すいかのたね
すいかのたねを、気にせずのみこんじゃうようなこだったから、でんぱ、は、ときどき、ぼくは、なんでもかんでも、ちいさいことならばだいじょうぶだと思うのは、わるいことではないかもしれないけれど、でも、ちりもつもれば、というし、と、いつでも、なんにでも、口角をくいっと持ち上げて、自信に満ちあふれた笑みを浮かべる、でんぱの、横顔をながめながら、つぶやくのだった。
はかい、などという、物騒なこととは無縁の世界に、ぼくたちはいた。けれども、それは、七日前までのはなしで、いまは、もう、ぼくらの世界は、はかい、というものに支配されている。かなしいできごとが、山のように起こり、まいにち、こころが痛くて、深い海のような傷は、なかなか癒えない。包帯をまいても、傷口のなかは、真っ暗闇で、底がみえないのだ。となりの街のはんぶんが、はかい、によって、うしなわれた。ぼくらの住んでいるところの、北に位置する森も、なくなった。はかい、というものは、あらゆる生命を、うばってゆくものだと、本で読んだことがあった。ほんとうだった、と思ったときには、ぼくらの町と、森のあいだにある、広大なひまわり畑も、ただの荒野となっていた。夏の手前、ひまわりはもうとっくに芽吹き、すくすくと育っていたというのに。
「いうなれば、無力だ。ぼくらは、はかい、というものに屈して、はめつ、ってやつを、静かに待っているしかない」
日に日に、その景色を変える、慣れ親しんだ町を、アパートの窓から、ふたりでみていた。でんぱの吐く、たばこのけむりが、部屋にながれこんでくる。でんぱは、いつも、なんでもオミトオシという感じで、すこしエラそうだ。ぼくは、でも、でんぱの、たばこを持つ、あの、細くも太くもなく、ちょうどいい具合に骨ばった、指に、ふれられるたび、でんぱに、夢中になっていた。四方八方から聞こえてくる、なにかが割れる音や、崩れる音や、弾ける音に耳をかたむけていると、気分がわるくなった。
なみだがでてくる。
しぜんと、ゆっくり、ドラマや映画の、ワンシーンみたいに、なみだがあふれてくる。
この頃のぼくは、泣いてばかりで、そろそろ、からだのなかの水分が、からからになりそうだった。
泣くなよ、と、でんぱは言わないし、だいじょうぶだよ、だなんて、うやむやになぐさめたりもしないけれど、でんぱの、たばこを持っていない方の手が、ぼくのあたまをなでる、その瞬間に、ぼくのなみだは、あたたかいものになる。
すいかのたね