります。

正義=悪を作る手段

です。

この世界には真の意味での悪はありません。

【欠陥】と【異常】と【差違】と【無法】を悪と定義づける。

それが正義です。

私は『必要悪』って言葉はコレに使えば良いのにと思っているんですよ。

『正論を押し付ける人は嫌いだ。』と私は何度も書いているのですが。

大概、正論を押し付ける人は【正義】の使い方を間違ってる。

ただの【少数意見】を【異常】と捉えたり、

フォロー出来る【欠陥】を【排除】しようとする。

だから、反発が起こる。

そんな正義あってたまるか!と言われる。

正義=善

ではない。

手段だから、使う人によって結果が変わる。【武力】と同じですね。

ただ、正義を無くしてはならない、と考えてます。

それは無関心だ。

無関心は悪です。おそらく、一番大量に人を殺すのが無関心です。

自分の【正義】は持つべきだ。誰かと争うことになっても、"誰か"を"自分"が"悪"だと言わなきゃならない局面が来ても。

『誰も悪くない』は逃げです。

必要悪はある。

自信を持って「この先は【悪】だ」と境界線を引く信念。

それが正義でしょう。

(2011.12.28)


あいうえお順に自分でテーマを決めて、エッセイを書いてみよう。

2012年一発目は《そ》です。

《想像》について書きます。

コレはまぁ以前からちょこちょこ書いてますね。

想像って何処から来るのかな? って話です。

『ある事象が未来に辿る結果を思考する』

は予測、推測などですよね。

『過去を思い出す』

回想、喚起、回顧などかな。

どちらも共通しているのは事実を元にしていることです。

想像って違いますよね。事実ではない部分から思考していく。

想像と創造は密接だと考えていて。

想像が創造を生み、創造が別の想像を生む。

人間は鏡のように他者からの影響で自己を造っていくので。

自己は他者の介入によってしか生まれないのですが。

質は元から遺伝子情報で持っています。

本能とか味覚、音感、運動能力などなど。『才能』と呼ばれるものですね。

最近の研究では、心臓や腸などが記憶能力を持っている可能性が高いとされていて。

同じように神経が集中している指先にも独自の記憶能力があるのではないか、と言われてるみたいです。

そう言われたらそんな気がしませんか。

手で触れた時に「あ、コレ気持いい」と思考する瞬間あるでしょう。

私は、アレがどうも

"指先の神経情報が脳に伝えて脳内に蓄積された過去の記憶を照会し、過去に触れた気持ちいいものと比べて、脳が『コレは気持ちいいものだ』と判断した"

とは思えないんですよね。

指先が気持ち良かったもの、悪かったものを憶えていて、指先から『コレは気持ち良いよ』と脳に伝えてるんじゃないかな、とか思ってるんですよ。

で。想像の話。

過去に触れたもの。見たもの。聴いたもの。遺伝子情報が持っていたもの。

などなどから想像する。だから、奇抜に見えても、元からあったものだ、神様が創造したものの範囲内だ、なんて言われてるんですけど。

大地や空や海から無限に生まれる想像は、どうも体験情報だけじゃない気がして。

波長を感じてるんじゃないかと。

生物は波長に記憶や意識を乗せて運べるんじゃないのかと。

ひょっとしたら無意識にテレパシーをして生まれるのが『想像』なんじゃないか、なんて考えています。

【反応】だけで説明するには、ひとの想像はあまりにも幻想的だから。

そんな夢想をしています。


(2012.1.16)



あいうえお順にテーマを決めて自分でエッセイを書いてみよう。

ずいぶん久しぶりの企画になってしまいました。

企画複数同時進行は楽しいんだけど大変だ。

今日は《 た 》ですね。

《多数決》


について語ります。


けっこう多くの人が勘違いしていること。

民主主義 = 多数決

だと思ってる人が意外と多い。

似ているようで違います。

そして、はっきり言って理想的な民主主義を目指すなら「多数決」なんて悪法です。

それでもまぁ日本はわりと民主主義の本来の意味に近い構造を造れている方ではある。

多数決ってのは素晴らしい方法でも何でも無い。

間違えていても、悲惨な結果を導き出すことになっても、人数が多い方が勝つなんて馬鹿げてるんですよ。

特に大事な局面を決める時に、多数決を持ち出すと悲惨なことになる。

橋本知事が良く言ってますね。

「トップがまともなら独裁政治が一番良いんだ。」

と。そうなんですよ。トップが民の為に最良の最小不幸を目指すならシステムは独裁政治だろうが、それは民主主義なんです。

今の政治システムで問題視されてる金や癒着や党争いだって、多数決が横行しているから。

立派な思想より、頭数が多い方が強いから。

多数決の利点は、どちらを選んでも結果があまり変わらない場合に合理的という点。

「カレーとラーメンどっちにする?」

くらいの場合に使えば良いんです。

人の生き死にや将来がかかってることを決めるのに多数決で決めましょう、なんて、そんな馬鹿げたことあるか、ふざけんなよ。

メリットもデメリットも全て出し合い、試算し、セーフティネットを設けて、これなら最小不幸で、国の、国民の利益になるんじゃないか。と全員一致する政治。
それが真の民主主義だ。

「党」なんて、要らないんですよ。

(2012.2.25)

あいうえおエッセイ

あいうえおエッセイ

blogにてあいうえお順にテーマを決めてエッセイを書いています。それをまとめてみました。書くたびに追加していきます。主に哲学思想を中心にたまにふざけたり、というカンジですね。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-09

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